Re: 人間にとって大切なのは共感する能力な
投稿者: nyonyonyo2002 投稿日時: 2008/05/24 05:19 投稿番号: [27762 / 63339]
>案の定、最大の喜びが共感であることを知らない哀れな人生を送ってきたんだな。
共感は大いなる喜びだろうね。理解できもしない他人を分かったつもりになれるのだから。たいした自己満足だ。
他人は理解できないもの。だから理解しようと努めるわけだ。分かるかい?
理解できるという前提が間違っているんだよ。
>ジャックとクラウン
確かにあの老人は尊敬に値する人物だと思うよ。
ただね、「テレパシーでジャックに啓示を与えた」「イルカの出す「気」だと考える学者もいます」なんてのを見るとね、老人の周囲に群がる信者の気持ち悪さがどうしても先立ってしまう。
>クラウンは恋人が待つように毎日昼の12時になるとプールの同じ場所でジャックを待っていました。
「恋人」を「飼い犬」と置き換えてもなんら差し障りの無い文章だ。
>イルカの「気」が、人の心の病を治すとも考えられています。
アニマルセラピーなら、イルカでなくとも、犬でもネコでもネズミで鳥でも熱帯魚でもトカゲでも、何でも効果あるよ。「患者」が愛情を注げばね。一種の代償行為だからね、植物でもいいはずだよ。
>共感というのは、共に喜んだり、悲しんだりすることだよ、疎外君。
その程度か。もう少し哲学的な答えを期待していたんだがね。
>君は自分が存在することが決して証明できないことを知っているかね?
しかし、この世で最も確実で疑えないことは、「我共感する、故に我在り」
であることも事実なのだ。
は?「我共感する、故に我在り」って何?デカルトさんはそんなこと言ってないよ。まぁいい、少々付き合ってあげようか。
自己の存在は証明できない。流行ってるねこの考えかた。映画とか小説なんかにもちらほらとね。世界が自己を内包しているのか、それとも自己が世界を内包しているのか。また、唯物的な見方でありつつ、所詮この世界は眼球から電気信号に置き換えられて脳で処理されたものを見ているので、誰も世界の本当の姿を知らないとかね。
でもね、その点を議論したければ別だけど、普段は「自己が在ることを前提に」話を進めるわけだ。自己の存在を議論するのであれば、その前提を壊してつきつめていくだけでね。
つまり、俺は貴方の言う「共感」なるものの存在を認めていないわけね。他人の気持ちを勝手に推測して、そうに違いないと決め付けてるだけだというのが俺の考えだ。証明できないものであれば、その可能性も考慮しつつ、論理的に否定するなりすればいいものを…ね?前提は前提だからしょうがない、みたいな反論は本当にガキだよ。
かようにして、他人と理解しあえるなんてありえないのだよ。感情のベクトルが似たような向きを向いていたら、多少の誤差を無視して、「同じ方向を向いてる!分かり合えたんだ!」って妥協し自己満足に浸っているに過ぎず、ベクトルが完全に一致することはありえない。その誤差を無視できる能力を共感とでも言うつもりなのだろうか。確かに、その誤差を無視できれば幸せだろう。しかし、それが単に思い込みであり、実は他者が演技している可能性は無いだろうか?試しに、愛を交わした男女に聞いてみるといい、「セックスの最中に共感できましたか?」と。共感がただの幻想(思い込み)であることを証明する一つの方法だよ。
共感は大いなる喜びだろうね。理解できもしない他人を分かったつもりになれるのだから。たいした自己満足だ。
他人は理解できないもの。だから理解しようと努めるわけだ。分かるかい?
理解できるという前提が間違っているんだよ。
>ジャックとクラウン
確かにあの老人は尊敬に値する人物だと思うよ。
ただね、「テレパシーでジャックに啓示を与えた」「イルカの出す「気」だと考える学者もいます」なんてのを見るとね、老人の周囲に群がる信者の気持ち悪さがどうしても先立ってしまう。
>クラウンは恋人が待つように毎日昼の12時になるとプールの同じ場所でジャックを待っていました。
「恋人」を「飼い犬」と置き換えてもなんら差し障りの無い文章だ。
>イルカの「気」が、人の心の病を治すとも考えられています。
アニマルセラピーなら、イルカでなくとも、犬でもネコでもネズミで鳥でも熱帯魚でもトカゲでも、何でも効果あるよ。「患者」が愛情を注げばね。一種の代償行為だからね、植物でもいいはずだよ。
>共感というのは、共に喜んだり、悲しんだりすることだよ、疎外君。
その程度か。もう少し哲学的な答えを期待していたんだがね。
>君は自分が存在することが決して証明できないことを知っているかね?
しかし、この世で最も確実で疑えないことは、「我共感する、故に我在り」
であることも事実なのだ。
は?「我共感する、故に我在り」って何?デカルトさんはそんなこと言ってないよ。まぁいい、少々付き合ってあげようか。
自己の存在は証明できない。流行ってるねこの考えかた。映画とか小説なんかにもちらほらとね。世界が自己を内包しているのか、それとも自己が世界を内包しているのか。また、唯物的な見方でありつつ、所詮この世界は眼球から電気信号に置き換えられて脳で処理されたものを見ているので、誰も世界の本当の姿を知らないとかね。
でもね、その点を議論したければ別だけど、普段は「自己が在ることを前提に」話を進めるわけだ。自己の存在を議論するのであれば、その前提を壊してつきつめていくだけでね。
つまり、俺は貴方の言う「共感」なるものの存在を認めていないわけね。他人の気持ちを勝手に推測して、そうに違いないと決め付けてるだけだというのが俺の考えだ。証明できないものであれば、その可能性も考慮しつつ、論理的に否定するなりすればいいものを…ね?前提は前提だからしょうがない、みたいな反論は本当にガキだよ。
かようにして、他人と理解しあえるなんてありえないのだよ。感情のベクトルが似たような向きを向いていたら、多少の誤差を無視して、「同じ方向を向いてる!分かり合えたんだ!」って妥協し自己満足に浸っているに過ぎず、ベクトルが完全に一致することはありえない。その誤差を無視できる能力を共感とでも言うつもりなのだろうか。確かに、その誤差を無視できれば幸せだろう。しかし、それが単に思い込みであり、実は他者が演技している可能性は無いだろうか?試しに、愛を交わした男女に聞いてみるといい、「セックスの最中に共感できましたか?」と。共感がただの幻想(思い込み)であることを証明する一つの方法だよ。
これは メッセージ 27723 (discover_300 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019607/ja7dfa4ha5afa58a5ijdd8n_1/27762.html