Re: 理性的なものは倫理的・・・
投稿者: katsuochan2000 投稿日時: 2008/04/11 21:09 投稿番号: [20308 / 63339]
>真理は一つ、倫理も一つだ。間違った倫理、間違った真理があるだけ。
つまり、キミの言うところの真理と倫理を地球規模で貫けば、「人間は自然界の他の生物同様、その生存をも自然の摂理により淘汰されても仕方がない。」という考え方(結論)に到達するね。
「人間が生きること」、営む所行に関して、その真理は間違えていることになる。その真理を貫くために家畜狩猟漁をやめれば(間違いを是正するれば)確実に食糧難となり人間は淘汰される。
>道徳観や人道主義の進歩は、変化ではなく、真理の発見であると考えるべきもの。
ニワトリとタマゴであり、変化無くして真理の発見はなく、真理の発見は「環境や時代、先人たちによる先導により形成され、そのディテールは国や地域や時代、あげくは各家庭の変遷」つまり、変化により新たな真理が【学識者・有識者】により【構成】される。
現実論、構成されたその真理はその【経済的価値】の「損失」「有益」の大小により、一般社会への広がりの大小「善悪」となる。
机上論、その真理が人間として正しい真理であるかは、「人間が未来永劫に生きること」を「正しい真理」と見なすか、「人間が絶滅しても人間以外の動物の生存を重んじること」を「正しい真理」と見なすかにより、善悪は正反対となる。
>>その千差万別の感情である「可哀想」を反捕鯨へと収束させることは、
>可哀想、残酷の感情は人間に普遍。
その感情は普遍であることに異議はない。
しかし、生きるために必要と個々人が判断すれば人間は感情を押し殺せる動物である。また、人間に普遍な可哀想、残酷の感情「善」に正直な個々人は「死」を選択する。
つまり、究極には生命の危機に見舞われても感情に背き生きようとする努力は「悪」であり、感情に背くなら死を選択しなさい・・・とキミは言っている。
>これ以外に善悪の基準は無い。あると思うなら言ってごらん。
この基準が無いのが人格異常者(俗に”人でなし”)だ。
人格異常者とは・・・、人でなしとは・・・、具体的にどんな人か?
善悪の感情基準を持っていても、それを抑えきれない「感情と欲求」により、人格異常者以外の人間も結果的に人格異常者同様の行動を取ることがある。
したがって、行動結果のみでは「善悪の基準」を持ち合わせているか否かは判断できない。
>可哀想という気持ち(共感)は攻撃の抑制と保護行動を起動する為に存在する。
感情や気持ちで「攻撃の抑制と保護行動」を起動すると考えるなら逆も真なり・・・である。
つまり、自分自身が他人や動物より可哀想と思うことである。その自分自身への感情と現実の自分自身への保護行動のために攻撃抑制から解き放たれる。
>可哀想と感じない、可哀想でも殺せるという人格障害(既知害)は人殺しができることになる。
上記であるから、可哀想と感じる人間でも人殺しは出来る。自分が対象者よりも可哀想と思い、相手を可哀想と思うことより憎悪の念が勝る時に・・ね。
人は、「可哀想」と感じることだけでは抑制が効かなくなる生き物である。
キミの論は、使い古された教科書のような典型的な机上の論理である。
つまり、キミの言うところの真理と倫理を地球規模で貫けば、「人間は自然界の他の生物同様、その生存をも自然の摂理により淘汰されても仕方がない。」という考え方(結論)に到達するね。
「人間が生きること」、営む所行に関して、その真理は間違えていることになる。その真理を貫くために家畜狩猟漁をやめれば(間違いを是正するれば)確実に食糧難となり人間は淘汰される。
>道徳観や人道主義の進歩は、変化ではなく、真理の発見であると考えるべきもの。
ニワトリとタマゴであり、変化無くして真理の発見はなく、真理の発見は「環境や時代、先人たちによる先導により形成され、そのディテールは国や地域や時代、あげくは各家庭の変遷」つまり、変化により新たな真理が【学識者・有識者】により【構成】される。
現実論、構成されたその真理はその【経済的価値】の「損失」「有益」の大小により、一般社会への広がりの大小「善悪」となる。
机上論、その真理が人間として正しい真理であるかは、「人間が未来永劫に生きること」を「正しい真理」と見なすか、「人間が絶滅しても人間以外の動物の生存を重んじること」を「正しい真理」と見なすかにより、善悪は正反対となる。
>>その千差万別の感情である「可哀想」を反捕鯨へと収束させることは、
>可哀想、残酷の感情は人間に普遍。
その感情は普遍であることに異議はない。
しかし、生きるために必要と個々人が判断すれば人間は感情を押し殺せる動物である。また、人間に普遍な可哀想、残酷の感情「善」に正直な個々人は「死」を選択する。
つまり、究極には生命の危機に見舞われても感情に背き生きようとする努力は「悪」であり、感情に背くなら死を選択しなさい・・・とキミは言っている。
>これ以外に善悪の基準は無い。あると思うなら言ってごらん。
この基準が無いのが人格異常者(俗に”人でなし”)だ。
人格異常者とは・・・、人でなしとは・・・、具体的にどんな人か?
善悪の感情基準を持っていても、それを抑えきれない「感情と欲求」により、人格異常者以外の人間も結果的に人格異常者同様の行動を取ることがある。
したがって、行動結果のみでは「善悪の基準」を持ち合わせているか否かは判断できない。
>可哀想という気持ち(共感)は攻撃の抑制と保護行動を起動する為に存在する。
感情や気持ちで「攻撃の抑制と保護行動」を起動すると考えるなら逆も真なり・・・である。
つまり、自分自身が他人や動物より可哀想と思うことである。その自分自身への感情と現実の自分自身への保護行動のために攻撃抑制から解き放たれる。
>可哀想と感じない、可哀想でも殺せるという人格障害(既知害)は人殺しができることになる。
上記であるから、可哀想と感じる人間でも人殺しは出来る。自分が対象者よりも可哀想と思い、相手を可哀想と思うことより憎悪の念が勝る時に・・ね。
人は、「可哀想」と感じることだけでは抑制が効かなくなる生き物である。
キミの論は、使い古された教科書のような典型的な机上の論理である。
これは メッセージ 20217 (discover_300 さん)への返信です.
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