フォーミラー事情、雑感(2)
投稿者: rumsfeld_rumchan2002_9_17 投稿日時: 2007/04/07 04:43 投稿番号: [12525 / 22816]
1986年ツクバFJ1600Bシリーズに確か韓国人ドライバーが出場していました。目標は全日本F3へのステップアップだったのでしょうが、散々の成績でした。最近ではマカオGPに英国のチームから出場する韓国人もいるようですが勿論、全く通用しません。
やはりモータースポーツの歴史がない国には困難と思います。
2輪だって同じですし。
インドとマレーシアからもF1ドライバーはいましたが、英国F3でそれなりの成績を残したドライバーでした。それでも持ち金は必須でした。
昔、中嶋がロータスでデビューした際、J・ハントとJ・スチュアートが大文句言ってましたが(英国人J・ダンフリーズを首にしたことで)翌年、しばしばピケットと互角の予選タイムをたたき出すと酷評は消え失せました。1988年のスパでの中嶋はシフトミスを起さねばピケットに抜かれることはなかったでしょう。
アグリは言い訳癖がありましたが、間違いなく速いドライバーでした。これに関してはリカルド・パトレーゼが認めていました。アルボレートもです。そういえばパトレーゼもアルボレートも中嶋を恐れていたそうです。1987年鈴鹿の1コーナーでパトレーゼが中嶋に抜かれ、次のオーストラリア・アデレードへ移動する飛行機内でパトレーゼとアルボレートが中嶋に(オマエは速いドライバーだ!)といったような記憶が当時のオートスポーツ誌にあったような。
右京にしても、プロストが【あいつは速いドライバーだ、流石にFルノーで私の持っていたポールリカールでのコースレコードを塗り替えたのが納得できる】と一年目からその素質を認めました。
野田秀樹は余りある才能を開花できませんでした。運がありませんでした。
高木虎之介はタイミングが悪すぎました。あの遅いアローズでスパフランコルシャンの名物オールージュを区間タイム1位で通過したほど。残念。
中野は欧州底辺フォーミュラで実績を残しましたが、プロストグランプリに途中から加入したヤルノ・トュルーリにチームが偏ったので(財政難)実績を残せませんでした。もともと速いドライバーではありませんでしたが。
そこで現れたのが佐藤琢磨です。英国F3でアエルトン・センナ(セナ)・ダ・シルバの勝率を抜き、圧倒的速さでチャンピョン、同年オランダのマルボロマスターズもブッちぎり優勝、マカオもブッちぎり優勝。あの年は英国で佐藤・フランスで福田・ドイツで金石が主要F3国家でチャンピョンになるという信じられないことをしてくれました。
日本にはレースの長い歴史があります。鈴木アグリの親父さんの親友であった有名人(名前ど忘れ)も鈴鹿のヘアピンで他界しましたが、あのドライバーは天才だったと思います。
あのドライバーが亡くなっていなければ、間違いなく1976年F1日本GPは異なる結果になっていたでしょう。たらればはレースには禁句なんですがね…
有り余るほど書きたいことがあるのですが自重します。
僕の文章はいつも脱線してしまうので、申し訳ありません。
大佐にも失礼なメルしていますし…
誠に申し訳ありませんでした。
(結局のところ僕の主旨が意味不明なんですね………・)
やはりモータースポーツの歴史がない国には困難と思います。
2輪だって同じですし。
インドとマレーシアからもF1ドライバーはいましたが、英国F3でそれなりの成績を残したドライバーでした。それでも持ち金は必須でした。
昔、中嶋がロータスでデビューした際、J・ハントとJ・スチュアートが大文句言ってましたが(英国人J・ダンフリーズを首にしたことで)翌年、しばしばピケットと互角の予選タイムをたたき出すと酷評は消え失せました。1988年のスパでの中嶋はシフトミスを起さねばピケットに抜かれることはなかったでしょう。
アグリは言い訳癖がありましたが、間違いなく速いドライバーでした。これに関してはリカルド・パトレーゼが認めていました。アルボレートもです。そういえばパトレーゼもアルボレートも中嶋を恐れていたそうです。1987年鈴鹿の1コーナーでパトレーゼが中嶋に抜かれ、次のオーストラリア・アデレードへ移動する飛行機内でパトレーゼとアルボレートが中嶋に(オマエは速いドライバーだ!)といったような記憶が当時のオートスポーツ誌にあったような。
右京にしても、プロストが【あいつは速いドライバーだ、流石にFルノーで私の持っていたポールリカールでのコースレコードを塗り替えたのが納得できる】と一年目からその素質を認めました。
野田秀樹は余りある才能を開花できませんでした。運がありませんでした。
高木虎之介はタイミングが悪すぎました。あの遅いアローズでスパフランコルシャンの名物オールージュを区間タイム1位で通過したほど。残念。
中野は欧州底辺フォーミュラで実績を残しましたが、プロストグランプリに途中から加入したヤルノ・トュルーリにチームが偏ったので(財政難)実績を残せませんでした。もともと速いドライバーではありませんでしたが。
そこで現れたのが佐藤琢磨です。英国F3でアエルトン・センナ(セナ)・ダ・シルバの勝率を抜き、圧倒的速さでチャンピョン、同年オランダのマルボロマスターズもブッちぎり優勝、マカオもブッちぎり優勝。あの年は英国で佐藤・フランスで福田・ドイツで金石が主要F3国家でチャンピョンになるという信じられないことをしてくれました。
日本にはレースの長い歴史があります。鈴木アグリの親父さんの親友であった有名人(名前ど忘れ)も鈴鹿のヘアピンで他界しましたが、あのドライバーは天才だったと思います。
あのドライバーが亡くなっていなければ、間違いなく1976年F1日本GPは異なる結果になっていたでしょう。たらればはレースには禁句なんですがね…
有り余るほど書きたいことがあるのですが自重します。
僕の文章はいつも脱線してしまうので、申し訳ありません。
大佐にも失礼なメルしていますし…
誠に申し訳ありませんでした。
(結局のところ僕の主旨が意味不明なんですね………・)
これは メッセージ 12524 (rumsfeld_rumchan2002_9_17 さん)への返信です.
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