侵略国日本は国際社会の前科者

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日中全面戦争の隠された真相

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/06/18 10:18 投稿番号: [8262 / 8458]
2006年08月16日
昨日の東中野修道氏「戦没者追悼祈念講演会」で、日支事変は日本が停戦交渉をしていたのになぜ拡大していったかを言われていました。
これは、支那事変直後に書かれたラルフ・タウンゼント「アメリカはアジアに介入するな」「暗黒大陸中国の真実」、K・カール・カワカミ「シナ大陸の真実   1931〜1938」にも同じように書かれています。
簡単に言えば停戦協定を結んだとしても、支那側がすぐ破って敵対行為をするために戦いに引きずり込まれたと言うのが真相です。

「日中全面戦争の隠された真相」
亜細亜大学教授   東中野修道

平成十(一九九八)年ごろ大学時代の友人A氏(M新聞編集局長)と会ったときのこと、自他共に保守派と目されていたA氏から強い口調で「日本が中国に土足で踏み込んで戦争をしたのは否定できない事実だ」と主張されたことがあった。その主張にたいする決定的に明確な反証は私にはなかった。
このような、日本は中国に進出したのではなく侵略したのだという、そのような歴史認識が徐々に広がっていったのは、昭和五十七(一九八二)年夏の「教科書誤報事件」からであろう。文部省が高校歴史教科書の検定にさいして「侵略」を「進出」に書き換えさせたと全国紙が一斉に誤報を発して以来、このような歴史認識が今ではほぼ完全に定着しつつある。
ところが英国で衝撃的な本が戦後六十年の昨年に出た。ユン・チアンとジョン・ハリデイの『毛沢東―知られざる物語』(邦訳は最近発行の=マオー誰も知らなかった毛沢東)全二巻)である。冷戦構造の崩壊により国際政治の枠組みが劇的に変化して以来、モスクワの公文書館などから貴重な資料が多数出ているが、そのような膨大な記録やあまたの証言を基にしてチアンとハリデイが十余年をかけて書き上げた、八百頁の大作である。
衝撃的というのは、二十世紀の中国史の常識を根底から覆す多数の事実が発掘されているからだ。本書は、「日本が中国に土足で踏み込んで戦争をしたのは否定できない事実だ」という歴史認識に、初めて明確な反証を提供することとなった。
連合軍総司令部編「太平洋戦争史」が原点であった今日言われている中国侵略という歴史認識は、昭和二十年十二月八日に全国紙に発表された連合軍総司令部の「太平洋戦争史」に基づいている。日本軍と中国軍が衝突した廬溝橋の紛争で終わっていたのならば日中全面戦争にはならなかったのに、日本が中国の軍事と経済の中心である上海で戦争をしたことから日中全面戦争へと発展していったと、「太平洋戦争史」は主張していた。つまり、廬溝橋の紛争、上海事変(第二次)という一連の出来事こそが、日本の中国侵略の証拠だというのである。
一方私が日本の中国侵略という見解に疑問を抱いたのは、次の根拠に基づいてのことであった。廬溝橋事件は中村粂教授や秦郁彦教授の研究により日本が先制攻撃したのではないことは、もはや疑問の余地なく論証されていたからである。昭和十二年七月七日二十二時四十分、日本軍は条約上の権利に基づいて演習中の廬溝橋で、日本軍は中国軍の第一撃を受けたが、それでも七時間も隠忍自重し、視界明瞭な翌日の午前五時半に第四撃を受けてから、ようやく反撃に転じたのである。
その後も日本軍は、三週間にわたって「不拡大主義」に立ち、交戦区域を限定し、解決に向けて腐心していた。ところが、八月九日に、廬溝橋の隣ではなく、南へ一一〇〇キロも離れた上海の虹口飛行場の近くで、日本海軍陸戦隊の大山勇夫中尉らが中国軍に虐殺されるという事件が起きる。これこそ第二次上海事変の始まりであった。何度も攻撃されて、ついに日本軍は自衛の反撃に出た。そう、私は理解していたが、しかしそれ以上のことは分からなかった。
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