昭和二十六年、「覚醒剤取締法」が制定
投稿者: discover_200 投稿日時: 2008/08/30 01:28 投稿番号: [39825 / 63339]
日本では1941年に武田薬品工業からアンフェタミン製剤をゼドリン、大日本製薬(現在の大日本住友製薬)からメタンフェタミン製剤をヒロポンとして市販されたが、効果も売上げもヒロポンの方が上だった。そのため軍は生産性を上げるべく、軍需工場の作業員に配布したり、夜間の監視任務を負った戦闘員や夜間戦闘機の搭乗員に視力向上用として配布していた。いわゆる吶喊錠・突撃錠・猫目錠である。夜間戦闘機月光搭乗員として6機ものB-29を撃墜したエース、黒鳥四朗海軍少尉・倉本十三飛行兵曹長のペアが、戦後その副作用に苦しめられたのが有名な例である。 また特攻隊出陣の前には、錠剤ではなくアンプルが支給されていた。いずれの錠剤もヒロポンにお茶の粉末を混ぜたもので、アンプルは何も混ぜていない。アメリカやドイツやイギリスなども、兵士たちにぺルビチン錠などを配布していた。
やがて日本が敗戦すると同時に軍部が所蔵していた注射用アンプルがどっと流れ出て、戦後間もない闇市ではカストリ焼酎一杯より安い値段で1回分のアンプルが入手できたので、芸人や作家やバンドマンといった寸暇を惜しんで働く者たちから、興味半分で始めた若者まで瞬く間に広がって乱用者が増加していった。また1943年から1950年まで、薬局では印章さえ持っていけば誰でもヒロポンのアンプルや錠剤を購入可能で、タクシーの運転手や夜間勤務の工場作業員など、長時間労働が要求される職種の人々に好んで利用されていた。その疲労回復力から大変重宝された。だが実際は即効性の高いアンプルは常に闇に流れて常に品不足状態であり、薬局では錠剤しか入手できなかったことが、1949年の新聞で報道されている。この結果、日本ではメタンフェタミンが社会に蔓延し多数の依存症患者を生み出す事となった。
http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-406.html
はじめは医療従業者の疲労回復や学生の試験勉強の際に使われていた覚醒剤、それに目を付けたのは軍部であった。夜を徹して働く軍需工場の作業員の眠気防止・疲労回復に使われ、視力向上効果があることから夜間監視の戦闘員、夜間戦闘機搭乗員などに支給され、「突撃錠」「猫目錠」などと呼ばれていたという。
こうして覚醒剤は時局に沿って「国策薬」としての役割を追わされることになるが、これはなにも日本に限ったことではない。米英をはじめドイツも兵士たちに覚醒剤を支給し戦意の高揚を図った。米国では第二次世界大戦以後も、ベトナム戦争、湾岸戦争を通じて、デキストロ・アンフェタミン製剤「デキセドリン」(通称・スピード)を一部の兵士に処方し続けた。
「ヒロポン」500錠入り
覚醒剤の弊害が表面化するのは戦後の混乱期こと。敗戦の精神的虚脱にともなう刹那的享楽主義が蔓延するなか、軍部がストックしていた「ヒロポン」が大量に流出し闇で安価に販売された結果、乱用による中毒者が全国的に広がりはじめる。流出したのは純度の高いアンプル剤。ヒロポン中毒は「ポン中」と呼ばれ、「ヒロポン」は「国策薬」から一転「亡国への魔手」と称されるようになる。
一般市民のほかに芸能人、文筆家、芸術家などアーティストの多くが「ヒロポン」におぼれた。小説家では織田作之助、坂口安吾の常用が有名で、「ヒロポン」の登場する作品を残している。
やがて日本が敗戦すると同時に軍部が所蔵していた注射用アンプルがどっと流れ出て、戦後間もない闇市ではカストリ焼酎一杯より安い値段で1回分のアンプルが入手できたので、芸人や作家やバンドマンといった寸暇を惜しんで働く者たちから、興味半分で始めた若者まで瞬く間に広がって乱用者が増加していった。また1943年から1950年まで、薬局では印章さえ持っていけば誰でもヒロポンのアンプルや錠剤を購入可能で、タクシーの運転手や夜間勤務の工場作業員など、長時間労働が要求される職種の人々に好んで利用されていた。その疲労回復力から大変重宝された。だが実際は即効性の高いアンプルは常に闇に流れて常に品不足状態であり、薬局では錠剤しか入手できなかったことが、1949年の新聞で報道されている。この結果、日本ではメタンフェタミンが社会に蔓延し多数の依存症患者を生み出す事となった。
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はじめは医療従業者の疲労回復や学生の試験勉強の際に使われていた覚醒剤、それに目を付けたのは軍部であった。夜を徹して働く軍需工場の作業員の眠気防止・疲労回復に使われ、視力向上効果があることから夜間監視の戦闘員、夜間戦闘機搭乗員などに支給され、「突撃錠」「猫目錠」などと呼ばれていたという。
こうして覚醒剤は時局に沿って「国策薬」としての役割を追わされることになるが、これはなにも日本に限ったことではない。米英をはじめドイツも兵士たちに覚醒剤を支給し戦意の高揚を図った。米国では第二次世界大戦以後も、ベトナム戦争、湾岸戦争を通じて、デキストロ・アンフェタミン製剤「デキセドリン」(通称・スピード)を一部の兵士に処方し続けた。
「ヒロポン」500錠入り
覚醒剤の弊害が表面化するのは戦後の混乱期こと。敗戦の精神的虚脱にともなう刹那的享楽主義が蔓延するなか、軍部がストックしていた「ヒロポン」が大量に流出し闇で安価に販売された結果、乱用による中毒者が全国的に広がりはじめる。流出したのは純度の高いアンプル剤。ヒロポン中毒は「ポン中」と呼ばれ、「ヒロポン」は「国策薬」から一転「亡国への魔手」と称されるようになる。
一般市民のほかに芸能人、文筆家、芸術家などアーティストの多くが「ヒロポン」におぼれた。小説家では織田作之助、坂口安吾の常用が有名で、「ヒロポン」の登場する作品を残している。
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