他者の痛みと良心
投稿者: discover_100 投稿日時: 2009/09/18 01:46 投稿番号: [59311 / 63339]
クジラミ餓鬼>「痛みも苦しみも感じる事の出来る知能ある動物を6分もかけて殺すなんて残酷」
なんていう彼らのセリフは、私にはどうしても腑に落ちないのだ。そんなの人間が勝手に自分達の基準に照らし合わせて『想定』してるだけであって、数秒で屠殺されるブタの苦しみが6分で殺されるクジラより小さいかどうかなんて誰にも分かりはしないのだ。
この餓鬼は動物の痛みは誰にも分りはしないのだから、痛めつけてもいいのだときた。
これは”他人の痛みは俺には感じない”からと、自分より弱者を苛める餓鬼の心理である。
苦しみは6秒より6分の方が100倍以上辛いことは、誰でも経験的に分かってる。
幼稚園児でもクジラでも同じだろうと推定(感情移入)できることだ。
それを、自分とは同じかどうか分からないから、苦しくないかもしれない、
苦しくないだろうと、決め付けてしまうところが△違いである。
動物虐待で捕まれば、「誰も動物が嫌がってると分りはしない、喜んでるかもしれない」と言うんだろう。
人殺しで捕まれば、「殺された奴がそれを望まなかった」と誰も分りはしないと言い出すのだろう。
他人の痛みが分かるのは、自分も他者も同じとして同類推定するからである。
そして、それが論理整合性を持つことでその推定の正しさが認識されるのである。
(少し観察すれば虫も魚もほとんど苦痛を感じてないことが分かる)
自分がやられた場合どう感じるかを、感情移入する能力が人間には備わっている。
これが良心であり人間の条件、これが欠落してるのが餓鬼である。
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鯨肉愛の痴人>技術的には2分40秒ほどでの捕殺が可能です。そもそも、致死時間によって残酷である・残酷ではないとする判断基準というものは、どこから来ているのでしょうか。
これが、自分が2分40秒もかけられて虐殺されることを想像できない△違いの戯言である。
これは メッセージ 59310 (discover_100 さん)への返信です.
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