いわっちさんへ。「飛びます×2」の壱
投稿者: chonmage_johney 投稿日時: 2008/06/04 21:52 投稿番号: [19085 / 22816]
こんばんは。
少々レスが遅れてしまい、スミマセンでした。
なんか、私といわっちさんとのやりとりを注目されている方が、若干ながらいらっしゃるようで、いい意味で緊張しています^^;
長嶋サン風に言えば、
『プレッシャーを楽しむ』といった境地に立てればいいのかな・・・^^;
>日本とは不思議な国というのか、精神的な部分はしっかりと独特なものがあってシステムだけを導入していくという・・・。
確か律令制度なんかもそうではなかったでしょうか・・。
私の記憶が間違っていなければ、大宝律令(大宝元年・西暦701年)が明治初期まで残っていたと聞きます。ま、正確に書けば、養老律令(西暦757年)になるのでしょうが、内容的にさほど変わらないみたいなので・・・。
ご指摘の精神の部分ですが、端的に言えば、全てのモノを呑み込んで、日本流にアレンジしていくのですね。ここら辺にも“和を以て貴しとし”の精神を垣間見るような気がします。幸か不幸か神道には、聖書やコーランといった経典が存在しません。要は絶対的な存在との間に契約とか掟などが文書として無いので、周囲に波風立てず。その範囲内で『臨機応変』が許容され、今日に至っているのではないかと。政治に限った話では無いと考えます。
逆に言えば、波風を立て、『臨機応変』を許さないような独裁者は嫌われる傾向にありますね。
>江戸時代にキリスト教が弾圧されたのも精神的な部分をそのまま受け入れることを危ぶんだことが発端だと聞きます。
キリスト教弾圧と鎖国は無関係でないと思うので、この文脈で。1600年、豊後水道に辿り着いたリーフデ号の航行士のウイリアム・アダムス(三浦案針)が、徳川家康に謁見した際、「このままだと日本は、カトリック教会とスペインの植民地にされてしまいますよ」とチクったのが鎖国の遠因のようです。
当時の支配者層に、どれほど聖書の知識があったかは解りませんが、仮に、「神の命令は絶対」であり、その前提で「異教徒は皆殺しにしてもよい」という章(ヨシュア記)があることを知っていたとすれば、あの用心深い家康が、到底認めるわけはありません。そもそも、そんな教えは神道にありませんし、散々波風を立てれば、自分の命の保障すら無いと判断するでしょう。
②へ続きます
これは メッセージ 19024 (iwacchi1960 さん)への返信です.
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