侵略国日本は国際社会の前科者

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尾崎秀実という人物のつづき9(修正)

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/03/26 11:36 投稿番号: [8179 / 8458]
尾崎秀實
〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
  日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日の「赤い東亜共同体」が実現する!
■1.近衛文麿を操った「見えない力」■

  昭和18(1943)年4月、衆議院議員・三田村武夫は近衛文麿を訪れて、戦局、時局の問題について懇談した際、「この戦争は必ず負ける。そして敗戦の次ぎに来るものは共産革命だ。日本をこんな状態に追い込んできた公爵の責任は重大だ!」と言った所、近衛はしみじみとした調子で、第1次、第2次近衛内閣当時のことを回想してこう述懐した。

「なにもかも自分の考えてゐたことと逆な結果になつてしまつた。ことこゝに至って静かに考へてみると、何者か眼に見えない力にあやつられてゐたような気がする」[1]

  近衛の第一次組閣は昭和12(1937)年6月。この1ヶ月後の蘆溝橋事件をきっかけに日華事変が勃発し、また国内では翌年3月に国家総動員法が成立した。その後の平沼、阿倍、米内内閣はドイツとの距離をとり、第2次大戦にも不介入の姿勢を保っていたが、近衛が第2次組閣をした昭和15(1940)年7月以降、日独伊の三国同盟締結、仏領インドシナ進駐と日米対決への決定的な道を歩み始めた。

  こうして見ると、近衛内閣の登場のたびに、政局は大きく戦争へと進んでいる。三田村議員の言う通り、まさに近衛公爵の責任は重大であった。その近衛はその当時を振り返って、「見えない力にあやつられてゐたような気がする」と言っているのである。その見えない力とは何だったのか?

■2.軍人を踊らせた左翼分子の暗躍■

  近衛はこの「見えない力」について、もう戦局も押しつまった昭和20(1945)年2月14日、天皇にこう上奏した。

「翻って国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件具備せられゆく観有之(これあり)候、すなはち生活の窮乏、労働者発言度の増大、英米に対する敵愾心の昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、これに便乗する新官僚の運動、およびこれを背後より操りつゝある左翼分子の暗躍に御座候」
「満洲事変、日華事変、そして遂には大東亜戦争にまで我が国を引きずり込んで来たのは、軍部の組織的計画であるが、これを取り巻く一部官僚及民間有志は(これを右翼といふも可、左翼といふも可なり、所謂(いわゆる)右翼は国体の衣を着けた共産主義者なり)意識的に共産革命まで引きずらんとする意図を包蔵しおり、無知単純なる軍人これに踊らされたりと見て大過なしと存候」

■3.尾崎秀實の「赤い東亜共同体」構想■

  日本を共産革命にまで引きずり込もうとした「民間有志」の中心人物が尾崎秀實(ほつみ)であった。尾崎は昭和3(1928)年11月、朝日新聞社の特派員として上海に駐在して、そこで多くの左翼文学者たちと交わり、半植民地化された中国の現状から、マルクス主義への傾斜を深めていった。

  さらに尾崎はアメリカ人左翼ジャーナリスト、アグネス・スメドレーを通じて、リヒャルト・ゾルゲを紹介された。ゾルゲはドイツ人の父とロシア人の母を持ち、ドイツ共産党を通じて、モスクワの国際共産主義団体コミンテルンに所属していた。

  ちょうどこの年に開かれたコミンテルン第6回大会では、「帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめ」、「戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること」と決議していた。日独と米英の間での「帝国主義戦争」が始まれば、共産主義者の祖国ソ連は無事であり、また敗戦国ではその混乱に乗じて、共産主義革命を進めることができる、という戦略である。

  これを中国に適用して、尾崎は日本帝国主義と蒋介石軍閥政権を噛み合わせて、両者共倒れにさせて、日本と中国における共産主義革命を実現させ、そこからソ連、中国、日本を中核とした東アジア諸民族の共同体を目指そうと考えた。まさに「赤い東亜共同体」構想である。
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