アメリカの日本人虐殺・沖縄戦のつづき2
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/06/20 04:20 投稿番号: [8266 / 8458]
太平洋戦争の末期、沖縄本島および周辺島嶼・海域で行われた戦闘。
1945年3月末に連合軍が侵攻し、4月1日に本島に上陸。6月23日の日本側司令官の牛島中将の自決によって主要戦闘は終了するが、以後も戦闘は続き、一部部隊は終戦まで残存している。当時の沖縄には40万を超える住民が存在しており、これを巻き込む形で戦闘は展開、十万以上と言われる多数の民間人犠牲者が出たことでも知られる*1。
期間:1945年3月23日〜6月23日*2
場所:沖縄本島、慶良間諸島、伊江島および周辺海域
参加兵力:
日本軍:陸軍第32軍ほか約10万。他、海軍第2艦隊、航空出撃延べ8500機余*3など。
連合軍:総兵力54万8千(正面戦力18万3千。米第10軍麾下の7個師団)。各種艦艇約1500隻*4。
背景
沖縄戦は日米双方にとって本土上陸のモデルケースであり、その意味においては「決戦」であった。
沖縄に先立つ台湾沖航空戦とレイテ沖海戦によって、日本海軍の戦闘力は事実上消滅していた。太平洋の戦いが島嶼と水上交通路を巡る戦いであったことからすれば、この時点で戦争の勝敗は確定していた。
しかし、日本側は講和を求められるような国内事情になく、アメリカ側としてはさらなる戦果が必要であった。こうして立案された沖縄攻略作戦であるアイスバーグ作戦*5は、日本本土への上陸作戦を行うための基地を確保するとともに*6、日本の本国領土を占領することによる政治的な効果も視野に入れたものだった。
一方の日本側にとっても事情は同じであり、陸上作戦を展開できるだけの地積を有する沖縄本島での戦闘は「来るべき」本土決戦の雛形となるものだった*7。ここで大きな出血を強要することで米側に本土決戦への躊躇を与え、(講和における)なんらかの条件を得られる可能性があると考えられていた*8。
http://www.youtube.com/watch?v=pbo1fyeaZ9s
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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