Re: 理性的なものは倫理的である
投稿者: discover_300 投稿日時: 2008/04/11 00:45 投稿番号: [20217 / 63339]
katsuochan2000 No.20123 >善悪の価値判断を決める要因の一つ「感情」は、環境や時代、先人たちによる先導により形成され、そのディテールは国や地域や時代、あげくは各家庭により千差万別である。
真理は一つ、倫理も一つだ。間違った倫理、間違った真理があるだけ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019607&tid=ja7dfa4ha5afa58a5ijdd8n&sid=552019607&mid=11174
道徳観や人道主義の進歩は、変化ではなく、真理の発見であると考えるべきもの。
何故なら、善悪は普遍性を持つ言葉として定義され、それ故に絶大な命令力を有しており、
変転するものならば、これらとの整合性が取れなくなる。
即ち、変化するものなら、「善悪は存在しない」のと同等となる。
>その千差万別の感情である「可哀想」を反捕鯨へと収束させることは、
可哀想、残酷の感情は人間に普遍。これ以外に善悪の基準は無い。
あると思うなら言ってごらん。
この基準が無いのが人格異常者(俗に”人でなし”)だ。基準が曖昧なのが境界型。
可哀想という気持ち(共感)は攻撃の抑制と保護行動を起動する為に存在する。
人を殺してはいけない理由は可哀想だからである。正直に言ってこれ(”共感”)以上の理由は無い。
163.人を殺してはいけない理由=4014
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019607&tid=ja7dfa4ha5afa58a5ijdd8n&sid=552019607&mid=10558
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835563&tid=a5afa58a5ildbja4ka4da4a 4a4f&sid=1835563&action=m&mid=4014
可哀想と感じない、可哀想でも殺せるという人格障害(既知害)は人殺しができることになる。
事実、そういう既知害による快楽殺人が立て続けに何度も起こって旧世代を驚愕させたのだ。
それは、ここのクジラ殺しのそれ「可哀想だが食う」と全く根が同じである。
苛めを見ても「可哀想だが何もしない」と同じである。
可哀想だが”できない(無力感)”のと”しない(不作為、無関心)”のでは全く違う。
その根を作ったのは旧世代の善も悪も相対化した自己欺瞞、誤魔化しにある。
この既知害を抑制しているのは倫理ではなく、恥でもなく、捕まった場合の恐怖だけである。
クジラ殺しは善と悪の区別がつかない。
これが犯罪の土壌であることは論を待たない。
真理は一つ、倫理も一つだ。間違った倫理、間違った真理があるだけ。
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道徳観や人道主義の進歩は、変化ではなく、真理の発見であると考えるべきもの。
何故なら、善悪は普遍性を持つ言葉として定義され、それ故に絶大な命令力を有しており、
変転するものならば、これらとの整合性が取れなくなる。
即ち、変化するものなら、「善悪は存在しない」のと同等となる。
>その千差万別の感情である「可哀想」を反捕鯨へと収束させることは、
可哀想、残酷の感情は人間に普遍。これ以外に善悪の基準は無い。
あると思うなら言ってごらん。
この基準が無いのが人格異常者(俗に”人でなし”)だ。基準が曖昧なのが境界型。
可哀想という気持ち(共感)は攻撃の抑制と保護行動を起動する為に存在する。
人を殺してはいけない理由は可哀想だからである。正直に言ってこれ(”共感”)以上の理由は無い。
163.人を殺してはいけない理由=4014
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可哀想と感じない、可哀想でも殺せるという人格障害(既知害)は人殺しができることになる。
事実、そういう既知害による快楽殺人が立て続けに何度も起こって旧世代を驚愕させたのだ。
それは、ここのクジラ殺しのそれ「可哀想だが食う」と全く根が同じである。
苛めを見ても「可哀想だが何もしない」と同じである。
可哀想だが”できない(無力感)”のと”しない(不作為、無関心)”のでは全く違う。
その根を作ったのは旧世代の善も悪も相対化した自己欺瞞、誤魔化しにある。
この既知害を抑制しているのは倫理ではなく、恥でもなく、捕まった場合の恐怖だけである。
クジラ殺しは善と悪の区別がつかない。
これが犯罪の土壌であることは論を待たない。
これは メッセージ 20123 (katsuochan2000 さん)への返信です.
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