侵略国日本は国際社会の前科者

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中国共産党の犯罪

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/02/15 22:58 投稿番号: [8064 / 8458]
毛沢東がけしかけた権力闘争は劉少奇、訒小平ら実権派の打倒に留まらず、大学教授や学校の教師、作家、芸術家、旧家の出身者や旧地主・資本家の子孫、医師、技術者など、要するに社会でありとあらゆる一定の知識や技能、地位と名声をもつ人たちが批判の対象となった。

  例えば中学生によって組織された紅衛兵は教師たちを軟禁し、毎日十時間以上の重労働を課した。わずかな時間も休むことを許されず、少しでも動作が鈍いとすぐさま木刀や革靴で殴りつけた。夜になると教師たちを監禁して夜通し尋問とリンチが行われた。ある女子中学校の女校長は3夜連続で拷問を受けた後、1966年8月22日に死亡した。場所は校内のトイレで、遺体は全身傷だらけで、髪の毛はほとんど抜かれ、口には汚物が詰め込まれていた。

  文化大革命中、共産党の創立記念日、国慶節、元旦などの祝日には全国各地で群集を集めての公開処刑大会が行われた。とはいっても建国以来十数年、中国共産党はひたすら虐殺に次ぐ虐殺を繰り返していたので、反革命分子などそう簡単に見つかるはずもなかった。そのため、毛沢東の政策に少しでも疑問を述べたり、毛沢東語録を不注意で汚してしまったり、毛沢東の顔写真が移った新聞紙を使って野菜を包んだり、太陽を貶める発言をしたり(毛沢東は人民の太陽と称賛されていたため)するだけで悪攻罪として死刑になった。

  紅衛兵による無差別大量虐殺も頻発した。1966年8月に紅衛兵は五類分子(地主、富農、反革命分子、悪質分子、右派分子)を打倒すべく、北京市大興県を襲撃し、325人を虐殺した。死亡者のうち最年少は生後1ヶ月であった。1967年8月には湖南省道県を紅衛兵が襲撃し、4139人を虐殺した。虐殺方法には銃殺、斬殺、爆殺、生き埋め、撲殺、焼殺など多様な手段が採られた。幼い子供を殺すときは投げ殺しが好んで行われた。

  1967年から1968年にかけて内モンゴル自治区ではモンゴル族に対する大量虐殺が行われた。34万人が逮捕、監禁され、少なくとも5万人が虐殺された。殺害方法も残虐さを極めた。歯を一本一本抜き取られたり、鼻と耳をねじ切られたり、体中をナイフで切り裂かれて傷口に塩を揉みこんで焼き鏝をあてたり、女性であれば輪姦された挙句生殖器に火掻き棒を差し込まれて腸を引きずり出されたりした。

  虐殺は紅衛兵が無実の人たちを虐殺するというパターンに留まらない。紅衛兵はいくつかの派に分裂し、互いに相手を反動派、反革命分子と罵って自らの正当性をかけて激しい武装闘争を行った。1967年3月から6月にかけて江西、青海、浙江、湖北、山西、河南、安徽、内モンゴル、陝西、復建、広東、寧夏などで、紅衛兵に限らず労働者、農民、軍隊をも巻き込んだ主導権争いのための激しい武装闘争が展開された。まさに中国全土が内戦状態であった。
  こうした中で全ての中国人民は恐怖におののいていた。いつ反革命のレッテルを貼られて粛清されるか、いつ誰かに裏切られるのか恐怖と猜疑心がつのり、ひたすら狂信的に毛沢東を崇め奉ることが救いの道であるかのような雰囲気が生まれた。毛沢東に対する極端な個人崇拝、神格化がますます強化されていったのである。

中国共産党は何かと言うと60年前の日本軍の「残虐行為」とやらを数十倍に誇張してまで誇大宣伝し、日本に謝罪と反省を求めているが、中国共産党が行ってきた残虐行為は犠牲者の数で比べても抗日戦争の犠牲者の数十倍にのぼる。まずは自らが行ってきた数々の残虐行為に謝罪と補償をすべきであろう。だが中国共産党が行ってきた残虐行為の犠牲者、被害者はあまりにも膨大であり、謝罪と補償は現実的ではないかもしれない。殺人犯でも死んでしまえば罪が問われないのと同じく、中国共産党も滅亡させることこそが唯一の解決策と言えるかも知れない。
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