ちょっぱー様
投稿者: chonmage_johney 投稿日時: 2006/10/30 23:07 投稿番号: [10424 / 22816]
昨日はお褒めの言葉を頂戴し、有難うございました。
>神道に関して、日本民族が寛容だから神道が浸透したのか、神道が融通 無碍だから日本民族の性質が寛容になったのか?
どちらにせよ、この寛容さが日本人の利点であり瑕疵でもあります。
この件につき、例によって、福田恆存(モノの本では、“左翼が論争しても勝てない随一の保守知識人”という位置づけです)の言葉を引用し、御礼の代わりとさせていただきます。
貴兄の考えるヒントとなれば幸いでございます。
==========
・絶対神のない日本では、つねに相対の世界のなかで具体的な人格に絶対者を求めようとする心理があるのではないか。その欲求は、おさえてもおさえても、隙をねらって盛り上がってくるでしょう。(中略) 天皇を絶対視する「愚衆」を、私は単純に軽蔑しきれません。少なくとも、絶対主義を否定し、相対の世界だけで事足れりとしている唯物的な知識階級よりは・・・・「愚衆」の方が信頼できます。
(初出・日本および日本人)
・不潔を悪であるとする考え、というよりは不潔にしか罪を感じない心理、これはかならずしも神道的観念に養われた古代日本人のばあいにのみいいうることではありません。現代の日本人についても、そのうちでもっとも西洋的教養を身につけているひとたちについても、そのままあてはまるのです。日本人の道徳観の根底は美感であります。そして、その美感の最低限を示す原理が「汚れていない」ということであり、それがまた同時に最高原理にもなりうるのです。つまり、「汚れていない」という「醜悪の欠如状態」が積極的な最高の美にもなりうるのです。・・・・
私は、日本人のそういう美感が、明治以来、徐々に荒らされていくのを残念におもうと同時に、またそれだけが頼るべき唯一のものであり、再出発のための最低の段階であると信じております。日本人に「醜悪」の問題を識別する抽象化の能力が欠けていることはたしかであり、それが調和を愛する感覚的美感によって助長されていることもまた疑いの余地のないところですが、さればといって、これを土台としないかぎり、私たちは動きがとれないのです。第一、それを無視して押しつけてくる抽象的概念というものに対して、私たちの美感は、そもそもそれを歪んでいるものと見なすでしょう。
(初出・日本および日本人)
※ 原文は旧仮名遣い
『福田恆存語録・日本への遺言
編・中村保男、谷田貝常夫 / 文藝春秋(平成7年に出版)』より
=========
因みに、サヨクが金科玉条にしている第9条については、同著にて、
「・・・形式的には理想主義という積極的性格のものであっても、内意は謝罪という消極的性格なものであり、これは日本国民にとって致命的な不幸だった。確かに日本人を敗北感のみならず、罪悪感から救い出し、再生の道を歩ませる為の“みそぎ”の役割を果たしたかも知れないが、半面、道徳的に負なるものを正なるものに擦りかえるという無意識的な自己正当化の狡さを教え込んだ」(初出・平和の理念)
現行憲法についても
「・・・前文ばかりではない、当用憲法の各条項は全て死文の堆積です。こんなものを信じたり、有難がったりする人は、左右を問わず信じる気になりません。孫子の代まで残すことによって、恥を曝すか、彼らの文化感覚や道徳感覚を低下させるか、そういう愚を犯すよりは、一日も早く、無効とし、廃棄することにしようではありませんか」(初出・当用憲法論)
と痛烈に批判しております
>太田某というお笑い芸人
は、福田の論法でいけば、自己正当化の権化で、国賊の類なんでしょうなぁ。
では、長文失礼いたしました。
>神道に関して、日本民族が寛容だから神道が浸透したのか、神道が融通 無碍だから日本民族の性質が寛容になったのか?
どちらにせよ、この寛容さが日本人の利点であり瑕疵でもあります。
この件につき、例によって、福田恆存(モノの本では、“左翼が論争しても勝てない随一の保守知識人”という位置づけです)の言葉を引用し、御礼の代わりとさせていただきます。
貴兄の考えるヒントとなれば幸いでございます。
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・絶対神のない日本では、つねに相対の世界のなかで具体的な人格に絶対者を求めようとする心理があるのではないか。その欲求は、おさえてもおさえても、隙をねらって盛り上がってくるでしょう。(中略) 天皇を絶対視する「愚衆」を、私は単純に軽蔑しきれません。少なくとも、絶対主義を否定し、相対の世界だけで事足れりとしている唯物的な知識階級よりは・・・・「愚衆」の方が信頼できます。
(初出・日本および日本人)
・不潔を悪であるとする考え、というよりは不潔にしか罪を感じない心理、これはかならずしも神道的観念に養われた古代日本人のばあいにのみいいうることではありません。現代の日本人についても、そのうちでもっとも西洋的教養を身につけているひとたちについても、そのままあてはまるのです。日本人の道徳観の根底は美感であります。そして、その美感の最低限を示す原理が「汚れていない」ということであり、それがまた同時に最高原理にもなりうるのです。つまり、「汚れていない」という「醜悪の欠如状態」が積極的な最高の美にもなりうるのです。・・・・
私は、日本人のそういう美感が、明治以来、徐々に荒らされていくのを残念におもうと同時に、またそれだけが頼るべき唯一のものであり、再出発のための最低の段階であると信じております。日本人に「醜悪」の問題を識別する抽象化の能力が欠けていることはたしかであり、それが調和を愛する感覚的美感によって助長されていることもまた疑いの余地のないところですが、さればといって、これを土台としないかぎり、私たちは動きがとれないのです。第一、それを無視して押しつけてくる抽象的概念というものに対して、私たちの美感は、そもそもそれを歪んでいるものと見なすでしょう。
(初出・日本および日本人)
※ 原文は旧仮名遣い
『福田恆存語録・日本への遺言
編・中村保男、谷田貝常夫 / 文藝春秋(平成7年に出版)』より
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因みに、サヨクが金科玉条にしている第9条については、同著にて、
「・・・形式的には理想主義という積極的性格のものであっても、内意は謝罪という消極的性格なものであり、これは日本国民にとって致命的な不幸だった。確かに日本人を敗北感のみならず、罪悪感から救い出し、再生の道を歩ませる為の“みそぎ”の役割を果たしたかも知れないが、半面、道徳的に負なるものを正なるものに擦りかえるという無意識的な自己正当化の狡さを教え込んだ」(初出・平和の理念)
現行憲法についても
「・・・前文ばかりではない、当用憲法の各条項は全て死文の堆積です。こんなものを信じたり、有難がったりする人は、左右を問わず信じる気になりません。孫子の代まで残すことによって、恥を曝すか、彼らの文化感覚や道徳感覚を低下させるか、そういう愚を犯すよりは、一日も早く、無効とし、廃棄することにしようではありませんか」(初出・当用憲法論)
と痛烈に批判しております
>太田某というお笑い芸人
は、福田の論法でいけば、自己正当化の権化で、国賊の類なんでしょうなぁ。
では、長文失礼いたしました。
これは メッセージ 10409 (chopper8111362 さん)への返信です.
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