Re: 勝手に話を作ってみた
投稿者: worst_human83 投稿日時: 2005/12/12 00:13 投稿番号: [4395 / 22816]
その藩士は何がなにやら分からぬままに白州の上へと引き出された。
ちょぱ四郎は、
「その方、ご禁制であるはずの南蛮渡来の品々を持っておるどころか、天主教の印であるロザリオまでも所持しておる。一体何処で手に入れた」
と決め付けた。
藩士からすれば何がなにやらさっぱり分からない。
「その品は、先日、自分の長屋に突如放り込まれたものです。決して自分が買ったものでもありませぬ。まして自分は天主教などではありませぬ」
と弁明した。
ちょぱ四郎にとっては、藩士の弁明などどうでも良い。
「天草の乱のこともある。天主教信者は、それだけで死罪に値する。そのことも分かっておろうな」
と、手を緩めず決め付けた。
これには藩士も仰天し、自分は本当に何も知らない、嘘ではない、まして天主教などでもない、と涙ながらに弁明した。
ちょぱ四郎は、能面のような表情で弁明を聞いていたが、
「その方、さまでに命が惜しいか」
と柔らかく言った。
藩士は、首を何回も縦に振り、自分には妻子が居る、その妻子を残して死にたくはないと叫ぶように言った。ちょぱ四郎も頷き
「そうであろう、誰しも妻子を残して死にたくは無いものじゃ。しかし、その方の死罪は最早免れられまい。禁教を破る罪がどれほど重いかは、そなたも知っておろう」
と言った。
藩士が何か言いかけようとしたのを制して、ちょぱ四郎は続けた。
「しかし、そなたの心がけ次第によっては、救ってやらぬこともない。それどころか、場合によっては報奨金も出るかも知れぬ。どうじゃ?聞いてみるか?」
藩士からすれば、自分の命が助かるなら何にでも良いからしがみつきたかった。
つい、頷いた。藩士の心が折れた瞬間でもあった。
ちょぱ四郎は、誰も気づかないくらいの薄い笑みを浮かべ、こう言った。
「そなたの藩、新発田藩は藩ぐるみで抜け荷をしておろう?何、そんなことはない?ほう・・・それでは命は惜しくないとみえる。ん?そうか、やはり抜け荷をしておったか。最初から素直にそう申せばよいのじゃ。なに、案ずるな。たとえ藩は潰れても、その方の仕官は世話してやる。安心して、抜け荷の罪について語るが良い。よいよい、あることないこと、言いたい放題言えばよいのじゃ。どうで溝口家の命脈は長くあるまい。逆らってはならない方に逆らったからのう。そなたも長いものに巻かれてしまえばよいのじゃ。そうそう、分かってきたではないか、ふふふ・・・」
溝口家当主、溝口下野守成定が評定所に抜け荷の件で召還されたのは、その翌日だった。
下野守も八方に弁明したが、所詮外様。譜代の那是陀守ほどには影響力も無く、その発言も真実とは受け入れられなかった。
元来、徳川幕府は外様に対して冷たく、折あらば取り潰しの機会を狙っていることもある。また、評定所を構成する若年寄、老中のほとんどが那是陀守に懐柔されており、下野守の弁明に耳を貸そうともしなかった。
そして、判決が下された。
領地は取り上げられ、下野守は切腹。
その下に居た藩士たちは、散り散りとなってしまった。
ことの発端となった安須姫の行方も分からくなってしまった。
下野守が切腹してから、3年が経とうとしていた。
こんな感じでどうでっしゃろ?
ちょぱ四郎は、
「その方、ご禁制であるはずの南蛮渡来の品々を持っておるどころか、天主教の印であるロザリオまでも所持しておる。一体何処で手に入れた」
と決め付けた。
藩士からすれば何がなにやらさっぱり分からない。
「その品は、先日、自分の長屋に突如放り込まれたものです。決して自分が買ったものでもありませぬ。まして自分は天主教などではありませぬ」
と弁明した。
ちょぱ四郎にとっては、藩士の弁明などどうでも良い。
「天草の乱のこともある。天主教信者は、それだけで死罪に値する。そのことも分かっておろうな」
と、手を緩めず決め付けた。
これには藩士も仰天し、自分は本当に何も知らない、嘘ではない、まして天主教などでもない、と涙ながらに弁明した。
ちょぱ四郎は、能面のような表情で弁明を聞いていたが、
「その方、さまでに命が惜しいか」
と柔らかく言った。
藩士は、首を何回も縦に振り、自分には妻子が居る、その妻子を残して死にたくはないと叫ぶように言った。ちょぱ四郎も頷き
「そうであろう、誰しも妻子を残して死にたくは無いものじゃ。しかし、その方の死罪は最早免れられまい。禁教を破る罪がどれほど重いかは、そなたも知っておろう」
と言った。
藩士が何か言いかけようとしたのを制して、ちょぱ四郎は続けた。
「しかし、そなたの心がけ次第によっては、救ってやらぬこともない。それどころか、場合によっては報奨金も出るかも知れぬ。どうじゃ?聞いてみるか?」
藩士からすれば、自分の命が助かるなら何にでも良いからしがみつきたかった。
つい、頷いた。藩士の心が折れた瞬間でもあった。
ちょぱ四郎は、誰も気づかないくらいの薄い笑みを浮かべ、こう言った。
「そなたの藩、新発田藩は藩ぐるみで抜け荷をしておろう?何、そんなことはない?ほう・・・それでは命は惜しくないとみえる。ん?そうか、やはり抜け荷をしておったか。最初から素直にそう申せばよいのじゃ。なに、案ずるな。たとえ藩は潰れても、その方の仕官は世話してやる。安心して、抜け荷の罪について語るが良い。よいよい、あることないこと、言いたい放題言えばよいのじゃ。どうで溝口家の命脈は長くあるまい。逆らってはならない方に逆らったからのう。そなたも長いものに巻かれてしまえばよいのじゃ。そうそう、分かってきたではないか、ふふふ・・・」
溝口家当主、溝口下野守成定が評定所に抜け荷の件で召還されたのは、その翌日だった。
下野守も八方に弁明したが、所詮外様。譜代の那是陀守ほどには影響力も無く、その発言も真実とは受け入れられなかった。
元来、徳川幕府は外様に対して冷たく、折あらば取り潰しの機会を狙っていることもある。また、評定所を構成する若年寄、老中のほとんどが那是陀守に懐柔されており、下野守の弁明に耳を貸そうともしなかった。
そして、判決が下された。
領地は取り上げられ、下野守は切腹。
その下に居た藩士たちは、散り散りとなってしまった。
ことの発端となった安須姫の行方も分からくなってしまった。
下野守が切腹してから、3年が経とうとしていた。
こんな感じでどうでっしゃろ?
これは メッセージ 4394 (worst_human83 さん)への返信です.
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