満州国の正当性のつづき3
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/03/22 11:42 投稿番号: [8172 / 8458]
ときは流れて1937(昭和12)年7月7日、盧溝橋事件により、結果的に「日中戦争」に突入する。在留邦人や在留公館が襲撃された義和団事件のあと、大陸には日英米仏独伊西墺(オーストリア・ハンガリー帝国)の8ヶ国が、北支地区には日英米仏伊の5ヶ国が駐留していた(北京議定書)。その北支地区・盧溝橋にいた日本軍が7日午後10時40分ごろ、何者かに攻撃を受けたのである。
だが、対米戦を見越していた日本は、和平の途を模索する。戦闘開始から5日後の12日には、停戦を約束する松井・秦徳純(しんとくじゅん)協定が一旦は締約されるも、蒋介石は戦線拡大を見込んで軍備を増強、25日には廊坊(ろうぼう)事件、26日には広安門事件、29日には通州事件を引き起こし、協定は幾度も反故にされた。それでも、新たな停戦協定を結ぶべく、8月9日から船津和平工作を試みるが、大山中尉殺害事件が発生、第二次上海事変に突入する。沈静化を願う日本をよそに、中国側のこうした反逆があったのだ。
以後、中国大陸に日本軍が群がるわけだが、これは戦線拡大というやむをえない事情によるものだ。仏印進駐へと至った要因が援蒋ルートの遮断、つまり米英が中立義務を果たさなかったことに対する報復であることは誰もが認めるところである。そして、このいずれも協定が結ばれての駐留であった。
1945(昭和20)年8月15日、わが国は敗戦を迎えた。大陸では、国共内戦を経た1949(昭和24)年、中国共産党による一党独裁国家が成立。「漁夫の利」といったところだろうか。わからないことはまだまだ多いが、巷の書物を読めば、習った「歴史」とはずいぶん異なる歴史に出会える。これは「改竄」でも「妄想」でもなければ、「修正」でもない。真実を知るための弛まぬ営為である。
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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