侵略国日本は国際社会の前科者

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

尾崎秀実という人物のつづき11

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/03/09 10:39 投稿番号: [8141 / 8458]
■7.茅野老の日中和平工作■

  尾崎のグループは国内世論を誘導するだけでなく、実際に国
民党政権との和平の動きを妨害した。孫文の中国革命に協力し、
蒋介石以下の国民党首脳部とも親しい間柄にあった茅野長知は、
上海派遣軍司令官・松井石根(いわね)大将の依頼により、昭
和12年10月頃から、日中和平に乗り出した。

  茅野老は国民政府からも信頼されており、翌13年4月には
即時停戦、日本の撤兵声明発表などの合意に至った。茅野老が
帰国してこの案を説明すると、近衛首相も板垣陸相も承認して、
この線で和平実現に努力することになった。茅野老は早速、上
海から香港へ渡って、国民党政府と接触し、5人の代表を東京
に派遣する事となった。

  しかし、茅野老が再び帰国して、交渉の結果を報告すると、
板垣陸相の態度は全く変わっていて「中国側に全然戦意なし、
この儘(まま)で押せば漢口陥落と同時に国民政府は無条件で
手を挙げる。日本側から停戦声明を出したり、撤兵を約束する
必要はなくなった」という。

■8.天才的な謀略■

  茅野老が「それはとんでもない話だ。国民政府は長期抗戦の
用意が出来ている。そんな情報はどこから来たのか」と問いつ
めると、板垣陸相は、同盟通信の上海支局長をしていた松本重
治が連れてきた国民政府の外交部司長・高宋武から直接、聞い
たという。

  茅野老が香港に行く途中の上海で、松本と会って、交渉の過
程を話したのだが、この松本重治は尾崎の年来の友人であり、
共に「朝飯会」のメンバーとして近衛首相のブレーンともなっ
た人物である。後に茅野老は松本との会談を「運命の日」だっ
たと述懐している。

  松本が連れてきた高宋武は、日本側に「国民政府はもうすぐ
無条件降伏する」と伝える一方、蒋介石にも「中国があくまで
抗戦を継続すれば、日本側は無条件で停戦、撤兵する」という
偽りの電報を打っていた。こうした謀略によって、茅野老の和
平工作はあと一歩という所で水泡に帰し、その後、高宋武、松
本重治、尾崎秀實らによる汪兆銘政権樹立の動きとなっていく。

  汪兆銘は国民党の副総裁であり、あくまで党を分裂させずに、
蒋介石にコミンテルンの謀略に乗った抗日戦争を止めさせるよ
う願っていたのだが[a]、その汪兆銘を担ぎ出して親日政権を
作らせ、それを以て日本と国民政府の戦いを続けさせようとい
う尾崎らの謀略はまさに天才的としか言いようがない。

■9.操られていた近衛内閣■

  近衛首相は、事変が始まった後、早期停戦を目指してドイツ
を仲介国とする交渉を行ってきたが、昭和13年1月には新た
な親日政権の成立を期待して、「今後国民党政府を相手にせ
ず」という第一次近衛声明を発表していた。茅野老の和平工作
はこの後に何とか蒋介石政権との和平を確立しようとしたもの
であった。

  しかし、その望みも消えて、同年11月、近衛は日本・満
洲・支那3国の連帯を目指した「東亜新秩序」建設に関する第
二次声明を発表。これは尾崎らの「東亜共同体」構想そのもの
である。この声明の中で「国民政府といえども従来の指導政策
を一擲(いってき、投げ打って)し、その人的構成を改替して
更生の実を挙げ、新秩序建設に来たり参ずるに於ては、敢へて
これを拒否するものにあらず」と汪兆銘の動きに期待した。

  まさに「見えない力にあやつられてゐたような気がする」と
いう近衛の述懐通り、近衛内閣は尾崎の描いた筋書きに乗せら
れていたのである。こうして日華事変は泥沼化していった。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)