中国の反日デモ

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● 報徳記 ダイジェスト版 1

投稿者: sawayakanikoniko 投稿日時: 2005/05/13 12:25 投稿番号: [34053 / 95793]
先生、姓は平(たいら)名は尊徳(そんとく)、通称金次郎。
父は二宮利右衞門、母は曾我別所村の川窪某の娘。祖父の銀右衞門は常に節倹を守り家業に力を尽くしすこぶる富裕になりました。

父利右衞門の代になって、村人皆に善人と言われました。民の求めに応じて施したり無利子で貸したりして数年で財産は減り貯えはすべて散らばって衰貧極まってしまいました。

それでもその貧苦に安んじて生活し、あえて昔与えたり貸したりしたものの返済を求めません。この時に先生を生みました。それは天明7丁未年7月23日でした。次の子を三郎左衞門、その次を富次郎といいます。父母は貧困の中で3人の男子を養育し、その苦労は言葉に尽くせません。

寛政3辛亥年、先生がまだ5才の時、酒匂川(さかわがわ)が洪水で大口の堤を破り、数か村が流されました。この時利右衞門の田畑は1畝も残らず全部石河原になりました。

もとより赤貧、加えてのこの水害で   困窮いよいよ迫り3子を養うのに心身の苦労は幾千万。先生は生涯この話になると必ず泣きながら父母の大恩はかりしれないことを言いました。それを聞くものは皆このために涙を流しました。

その年父は病気になりましたが極貧で医薬料の用意がありません。やむをえず田地を売って金2両を得ました。利右衞門は病気が治って歎いて言いました「貧富は時のもので免れがたいとはいっても、田地は祖先の田地だ、わたしの治療の為にこれを減らしたことは不孝の罪を免れられない。とはいっても医薬の代金を払わないわけにはいかない」と。ため息をついて医者に行って2両を出して礼を言いました。

医師某は眉をひそめて言いました「あなたのお家は極めて貧しい。どうやってこの金を得たのですか」利右衞門は答えました「確かにあなたのおっしゃるとおり私は赤貧です。家が貧しいからといって治療の恩を返さないなら世の中は立ち行かないでしょう。ご質問に正直に答えなければこれまた安心なさらないでしょう。貧困きわまったとはいってもまだ少しの田地があり、これを売ってそれでお支払いします、ご心配はいりません」

医師は憂い顔になって涙をながして言いました「わたしはあなたの治療費をもらわなくても飢えることはありません。あなたの家は田を失って一旦の義理を立てても、これからどうやって妻子を養うのですか。わたしはあなたの病気を治してかえって苦労を増すのを見るに忍びません、すぐにその金で田地を買い、わたしへの払いは気にしないで下さい」

利右衞門は承知しません。医師は言いました「遠慮はいりません、貧富というのは車のようなもの。あなたが今貧しくてもどうして富むときがないといえましょう。もし家が富むときになった時にこの礼をしてくれたらわたしも快くいただきましょう、なにも不都合はないでしょう」。そこで利右衞門はおおいに感じ丁寧に頭を下げてその言葉に随い、強いてその半額を礼としてあとの半額を持ち帰りました。

先生は父の病後の歩行を気遣って、帰宅の遅いのを心配して門に出て待っていました。利右衞門は医師の道理に合った言葉を喜び両手をふりふり歩いてきました。先生は迎えて言いました、「どうしてそんなに喜んでいらっしゃるのですか」。父は言いました「医師の恵みぶかい言葉はこのようで、わたしはお前達を養育することができる。嬉しくてしかたがない」と。

父は酒が好きでした。先生は幼いながら草鞋(わらじ)を作り、日々1合の酒を買って毎晩その酒を進めました。父はその孝志を限りなく喜びました。
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