中国の反日デモ

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

● 報徳記 ダイジェスト版 2

投稿者: sawayakanikoniko 投稿日時: 2005/05/13 12:28 投稿番号: [34054 / 95793]
寛政12庚申年、先生が14才の時父利右衞門(48歳)は大病で日ごとに衰弱しました。母と子はこれを歎き昼夜看病を怠らず、財産を尽くして治療し神・先祖に祈って力の限り誠意を尽くしました。それでも運命なのか、ついに同年9月26日没しました。母子の悲嘆慟哭がひどくて村人は皆これにもらい泣きしました。

母は3人の子どもを養うのにいよいよ困窮しました。母は先生に言いました「お前と三郎左衞門とはわたしが何とか養っていけます、末子までは力が及びません、3人とも養おうとすれば皆ともに飢えてしまいます」。そこで末子をつれて親戚に行って慈愛を乞いました。親戚はその願いをうけいれて末子を引き受けました。母は喜んで家に帰り二人の子に「共に苦労を乗り越えようね」と言いました。

母は夜通し眠れなくて、毎夜涙で枕を濡らしています。先生は不思議に思い問いました「毎夜どうして寝られないのですか」。母は言いました「末子を親戚に預けてから、わたしの乳が張って痛むので眠れません、数日すればおさまるでしょうから心配いりません」と、言い終わらない内から涙がこぼれ落ちます。

先生はその慈愛の深いことを察して泣いて言いました「前にはお母様の命に随って末子を他に託けました。考えてみると赤子一人あってもどれほど苦労が増えましょう。明日からわたしが山に行って薪を伐ってそれを売って末子を養育しましょう。すぐに彼を連れ戻されますよう」。母はこの言葉を聞いておおいに喜び「おまえがそう言ってくれるのは本当に幸せです。今からすぐに行って連れ戻してきます」と、すぐに起きて行こうとしました。

先生はこれを止めて言いました「今は真夜中です、夜明けになればわたしが行って抱いてきます。夜半の外出はおやめください」母は言います「お前が幼いのに末弟を養おうと言うのに、夜中の外出をどうして厭いましょう」と袖を払って隣村の親戚に行き、わけを話して末子を抱き家に帰って、親子4人で共に限りなく喜びました。

それから明け方に起きて遠山(とおやま)に行き柴を刈ったり薪を伐ったりして、これを売りさばき夜は縄をない草鞋を作り寸暇を惜しんで身体を使い心を尽くして母を安心させ2人の弟を養うことにのみ骨を折りました。

そして薪採りの往復にも「大学」の書を懐に入れて途中読みながらこれを暗唱し少しも怠りませんでした。これが先生が聖賢の学問をした初めです。道路で声高に音読するので人々は怪しみ狂児と思う人もありました。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)