嘘つきワトちゃん♪5
投稿者: maeenntotyau 投稿日時: 2008/05/28 09:27 投稿番号: [28678 / 63339]
♪大幅割愛
また、医師や鍼灸師、ヨーガ指導者、民間療法の指導者の場合にも、「その場で患者さんを楽にする」方法については時間をかけて 勉強しても、食生活についてはほとんど勉強していない場合が多いのです。
従ってほとんどは現代栄養教育の問題点にも気がつかず、「バランスをとりなさい」という言葉を繰り返すだけか、逆に疑問を持った人は、その正反対ともいうべき考え方、玄米菜食に興味を持ってしまいます。
実際に私自身もそうでしたが、「黒から白」であること、反栄養教育 であることの心地よさに酔っていたような気がしてならないのです。
そして「陰陽表」さえ手にすれば、それなりの指導ができてしまうのです。
そして自ら実践してみると体調もよくなるのです。
人にすすめてみても非常に調子がよくなる場合が多いのです。
(しかし、 いつまでも、誰に対してでもそれでよいのか……という疑問は持たないようです) 疑問を持つ前に指導者になってしまうようです。
その結果、食生活における絶対的真理を知ってしまうことになります。
もはやまったく疑いのない「自然の法則」「宇宙の真理」を知ってしまった指導者(マクロビアン)が誕生することになります。
そして、今でも続々と誕生しているのです。
もし自分が酔っていることに気がついていれば、少なくとも故日野厚先生、故馬淵通夫先生、飯野節男先生、河内省一先生、甲田光雄先生などが書いた本に出会っているはずなのです。
それらの先生は細かいところでは主張が違っても、玄米完全菜食運動に対してその問題点を書いているからです。
しかも、これらの先生が書いた本は一般の書店で容易に見つけることが可能な本なのです。
絶対的な真理を知ってしまった人たちからすれば、そのような異説を唱える先生たちは邪食によって判断力が鈍っているということになるのだと思います。
まさに、そこにあるのは教条主義(権威者の述べた事を鵜呑みにする融通のきかない公式主義)以外の何者でもないのです。
最後に……
食物の生産にもっとも関係が深いのは風土である。
人間は獣肉と魚肉とのいずれかを欲するかに従って畜か漁業かのいずれかを選んだわけではない。
風土的に牧畜か漁業かが決定せられているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられるに至ったのである。
同様に菜食か肉食を決定したものもまた、菜食主義者に見られるようなイデオロギーではなくして風土である。
(和辻哲郎著『風土』より)
エスキモーにとっては肉食が自然な食生活であり、遊牧民にとってはラクダの乳が自然な食生活なのかも知れません。
まさに、FOOD=風土が決めるものなのではないでしょうか?
また、医師や鍼灸師、ヨーガ指導者、民間療法の指導者の場合にも、「その場で患者さんを楽にする」方法については時間をかけて 勉強しても、食生活についてはほとんど勉強していない場合が多いのです。
従ってほとんどは現代栄養教育の問題点にも気がつかず、「バランスをとりなさい」という言葉を繰り返すだけか、逆に疑問を持った人は、その正反対ともいうべき考え方、玄米菜食に興味を持ってしまいます。
実際に私自身もそうでしたが、「黒から白」であること、反栄養教育 であることの心地よさに酔っていたような気がしてならないのです。
そして「陰陽表」さえ手にすれば、それなりの指導ができてしまうのです。
そして自ら実践してみると体調もよくなるのです。
人にすすめてみても非常に調子がよくなる場合が多いのです。
(しかし、 いつまでも、誰に対してでもそれでよいのか……という疑問は持たないようです) 疑問を持つ前に指導者になってしまうようです。
その結果、食生活における絶対的真理を知ってしまうことになります。
もはやまったく疑いのない「自然の法則」「宇宙の真理」を知ってしまった指導者(マクロビアン)が誕生することになります。
そして、今でも続々と誕生しているのです。
もし自分が酔っていることに気がついていれば、少なくとも故日野厚先生、故馬淵通夫先生、飯野節男先生、河内省一先生、甲田光雄先生などが書いた本に出会っているはずなのです。
それらの先生は細かいところでは主張が違っても、玄米完全菜食運動に対してその問題点を書いているからです。
しかも、これらの先生が書いた本は一般の書店で容易に見つけることが可能な本なのです。
絶対的な真理を知ってしまった人たちからすれば、そのような異説を唱える先生たちは邪食によって判断力が鈍っているということになるのだと思います。
まさに、そこにあるのは教条主義(権威者の述べた事を鵜呑みにする融通のきかない公式主義)以外の何者でもないのです。
最後に……
食物の生産にもっとも関係が深いのは風土である。
人間は獣肉と魚肉とのいずれかを欲するかに従って畜か漁業かのいずれかを選んだわけではない。
風土的に牧畜か漁業かが決定せられているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられるに至ったのである。
同様に菜食か肉食を決定したものもまた、菜食主義者に見られるようなイデオロギーではなくして風土である。
(和辻哲郎著『風土』より)
エスキモーにとっては肉食が自然な食生活であり、遊牧民にとってはラクダの乳が自然な食生活なのかも知れません。
まさに、FOOD=風土が決めるものなのではないでしょうか?
これは メッセージ 28677 (maeenntotyau さん)への返信です.
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