中国共産党政府は中国国民を煮て食べた
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/04/22 21:25 投稿番号: [8218 / 8458]
1968年
7月1日夜八時。
黄副校長の批判糾弾大会が桐嶺中学校第十組の教室で行なわれた。同校の革命準備委員会・謝東副主任がこの集会を指導し、発言をした。批判糾弾は約一時間続いた後、彼は会議終了を宣言し、そのとき、学生の覃廷多ら四人がそれぞれ棍棒を持って、黄副校長を会場から連れ出し、電話室前まで連れて行き、覃が殴れと命令した。棍棒は彼を目がけて乱打され、とうとう殴殺した。宿舎に担ぎ込まれる途中、死亡したのだった。翌日午前八時、遺体は運動場の木の下まで担いで運ばれて、『毛沢東語録』を読み上げられたあと、そのまま、みせしめのためのさらしものにされたのだった。
やがて、人肉削ぎが始まり、だれが最初に彼を切ったのか、諸説紛々いろんな説があるが、大多数の証言によると、当時、女子学生の紅衛兵・覃柳芳が最初に人肉を削いだようだ。彼女は、黄副校長の息子と恋愛関係にあり、彼女は自分の立場をはっきりさせるために、人肉を取る行動に走ったらしい。
彼女はまた、もう一人の学生の名前を告白した。黄佩農である。彼は、最初に肝を切り取ったのだった。さらにもう一人の女子学生・陳香姣は、彼女の母が病気なので、人肉は薬になるとし、だから母のために校長の人肉を切ったという。彼女の話によると、もう一人の年寄りともう一人の女子学生のためにも人肉を削ぎ取った。黄副校長は裏切り者で、人肉を削ぎとってしまうのは当たり前のことだという。
彼女の証言によると、自分と甘票英らが見たところでは、黄佩農は肝を下げて、近くの田んぼまで行って、水で洗い、その後、肝を炊事場まで持っていったようだという。また多くのクラスメートも同じく人肉を切り取って、食堂まで走っていったという。
黄佩農が肝を切り取ったことを見た証人は、一人だけではない。もう一人の証人・覃世新もそう証言した。私ははっきりと、黄佩農が刀で黄副校長の腹の上を一文字に切り裂き、力いっぱい足で踏み、肝が出たので、切り取って持って行って、煮て食べた・・・と。
「食人宴席」鄭義著・黄文雄訳(P101〜P104)
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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