君は心を病んでいる
投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2008/04/06 06:08 投稿番号: [19769 / 63339]
犬を食うのはウリナラ文化圏一般の習慣である。
日本もウリナラ文化圏に属するから当然犬を食う。ただし、縄文時代、日本はウリナラ様の優れた文化の恩恵に浴さず、野蛮な狩猟生活をおくっていた。狩猟に犬は必要だったから縄文人は原則的に犬を食べなかったニダ。
ウリナラの高度経済成長は人口の増大と競争の激化をもたらし、落ちこぼれたウリナラ人の劣等なものは奴婢になり、白丁とよばれ差別され、日本へ都落ちていった。これが日本では弥生人と呼ばれ、現在のチョッパリの根幹となっている。弥生人はウリナラの落ちこぼれであるから、無知文盲、文字や仏教を知るのはず〜とあとの時代だ。しかし、このとき、弥生人がウリナラから日本にもって渡ったものが三つある。
稲と青銅器と犬だ。犬は縄文時代にも日本にいたが、縄文犬と弥生犬は種類も大きさも全くちがう。犬には狩猟、番犬、食用の三つの用途がある。農耕民族である弥生人に猟犬は必要ない。弥生人は食用の目的で犬を日本に持ち込んだのだ。
縄文犬は数百体出土してるが、弥生犬の出土例が極めて少ないのは弥生人が犬を骨までしゃぶった為と思われるニダ。犬は火で焼くのではなく、鍋で煮て食べたことが確認されている。 これは今でもウリナラでは普通の犬の食べかたニダ。
天武天皇のとき、いわゆる「肉食禁止令」が出たとされ、それ以後チョッパリは獣を食べなくなったと信じられているヨ。この詔は、牛、馬、犬、猿、鶏の五畜の肉食を禁じている。しかし、それは4月から9月のあいだだけニダ。そもそも禁止令がでること自体、食べていた証拠であるスミダ。
織田信長は牛や犬が好きで、猫もたべたと宣教師の書いたものにあったとおもう。徳川家康は鷹狩が好きだった。その獲物をどうしたと思う? 皇室に献上したことすらある。
チョッパリは弥生以後、肉食をやめたことは一度としてない。
チョッパリの歴史捏造はいつものことだが、西洋カブレせず、もっと自分たちの食文化に誇りを持つべきだ。ウリナラがオリンピックのとき、犬肉ハンバーグを新開発し、西洋の野蛮人どもの関心を集めたことを見習うべきだ。
「犬が油断して町を歩いていると、棒で打ち殺されて食われてしまう。」
大道寺友山の『落穂集』には、「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、犬と申すものはまれにて、見當り不レ申候。若したまさか見當り候へは、武家町方共に下々のたべものには犬にまさりたる物は無レ之とて、冬向になり候へば、見掛け次第に打ち殺し、賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」
江戸の町方に犬はほとんどいなかった。というのも、武家方町方ともに、下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになると、見つけ次第撃ち殺して食べたからである。
ウリナラの高度経済成長は人口の増大と競争の激化をもたらし、落ちこぼれたウリナラ人の劣等なものは奴婢になり、白丁とよばれ差別され、日本へ都落ちていった。これが日本では弥生人と呼ばれ、現在のチョッパリの根幹となっている。弥生人はウリナラの落ちこぼれであるから、無知文盲、文字や仏教を知るのはず〜とあとの時代だ。しかし、このとき、弥生人がウリナラから日本にもって渡ったものが三つある。
稲と青銅器と犬だ。犬は縄文時代にも日本にいたが、縄文犬と弥生犬は種類も大きさも全くちがう。犬には狩猟、番犬、食用の三つの用途がある。農耕民族である弥生人に猟犬は必要ない。弥生人は食用の目的で犬を日本に持ち込んだのだ。
縄文犬は数百体出土してるが、弥生犬の出土例が極めて少ないのは弥生人が犬を骨までしゃぶった為と思われるニダ。犬は火で焼くのではなく、鍋で煮て食べたことが確認されている。 これは今でもウリナラでは普通の犬の食べかたニダ。
天武天皇のとき、いわゆる「肉食禁止令」が出たとされ、それ以後チョッパリは獣を食べなくなったと信じられているヨ。この詔は、牛、馬、犬、猿、鶏の五畜の肉食を禁じている。しかし、それは4月から9月のあいだだけニダ。そもそも禁止令がでること自体、食べていた証拠であるスミダ。
織田信長は牛や犬が好きで、猫もたべたと宣教師の書いたものにあったとおもう。徳川家康は鷹狩が好きだった。その獲物をどうしたと思う? 皇室に献上したことすらある。
チョッパリは弥生以後、肉食をやめたことは一度としてない。
チョッパリの歴史捏造はいつものことだが、西洋カブレせず、もっと自分たちの食文化に誇りを持つべきだ。ウリナラがオリンピックのとき、犬肉ハンバーグを新開発し、西洋の野蛮人どもの関心を集めたことを見習うべきだ。
「犬が油断して町を歩いていると、棒で打ち殺されて食われてしまう。」
大道寺友山の『落穂集』には、「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、犬と申すものはまれにて、見當り不レ申候。若したまさか見當り候へは、武家町方共に下々のたべものには犬にまさりたる物は無レ之とて、冬向になり候へば、見掛け次第に打ち殺し、賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」
江戸の町方に犬はほとんどいなかった。というのも、武家方町方ともに、下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになると、見つけ次第撃ち殺して食べたからである。
これは メッセージ 19738 (twin_hayabide さん)への返信です.
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