Re: 馬頭星雲在住のくれよんさんへ。
投稿者: kureyonjin 投稿日時: 2007/05/01 23:27 投稿番号: [12972 / 22816]
やあ^^/
>韓トピで、私がタイムリーに反応すれば良かったんでしょうが・・・
それは、違いますよ〜あれは便器君とのやり取りの中の話ですからね、彼が平等云々などと唱えつつ、一方では僕達戦後生まれの日本人に理不尽な差別を強いている事に、気付くきっかけを与えたかったのです。ただそれだけ・・・
>福田恆存氏の言葉を紹介いたします。
これには、びっくりしました・・・普段僕が思索する内容とあまりにも似ています、だから現段階の僕には提示された文章が何の違和感も無く読めました。
人間は神の意識と連なる無意識の領域で、人間同士もある意識レベルまでは共有しているのかもしれません、もしくはただ僕の濫読による深層への蓄積を自分の考えの如く錯覚してるのかもね^^
リラさんに返信しようと思ってた内容は、この様な話になる予定でしたので・・・先に書いとけば丁髷さんが驚いたかも知れませんね・・・
この世界の事象は、ある法則にしたがって粛々と移ろいます。それを人間は己が意識に取り込もうとするときには、感性を添えて捉えようとしますね、もしくは感性を伴わないと認識できないのかもしれません。
この五感に感じる物は、たんなる情報でありそのこと自体には何の意味も無いと捉えても人が真に理性的存在ならば生きる上において何の不都合もない筈です。
ところが現実僕達は、物事を美醜や善悪を添えて捉えようとしますなぜでしょうか・・・この器としての肉体に捉われ生存し遺伝子を伝える事が真の摂理であるならば、感情なるものはかなり邪魔な存在です。
しかし明確な意識を持つ人間は、感情による癒し(納得性)を得られなければ器たる肉と内なる深層より沸き出る自我との共存が出来ないのではないでしょうかね・・・
理性とは冷徹な損得勘定のロジック、それこそが自然界の生物が普遍に支配される法であると思います。
僕は人間を人間たら締める物とは、理性じゃなく感情だと思っています。
自由意識、言葉どおりに内なる自分を自由自在に操る事は・・・できるのでしょうか?僕はこの意識の限界の外にしか存在しえぬと思います、完全に自分を客観視できる視座がなければ・・・無理っぽいですね。
以前に呆禅師やエホバの証人の伝教者に、自由意志に関して問うた事があります・・・エホバはお手上げでしたが・・・
某禅師には「 心より心を得んと心得て 心に迷う心なりけり(一遍)」
僕はこの言葉にかなり感銘を受けたのと同時に背中の荷物が少し軽くなった爽快感さえ感じました。
これは メッセージ 12948 (chonmage_johney さん)への返信です.
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