東京裁判はデタラメ裁判だった
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/02/28 06:47 投稿番号: [8107 / 8458]
東京裁判に隠された真実
東京裁判:戦勝国による集団リンチ 〜パール判事が訴えたこと
法の不可遡に反し事後法で敗戦国のみを裁いた
日本を「侵略国」に仕立てるための東京裁判
< 問題点 >
事後法によるもので国際法上違反
「戦争」そのものは犯罪ではない。第二次大戦後の多くの戦争も責任者は裁かれていない。
「戦争」は国家行為であり、個人の行為ではない。
戦勝国の戦争犯罪不問
裁判長は「東京裁判は日本を裁く裁判であって、連合国を裁くのが目的ではない」とし、日本弁護側の主張や証拠書類は悉く却下された。
中国側の出した証拠書類や証人の証言を偽証罪なしでそのまま認めた。
11人の判事はすべて連合国側の人間であり、国際法の専門家はインドのパール判事のみ。
パール判事だけが日本を擁護し全員無罪を主張した。
ポツダム宣言は「有条件」
戦争犯罪についても同宣言10条の「我らの俘虜を虐待した者を含む戦争犯罪人」だけが対象になる。
↓
ポツダム宣言以降に作られた「平和に対する罪」「人道に対する罪」は仮にあったとしても日本には適用できない。
共同謀議の捏造、協定済みの事件の断罪など
証言
マッカーサー証言
1951年(昭和26年5月3日) 「日本が戦争に突入した理由の大半は安全保障だった」
トルーマンとの会談でも「東京裁判は平和のため何ら役に立たなかった」と述べたと言われている。
オランダのレーリング判事
「東京裁判は勝者による復讐劇だといったのは、まさに正しかった。・・連合国側の犯罪行為については一切取り上げられなかった」
米国務省のジョージ・ケナン政策企画部部長
「東京裁判はいかさまな法手続きで装飾された裁判のための裁判」
判決1948年(昭和23年) 11月23日 東條英機など7人は死刑、終身刑16人、有期刑2人
7人の死刑は判決の翌月12月23日 巣鴨拘置所において執行された。 12月23日は皇太子(現天皇陛下)の誕生日。
1951年9月 サンフランシスコ講和条約締結 戦犯既決囚の管理が日本政府に移される。
4月7日11カ国は刑の残りを免除を通告 10人が放免された。
パール判事の言葉
1952年(昭和27年)4回目の来日したパール判事の言葉
「日本とドイツに起きたこの二つの国際軍事裁判を、他の国の法律学者がこのように重大問題として真剣に取り上げているのに、
肝心の日本において、これがいっこうに問題視されないということはどうしたことか。
これは敗戦の副産物ではないかと思う。
すなわち一つに戦争の破壊があまりにも悲惨で、打撃が大きかったために、生活そのものに追われて思考の余地を失ったこと、
二つにはアメリカの巧妙な占領政策と、戦時宣伝、心理作戦に災いされて、過去の一切があやまりであったという罪悪感に陥り、
バックボーンを抜かれて無気力になってしまったことである」
パール判事の日本無罪論 (小学館文庫)
結語
「時が熱狂と偏見とを やわらげた暁には
また理性が虚偽から その仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを 要求するであろう」
東京裁判:戦勝国による集団リンチ 〜パール判事が訴えたこと
法の不可遡に反し事後法で敗戦国のみを裁いた
日本を「侵略国」に仕立てるための東京裁判
< 問題点 >
事後法によるもので国際法上違反
「戦争」そのものは犯罪ではない。第二次大戦後の多くの戦争も責任者は裁かれていない。
「戦争」は国家行為であり、個人の行為ではない。
戦勝国の戦争犯罪不問
裁判長は「東京裁判は日本を裁く裁判であって、連合国を裁くのが目的ではない」とし、日本弁護側の主張や証拠書類は悉く却下された。
中国側の出した証拠書類や証人の証言を偽証罪なしでそのまま認めた。
11人の判事はすべて連合国側の人間であり、国際法の専門家はインドのパール判事のみ。
パール判事だけが日本を擁護し全員無罪を主張した。
ポツダム宣言は「有条件」
戦争犯罪についても同宣言10条の「我らの俘虜を虐待した者を含む戦争犯罪人」だけが対象になる。
↓
ポツダム宣言以降に作られた「平和に対する罪」「人道に対する罪」は仮にあったとしても日本には適用できない。
共同謀議の捏造、協定済みの事件の断罪など
証言
マッカーサー証言
1951年(昭和26年5月3日) 「日本が戦争に突入した理由の大半は安全保障だった」
トルーマンとの会談でも「東京裁判は平和のため何ら役に立たなかった」と述べたと言われている。
オランダのレーリング判事
「東京裁判は勝者による復讐劇だといったのは、まさに正しかった。・・連合国側の犯罪行為については一切取り上げられなかった」
米国務省のジョージ・ケナン政策企画部部長
「東京裁判はいかさまな法手続きで装飾された裁判のための裁判」
判決1948年(昭和23年) 11月23日 東條英機など7人は死刑、終身刑16人、有期刑2人
7人の死刑は判決の翌月12月23日 巣鴨拘置所において執行された。 12月23日は皇太子(現天皇陛下)の誕生日。
1951年9月 サンフランシスコ講和条約締結 戦犯既決囚の管理が日本政府に移される。
4月7日11カ国は刑の残りを免除を通告 10人が放免された。
パール判事の言葉
1952年(昭和27年)4回目の来日したパール判事の言葉
「日本とドイツに起きたこの二つの国際軍事裁判を、他の国の法律学者がこのように重大問題として真剣に取り上げているのに、
肝心の日本において、これがいっこうに問題視されないということはどうしたことか。
これは敗戦の副産物ではないかと思う。
すなわち一つに戦争の破壊があまりにも悲惨で、打撃が大きかったために、生活そのものに追われて思考の余地を失ったこと、
二つにはアメリカの巧妙な占領政策と、戦時宣伝、心理作戦に災いされて、過去の一切があやまりであったという罪悪感に陥り、
バックボーンを抜かれて無気力になってしまったことである」
パール判事の日本無罪論 (小学館文庫)
結語
「時が熱狂と偏見とを やわらげた暁には
また理性が虚偽から その仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを 要求するであろう」
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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