余談ですが「中国人は人食い人種」
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/02/15 12:47 投稿番号: [8062 / 8458]
あるブログから引用。
● 中国人は人肉を食べることを楽しんできた
だが中国人は違う。あきらかに人肉を食べることを楽しんできた。人肉食、人相食、夫食婦、婦食夫、易子而食(親がお互いに子供を交換して食べる)こういう記録が中国の史書の随所に見いだされる。あの春秋戦国の覇王桓公は子供の丸蒸しを料理として賞味した。宋代には人肉料理のメニューさえある。そのころ食肉用の人間は「両脚羊」と呼ばれていた。
1984年、台湾近郊で炭鉱事故がおこり、ただ一人生き残った炭坑夫は生き残るために人肉を食べた。 そして「息の切わた人間の肉はおいしくない。やはり生きている人間の肉はうまかった」と発言して大きなニュースになった。人を食べたからではない。どれが美味しかったという点でだ。それについて台湾大学の教授が人肉と牛肉と豚肉のいずれが、より栄養価が高くうまいかを新聞紙上でコメントした。このことは如実に中国の社会常識として現在でも人肉は食用たりうることを物語っている。(封神演義 安能 務氏より)
つまり中国にとって人間を食べるという行為は飢餓をしのぐのためではなく、食文化の一つなのだ。
さらに別のブログから引用。
我が国と違い、支那人は人間を食う。それは、生死がかかった飢餓のときだけではなく、平時にも行われ、すでに支那民族としての食文化といっていい歴史を持っている。毛沢東という史上最大の人殺しがやった愚行のひとつである「文化大革命」の時にも、多くの支那人が食べられた。支那の食人の歴史は長い。食人が公然たるひとつの食文化として存在し続け、食用人間の養殖までしていた。食人は支那の正史である「史記」に、堂々と記載されている。そんな程度の支那でも自国の歴史を誇っている。
支那における食人の歴史について、多くの本に掲載されています。私の手元にも、「食人宴席」(鄭羲 黄文雄訳 光文社 一九九三年)、「中国食人史」(太田龍 雷韻出版 二〇〇三年)、「中国四〇〇〇年 弱肉強食の法則 驚異の繁殖力の秘密」(徳田隆 講談社二〇〇四年)、「日本人が知らない中国『魔性国家』の正体」(黄文雄 成甲書房 二〇〇八年)、「戦争の歴史 日本と中国」(黄文雄 WAC 二〇〇七年)等に支那人の食人についての記述があります。
食人についての記述は少ないですが、虐殺についての記述では「中国大虐殺史 なぜ中国人は人殺しが好きなのか」(石平 ビジネス社 2007年)があります。この石氏の著書と他の著書を合わせて読むと、虐殺された民衆がどのように処理されたかよく理解できます。
我が国の腐れテレビ局もどうせ、支那特集を放送するなら、こういった支那人の本質を報道して欲しいものですが、報道する事はない。
それらの本には、下記のような食人についての記述があります。
文革時代の食人について書かれた「食人宴席」には。
「武宣県では、食人事件が流行にさえなった。街頭引き回しデモ闘争があるたびに、老婆たちはかごを下げて、糾弾大会の終わるのをじっと待っていた。人間が殺害されると死体に競って群がり、なるべくいい人肉を切り取って持っていく。遅れてきた者は人肉を切り取れないので、骨まで持っていく。人肉を食べた者は幹部の中でも少なくなかった。
略)
もっとも残虐な食人事件は、生きているままで腹を裂き、まだ息絶え絶えなのに肉一切れ一切れを削ぎ落とし、その人肉を油で揚げて食べるということだろう。」P六二〜六三
「陳は最初、腹を裂き、肝を取り出すことができなかった。どういうふうに手を下せばよいかを知らなかったのだが、そのとき、一人の年寄りが彼に人肉と肝を切り取る要領を教えたという。腹部に向かって『人』の字をの形で霧、足で力強く下腹部を踏めば、心臓と肝臓がすぐとび出て来るということを教えたのだった。つまり、これは、腹を裂き、心臓をえぐり取る技術がすでに存在していたことがわかる。」P八〇
ちなみに、中国人が日本人を殺して心臓を抉り出して食べた事件が「南京事件のトピック」に書いてある。
● 中国人は人肉を食べることを楽しんできた
だが中国人は違う。あきらかに人肉を食べることを楽しんできた。人肉食、人相食、夫食婦、婦食夫、易子而食(親がお互いに子供を交換して食べる)こういう記録が中国の史書の随所に見いだされる。あの春秋戦国の覇王桓公は子供の丸蒸しを料理として賞味した。宋代には人肉料理のメニューさえある。そのころ食肉用の人間は「両脚羊」と呼ばれていた。
1984年、台湾近郊で炭鉱事故がおこり、ただ一人生き残った炭坑夫は生き残るために人肉を食べた。 そして「息の切わた人間の肉はおいしくない。やはり生きている人間の肉はうまかった」と発言して大きなニュースになった。人を食べたからではない。どれが美味しかったという点でだ。それについて台湾大学の教授が人肉と牛肉と豚肉のいずれが、より栄養価が高くうまいかを新聞紙上でコメントした。このことは如実に中国の社会常識として現在でも人肉は食用たりうることを物語っている。(封神演義 安能 務氏より)
つまり中国にとって人間を食べるという行為は飢餓をしのぐのためではなく、食文化の一つなのだ。
さらに別のブログから引用。
我が国と違い、支那人は人間を食う。それは、生死がかかった飢餓のときだけではなく、平時にも行われ、すでに支那民族としての食文化といっていい歴史を持っている。毛沢東という史上最大の人殺しがやった愚行のひとつである「文化大革命」の時にも、多くの支那人が食べられた。支那の食人の歴史は長い。食人が公然たるひとつの食文化として存在し続け、食用人間の養殖までしていた。食人は支那の正史である「史記」に、堂々と記載されている。そんな程度の支那でも自国の歴史を誇っている。
支那における食人の歴史について、多くの本に掲載されています。私の手元にも、「食人宴席」(鄭羲 黄文雄訳 光文社 一九九三年)、「中国食人史」(太田龍 雷韻出版 二〇〇三年)、「中国四〇〇〇年 弱肉強食の法則 驚異の繁殖力の秘密」(徳田隆 講談社二〇〇四年)、「日本人が知らない中国『魔性国家』の正体」(黄文雄 成甲書房 二〇〇八年)、「戦争の歴史 日本と中国」(黄文雄 WAC 二〇〇七年)等に支那人の食人についての記述があります。
食人についての記述は少ないですが、虐殺についての記述では「中国大虐殺史 なぜ中国人は人殺しが好きなのか」(石平 ビジネス社 2007年)があります。この石氏の著書と他の著書を合わせて読むと、虐殺された民衆がどのように処理されたかよく理解できます。
我が国の腐れテレビ局もどうせ、支那特集を放送するなら、こういった支那人の本質を報道して欲しいものですが、報道する事はない。
それらの本には、下記のような食人についての記述があります。
文革時代の食人について書かれた「食人宴席」には。
「武宣県では、食人事件が流行にさえなった。街頭引き回しデモ闘争があるたびに、老婆たちはかごを下げて、糾弾大会の終わるのをじっと待っていた。人間が殺害されると死体に競って群がり、なるべくいい人肉を切り取って持っていく。遅れてきた者は人肉を切り取れないので、骨まで持っていく。人肉を食べた者は幹部の中でも少なくなかった。
略)
もっとも残虐な食人事件は、生きているままで腹を裂き、まだ息絶え絶えなのに肉一切れ一切れを削ぎ落とし、その人肉を油で揚げて食べるということだろう。」P六二〜六三
「陳は最初、腹を裂き、肝を取り出すことができなかった。どういうふうに手を下せばよいかを知らなかったのだが、そのとき、一人の年寄りが彼に人肉と肝を切り取る要領を教えたという。腹部に向かって『人』の字をの形で霧、足で力強く下腹部を踏めば、心臓と肝臓がすぐとび出て来るということを教えたのだった。つまり、これは、腹を裂き、心臓をえぐり取る技術がすでに存在していたことがわかる。」P八〇
ちなみに、中国人が日本人を殺して心臓を抉り出して食べた事件が「南京事件のトピック」に書いてある。
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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