Re: 理性的なものは倫理的である
投稿者: discover_300 投稿日時: 2008/04/11 01:13 投稿番号: [20227 / 63339]
cgtbx039 No.20100 >大多数と言うのは、どのような事で言えるのですか。
<以下引用>
また、カナダの人類学者ミルトン・フリーマン(Milton Freeman)が1992年初頭にカナダのギャラップ社に依頼して、オーストラリア、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本、ノルウェーの6ヵ国で行った世論調査(サンプル数はアメリカが1000名、他はそれぞれ500名)においても、「あなたは”鯨のような知能の高い生き物を殺すなんて信じられない”という主張に同意できますか?」という設問において、「イエス」の割合がそれぞれ 63.9、64.2、55.8、57.0、24.6、21.8 パーセントとなっていて、「知能が高い鯨」を殺す事に対する反感が反捕鯨国で高い事をうかがわせている(ちなみに「ノー」の割合は 21.7、20.1、23.5、24.8、47.9、57.1パーセントである)。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<このデータの読み方>
1.両極のイギリス(動物愛護国)とノルウェー(最強捕鯨国)を比較しても、平均が「イエス側」にある。
1.捕鯨と無関係のドイツ人のが最も中立的な感覚(国際世論に近い)と言える。
1.反捕鯨国の方が圧倒的に多いことが推測できる。
>では、反捕鯨団体として、今もっとも有名なシーシェパードの行動は、文明人としての行動、言動なんでしょうか。
非暴力の実力行使は如何にも文明人らしい。
それに対して暴力による反撃しかできない下類の野蛮人。
>残酷な行為とは、捕鯨だけではないですよ、牛、豚、鶏、同じですよ。
苦痛を与えない牛、豚、鶏等の屠殺は残酷ではない。
それは死刑が残酷でないのと同様だ。
植物もブタも食われる為に存在するのだから、
食われること自体は可哀想なことではない。
しかし、どうせ殺されるからといって苦痛を与えることは残酷なことで、可哀想なことだ。
この当たり前の感情も無い既知害であるクジラ殺しは先ずここで残虐な本性を暴露する。
9004 sendagaya_mitsuo(=GSX450E)>しょうがないんじゃないの?人間そのものが残虐な生き物なんだからさ。
7688 ts657738>技術的には2分40秒ほどでの捕殺が可能です。そもそも、致死時間によって残酷である・残酷ではないとする判断基準というものは、どこから来ているのでしょうか。
4092 ae1879born>殺される側にとっちゃ一緒だよ。ただ殺される側にとって愛情があろうが最初から食べられるために存在しようが痛みがあろうが無かろうが関係ない。殺したという結果で見れば同罪です。
餓鬼の鏡>「痛みも苦しみも感じる事の出来る知能ある動物を6分もかけて殺すなんて残酷」
なんていう彼らのセリフは、私にはどうしても腑に落ちないのだ。そんなの人間が勝手に自分達の基準に照らし合わせて『想定』してるだけであって、数秒で屠殺されるブタの苦しみが6分で殺されるクジラより小さいかどうかなんて誰にも分かりはしないのだ。
但し、この理性を必要とする判断を幼児や小学低学年生に理解させるには無理がある。
ブタのように食われる為に生まれてきた動物も、それを殺す時は残酷な感覚を与え、
可哀想と思ってしまうから自らは殺せないものだ。
トルストイが言うように、自ら食べる為に殺さざるを得ないとしたなら獣食を止める人間は大勢いることだろう。
殺生に自分や家族を感情移入して可哀想と感じるのは一元的で不器用な感性には仕方が無い。
そこで殺生全般を悪として、その例外を必要悪として捉えた方が分かり易い。
死刑も必要悪であるし、交通事故死も広義では必要悪である。
<以下引用>
また、カナダの人類学者ミルトン・フリーマン(Milton Freeman)が1992年初頭にカナダのギャラップ社に依頼して、オーストラリア、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本、ノルウェーの6ヵ国で行った世論調査(サンプル数はアメリカが1000名、他はそれぞれ500名)においても、「あなたは”鯨のような知能の高い生き物を殺すなんて信じられない”という主張に同意できますか?」という設問において、「イエス」の割合がそれぞれ 63.9、64.2、55.8、57.0、24.6、21.8 パーセントとなっていて、「知能が高い鯨」を殺す事に対する反感が反捕鯨国で高い事をうかがわせている(ちなみに「ノー」の割合は 21.7、20.1、23.5、24.8、47.9、57.1パーセントである)。
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<このデータの読み方>
1.両極のイギリス(動物愛護国)とノルウェー(最強捕鯨国)を比較しても、平均が「イエス側」にある。
1.捕鯨と無関係のドイツ人のが最も中立的な感覚(国際世論に近い)と言える。
1.反捕鯨国の方が圧倒的に多いことが推測できる。
>では、反捕鯨団体として、今もっとも有名なシーシェパードの行動は、文明人としての行動、言動なんでしょうか。
非暴力の実力行使は如何にも文明人らしい。
それに対して暴力による反撃しかできない下類の野蛮人。
>残酷な行為とは、捕鯨だけではないですよ、牛、豚、鶏、同じですよ。
苦痛を与えない牛、豚、鶏等の屠殺は残酷ではない。
それは死刑が残酷でないのと同様だ。
植物もブタも食われる為に存在するのだから、
食われること自体は可哀想なことではない。
しかし、どうせ殺されるからといって苦痛を与えることは残酷なことで、可哀想なことだ。
この当たり前の感情も無い既知害であるクジラ殺しは先ずここで残虐な本性を暴露する。
9004 sendagaya_mitsuo(=GSX450E)>しょうがないんじゃないの?人間そのものが残虐な生き物なんだからさ。
7688 ts657738>技術的には2分40秒ほどでの捕殺が可能です。そもそも、致死時間によって残酷である・残酷ではないとする判断基準というものは、どこから来ているのでしょうか。
4092 ae1879born>殺される側にとっちゃ一緒だよ。ただ殺される側にとって愛情があろうが最初から食べられるために存在しようが痛みがあろうが無かろうが関係ない。殺したという結果で見れば同罪です。
餓鬼の鏡>「痛みも苦しみも感じる事の出来る知能ある動物を6分もかけて殺すなんて残酷」
なんていう彼らのセリフは、私にはどうしても腑に落ちないのだ。そんなの人間が勝手に自分達の基準に照らし合わせて『想定』してるだけであって、数秒で屠殺されるブタの苦しみが6分で殺されるクジラより小さいかどうかなんて誰にも分かりはしないのだ。
但し、この理性を必要とする判断を幼児や小学低学年生に理解させるには無理がある。
ブタのように食われる為に生まれてきた動物も、それを殺す時は残酷な感覚を与え、
可哀想と思ってしまうから自らは殺せないものだ。
トルストイが言うように、自ら食べる為に殺さざるを得ないとしたなら獣食を止める人間は大勢いることだろう。
殺生に自分や家族を感情移入して可哀想と感じるのは一元的で不器用な感性には仕方が無い。
そこで殺生全般を悪として、その例外を必要悪として捉えた方が分かり易い。
死刑も必要悪であるし、交通事故死も広義では必要悪である。
これは メッセージ 20100 (cgtbx039 さん)への返信です.
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