善悪の判断基準
投稿者: discover_200 投稿日時: 2008/09/20 02:59 投稿番号: [42178 / 63339]
投稿者: discover_100
松本智津夫を死刑にするのは可哀想なことか?
この怪物の子供達はどうか?この怪物を生んだ両親にとってはどうか?
この既知害の犠牲となった本人、家族はどうか?
恐らく八つ裂きの刑にしても足りないだろう。
死刑廃止論者は死刑を可哀想だと考えるのであるし、
死刑維持論者は死刑にしないことがより大きな悲劇を齎すと考えるのである。
意図して人を殺した者はそれを償うには死を持って行うのが筋である。
少なくとも、死刑に代わる終身刑が先ず必要だ。
やられたらやり返すのには正当性がある。
カラスを駆除するのか可哀想なことか。それは駆除しない場合の悲劇に比べてどうか?
熊の捕殺は、熊に襲われる前に殺しておこうという先制攻撃である。
何もしてないのに先制攻撃は可哀想だろうと考える者もいる訳である。
これはアメリカのイラク攻撃に似ている。先制攻撃には正義は無い。
どちらの選択がより可哀想かという天秤にかける為には
正しい科学知識や経験、教養と無心・無欲の洞察が必要になる場合がある。
こういう場合の為に先人の知恵がある。
クジラがブタ並みの知能しかないと思ってる無知には判断以前の問題がある訳である。
見掛け上可哀想な行為は、より大きな悲劇が待ってるという相当の確信が無ければ
安易に行ってはいけない。躾であっても子供を殴る行為は虐待に繋がり易い。
可哀想な状態を避けるのが倫理的選択である。
タイタニック号では十分の救命ボートが足りなかったので子供、女だけが優先的に乗せられた。
災害の救助、ハイジャックでも解放される順は病人、子供、老人、女子の弱者からである。
これは、多くの人命を助けるという観点からは逆行する。
(モタモタしている障害者、老人、女子供よりも元気な者から救助した方が利得は高い)。
ここからも倫理基準が”可哀想””残酷”という感性で決定されるのが分かるだろう。
これが善悪の判断基準なのである。
これは メッセージ 42177 (discover_200 さん)への返信です.
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