馬頭星雲在住のくれよんさんへ。
投稿者: chonmage_johney 投稿日時: 2007/05/01 01:05 投稿番号: [12948 / 22816]
5月1日。
さっき、ウィキペディアで調べたら、昭和57年のこの日、中森明菜が「スローモーション」でデビューし、1994年には、アイルトン・セナが亡くなった日だという。
そんなことは、ともかく・・・・・
>野暮でした(^^”
韓トピで、私がタイムリーに反応すれば良かったんでしょうが、時期を逸してしまったので、この場をお借りして、少し長いのですが、福田恆存氏の言葉を紹介いたします。
====================
言うまでもなく、人間に生まれる自由、生まれない自由は無い。死ぬ自由、死なない自由もない。なるほど自殺の自由はあるが・・・(中略)・・・結局は他動的、受動的であることを免れぬ。生という出発点において自由のない者が死において自由でありうる訳が無い。人間は与えられた条件の中に無意味に投出され存在するだけで、その存在そのものの中にいかなる目的もないのである。個人は在っても無くてもよい。偶然に在らしめられたものであり、偶然に無くさせられるだけの話である。
その点、人間は他の生物や物質と何の相違も無いのであるが、ただ人間は自己がそういうものである事を、自覚することが出来る。その自覚の働きが精神であり、その働きによって、人間は精神と物質とに分裂した二重の存在になる。同時にその事によって、人間は自由になる。あるいは自由の意識を所有する。
それは言い換えれば、人間には自由が無いということの自覚に過ぎず、その自覚に徹した時にのみ、人間は人間としての自由を獲得するという事である。本来の意味の自由とはそういうものなのである。その意味で、自由とは人間存在そのものの二重性を端的に表しており、人間である事と同義語をなすと言ってもよい。人間は自由であって自由ではない。人間は自由ではありえないが自由でありえる。この自由という言葉の両義語的性格にまつわるアイロニーとかパラドックスのために、私達はマクベスのように惑わされるのである。
『自由と平和(昭和37年)』より。尚、原文は旧仮名遣い
====================
もっとも、4〜5才程度の子供に、「ねぇ。どうして僕は生まれてきたの?」という、極めて素朴な問いかけをされた時、このような返事を親がしたら、面食らうでしょうが^^;
以前、大川周明を薦められましたが、そのお返しに、私は貴兄に福田恆存をお薦めしたいと思います。絶版になっていなければ、今も、文春文庫やちくま文庫から出版されているはずです。
馬頭星雲ですか・・・私は、バラ星雲やカニ星雲を望遠鏡で見てみたいですね。天体観測って、一番人畜無害な趣味かもしれませんね。
さっき、ウィキペディアで調べたら、昭和57年のこの日、中森明菜が「スローモーション」でデビューし、1994年には、アイルトン・セナが亡くなった日だという。
そんなことは、ともかく・・・・・
>野暮でした(^^”
韓トピで、私がタイムリーに反応すれば良かったんでしょうが、時期を逸してしまったので、この場をお借りして、少し長いのですが、福田恆存氏の言葉を紹介いたします。
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言うまでもなく、人間に生まれる自由、生まれない自由は無い。死ぬ自由、死なない自由もない。なるほど自殺の自由はあるが・・・(中略)・・・結局は他動的、受動的であることを免れぬ。生という出発点において自由のない者が死において自由でありうる訳が無い。人間は与えられた条件の中に無意味に投出され存在するだけで、その存在そのものの中にいかなる目的もないのである。個人は在っても無くてもよい。偶然に在らしめられたものであり、偶然に無くさせられるだけの話である。
その点、人間は他の生物や物質と何の相違も無いのであるが、ただ人間は自己がそういうものである事を、自覚することが出来る。その自覚の働きが精神であり、その働きによって、人間は精神と物質とに分裂した二重の存在になる。同時にその事によって、人間は自由になる。あるいは自由の意識を所有する。
それは言い換えれば、人間には自由が無いということの自覚に過ぎず、その自覚に徹した時にのみ、人間は人間としての自由を獲得するという事である。本来の意味の自由とはそういうものなのである。その意味で、自由とは人間存在そのものの二重性を端的に表しており、人間である事と同義語をなすと言ってもよい。人間は自由であって自由ではない。人間は自由ではありえないが自由でありえる。この自由という言葉の両義語的性格にまつわるアイロニーとかパラドックスのために、私達はマクベスのように惑わされるのである。
『自由と平和(昭和37年)』より。尚、原文は旧仮名遣い
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もっとも、4〜5才程度の子供に、「ねぇ。どうして僕は生まれてきたの?」という、極めて素朴な問いかけをされた時、このような返事を親がしたら、面食らうでしょうが^^;
以前、大川周明を薦められましたが、そのお返しに、私は貴兄に福田恆存をお薦めしたいと思います。絶版になっていなければ、今も、文春文庫やちくま文庫から出版されているはずです。
馬頭星雲ですか・・・私は、バラ星雲やカニ星雲を望遠鏡で見てみたいですね。天体観測って、一番人畜無害な趣味かもしれませんね。
これは メッセージ 1 (nazeda1777 さん)への返信です.
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