捕鯨とクジラ保護

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可哀想なこと、残酷なことはするな!

投稿者: discover_100 投稿日時: 2009/09/18 02:56 投稿番号: [59328 / 63339]
これが人間の倫理の本質。黄金律である。

カントは道徳律(良心)がアプリオリに備わってる根拠を神の存在に求めた。
そうではなく、道徳律は人間の他者に共感する潜在能力にある。
幼少期に愛情が薄い環境ではこの生来の潜在能力は育たず萎縮してしまう(→畜生・餓鬼)。
性善説も性悪説もその者が育った環境次第である。

倫理は幼児でも分かる「可哀想なことはしない」という実に単純なことで
人に不注意を指摘されても、人に教わることではない。
又、道徳教育などで教わって分かるようなものではない。
共感し感動する能力、想像力が無ければブタに文句を言ってるようなものである。

可哀想なことでもやらねければならないことがあるではないかと反問が当然起こるだろう。
勿論、可哀想なことをしなければならない例外はある。
どちらの選択も可哀想な事態を生じる場合、より可哀想な事態を招く場合がそれである。
どちらが可哀想かを無心に判断するだけである。迷ったら現状維持、コンセンサスが鉄則。
必要悪と同じでこれを行うのはマクロ的には”悪”でも可哀想なことではない。
子供が悪いことをしたら叱る。これは可哀想なことではない。
餓鬼への躾などはそれである。餓鬼のままだと死ぬまで飢えと渇きに苦しむ。

もし、ブタを食うのが可哀想と思うなら、その者はブタを食ってはいけない。
それは避けられるのだから。
ブタを食わなくても死にはしない。植物を食っても、果物だけでも生きられる。
それが避けられるものなら残酷と感じる行為は決してやってはいけない。
もし、可哀想なのに敢えてやれば頭が壊れる。
悪とは可哀想なことをすることだから善悪の判断がつかなくなるのは当然。
ここでGP、動物愛護、環境保護運動家を一所懸命誹謗中傷しているクジラ殺しの餓鬼が
いつの時点で頭が壊れたかは定かではないが、この連中がゾンビの役割を果たしている。
ゾンビというのは、他人の幸福な状態を妬み、嫉み、恨み足を引っ張る餓鬼の性質である。

ドイツの諺に「共感すれば幸せは2倍、不幸は半分」というのがある。
幸せな人間とは他人の幸せを喜べるが、不幸な餓鬼には「他人の不幸は蜜の味」になる。
”さんま”や”たけし”のようなバカの皮肉を真に受ける大バカが尽きない。
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