Re: 教えていただけますか。
投稿者: akagote 投稿日時: 2008/03/29 22:49 投稿番号: [18199 / 63339]
遅くなってすみません。
まず、『ブッダが肉食を否定していない』という記述の元になったと思われる文言の一つを上げておきます。
…梵天の親族であるあなたは、おいしく料理された鳥肉とともに米飯を味わって食べながら、しかも〈私はなまぐさものを許さない〉と称している。カッサパよ、わたくしはあなたにこの意味を尋ねます。あなたの言う〈なまぐさ〉とはどんなものなのですか。」
「生きものを殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、騙すこと、邪曲を学習すること、他人の妻に親近すること、─これが〈なまぐさ〉である。肉食することが〈なまぐさい〉のではない。…
(以上、『スッタニパータ(経集)』241-242より)
この記述は過去七仏が一人カッサパ(迦葉)仏がある男に教えを説いた時の様子を(第一次か第二次かは判りませんが)結集の際に口伝したもののようです。
釈尊本人の発言ではありませんが、仏教を形作る上で重要な存在が発した言葉のようで。
その後、これが否定されずに残っているというのはポイントですね。
> 不殺生を第一義に置いてることと整合性が取れないということだよ。
> それは余りに情報リテラシー能力が無いということだろう。
> 仏教国であった日本(北伝)が千年以上、肉食を禁止していたことを知っていれば、
> 直ぐに矛盾に気付く筈だよ。
不殺生戒は『有情のものに対しての直接殺及び間接殺を戒める事』を理想としているのは間違いないでしょう。
ただ、『所有あるもの(=一般衆生)』が僧・修行者と同じく所有・執著を捨て去り全ての戒めを常に守っていく事ができるかといえば、否です。
事実、初期の八斎戒(五戒にさらに三つの戒を加えたもの)について、そして日本国内において施行された肉食に関する詔については『ひと月のうちの数日、もしくは数ヶ月の期間』の間のみ戒め、修めるように謳っています。
『禁止』というより、『制限』と表記する方が実情に近いようですね。
(八斎戒の修め方についてはブッダ自身の言葉の伝聞として『スッタニパータ』の385-404に記されております。)
所謂『貪・瞋・痴(むさぼり、いかり、無知)』を戒める事が仏教としては重要でしょうし、一般衆生・在家者に対しての厳しすぎる戒めはかえって瞋を世に満ちさせるでしょう。
さらに国内では、676年4月17日に出された肉食禁止令の詔で制限の対象を『鶏・牛・馬・犬・猿』の五畜にとどめ、山鳥や鹿・猪などは制限されていなかったとも聞きます。
その後も大仏建立にあわせて全ての肉食を禁じる詔は二度ほど出されたようですが1年ないし3年の時限付きですし、完全な肉食禁止には至っていないと見るほうが自然ではないでしょうか?
仏教の影響によって肉食の機会・量が減っていった可能性はありますが、その辺の記述は今のところ目に止まっていません。
ですので、これに対して反証されるのは結構ですがきちんと物証を明示して下さいね。禁止にせよ制限にせよ、本書にせよ伝聞にせよ、文書として残らない詔・戒は無いのですから。
> これを鵜呑みにしてる者はいないし、何の権威も無いのは常識じゃないか。
…権威? リテラシー云々を説く貴方が権威など持ち出すのですか?
それこそ情報リテラシーにとって権威など害はあっても益にはなりませんよ。
『神の手』が掘り出した物は全て該当する時代の発掘物でしたか?
政府の語る政情は全て真実ですか?
権威の有無で語るというのはそういうことですよ。
検証性を問題にするならまだしもですが。
レスを繰り返しているうちに話がずれてきましたので元に戻しますが、『ブッダが肉食と凶暴性の因果関係を指摘した』という物証・論拠を貴方が未だ提示していない(貴方が今まで書いてきたのは貴方自身のの『意見・考え』に対する『意見・考え』による補足のみで、ブッダの指摘である事の『立証』は示されていない)のですから、その辺りを御明示願います。
最後に、カントのありがたい言葉を頂きましたので、返礼として此方からも。
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
(『ダンマパダ』5)
暴言・罵詈雑言も同じ事、誰に対しても同じ事です。正常な議論・意見交換の為にも御協力をお願い致します。
では、失礼致します。
まず、『ブッダが肉食を否定していない』という記述の元になったと思われる文言の一つを上げておきます。
…梵天の親族であるあなたは、おいしく料理された鳥肉とともに米飯を味わって食べながら、しかも〈私はなまぐさものを許さない〉と称している。カッサパよ、わたくしはあなたにこの意味を尋ねます。あなたの言う〈なまぐさ〉とはどんなものなのですか。」
「生きものを殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、騙すこと、邪曲を学習すること、他人の妻に親近すること、─これが〈なまぐさ〉である。肉食することが〈なまぐさい〉のではない。…
(以上、『スッタニパータ(経集)』241-242より)
この記述は過去七仏が一人カッサパ(迦葉)仏がある男に教えを説いた時の様子を(第一次か第二次かは判りませんが)結集の際に口伝したもののようです。
釈尊本人の発言ではありませんが、仏教を形作る上で重要な存在が発した言葉のようで。
その後、これが否定されずに残っているというのはポイントですね。
> 不殺生を第一義に置いてることと整合性が取れないということだよ。
> それは余りに情報リテラシー能力が無いということだろう。
> 仏教国であった日本(北伝)が千年以上、肉食を禁止していたことを知っていれば、
> 直ぐに矛盾に気付く筈だよ。
不殺生戒は『有情のものに対しての直接殺及び間接殺を戒める事』を理想としているのは間違いないでしょう。
ただ、『所有あるもの(=一般衆生)』が僧・修行者と同じく所有・執著を捨て去り全ての戒めを常に守っていく事ができるかといえば、否です。
事実、初期の八斎戒(五戒にさらに三つの戒を加えたもの)について、そして日本国内において施行された肉食に関する詔については『ひと月のうちの数日、もしくは数ヶ月の期間』の間のみ戒め、修めるように謳っています。
『禁止』というより、『制限』と表記する方が実情に近いようですね。
(八斎戒の修め方についてはブッダ自身の言葉の伝聞として『スッタニパータ』の385-404に記されております。)
所謂『貪・瞋・痴(むさぼり、いかり、無知)』を戒める事が仏教としては重要でしょうし、一般衆生・在家者に対しての厳しすぎる戒めはかえって瞋を世に満ちさせるでしょう。
さらに国内では、676年4月17日に出された肉食禁止令の詔で制限の対象を『鶏・牛・馬・犬・猿』の五畜にとどめ、山鳥や鹿・猪などは制限されていなかったとも聞きます。
その後も大仏建立にあわせて全ての肉食を禁じる詔は二度ほど出されたようですが1年ないし3年の時限付きですし、完全な肉食禁止には至っていないと見るほうが自然ではないでしょうか?
仏教の影響によって肉食の機会・量が減っていった可能性はありますが、その辺の記述は今のところ目に止まっていません。
ですので、これに対して反証されるのは結構ですがきちんと物証を明示して下さいね。禁止にせよ制限にせよ、本書にせよ伝聞にせよ、文書として残らない詔・戒は無いのですから。
> これを鵜呑みにしてる者はいないし、何の権威も無いのは常識じゃないか。
…権威? リテラシー云々を説く貴方が権威など持ち出すのですか?
それこそ情報リテラシーにとって権威など害はあっても益にはなりませんよ。
『神の手』が掘り出した物は全て該当する時代の発掘物でしたか?
政府の語る政情は全て真実ですか?
権威の有無で語るというのはそういうことですよ。
検証性を問題にするならまだしもですが。
レスを繰り返しているうちに話がずれてきましたので元に戻しますが、『ブッダが肉食と凶暴性の因果関係を指摘した』という物証・論拠を貴方が未だ提示していない(貴方が今まで書いてきたのは貴方自身のの『意見・考え』に対する『意見・考え』による補足のみで、ブッダの指摘である事の『立証』は示されていない)のですから、その辺りを御明示願います。
最後に、カントのありがたい言葉を頂きましたので、返礼として此方からも。
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
(『ダンマパダ』5)
暴言・罵詈雑言も同じ事、誰に対しても同じ事です。正常な議論・意見交換の為にも御協力をお願い致します。
では、失礼致します。
これは メッセージ 15317 (discover_300 さん)への返信です.
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