Re: 死刑制度と武士道 ①
投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2006/07/07 21:22 投稿番号: [93393 / 118550]
無邪気にも
サムライと呼ばれて喜ぶ
馬鹿多し
そういえばワールドカップの日本代表選手もサムライと呼ばれていたなあ(笑)。レッドカードに激怒して「俺を誰だと思っている!八幡太郎の末裔だ!」と叫び、審判に跳び蹴りでも食らわせば、それこそがサムライと呼ばれたであろうに・・・。
>悪人だから死刑になるのではない。善人であっても死刑相当な罪を犯せば死刑になる。
人間は変わりうるものだから、どんな凶悪犯でも犯罪を悔い改め、善人に更正することもある。死刑とはそうしてから殺すという面があるということ。
>>一体誰が誰に「仇討ち」ができるのだ?
>死刑制度はあだ討ちではないが。
これは二歳の幼児が親に熱湯をかけられて殺された事件について書いたもの。残された遺族は二人の兄弟。Mさんの主張の根本には「仇討ちは是」がある。その主張が普遍的でないのは、その虐待死の事例を見れば明らか。
メディアはMさんと異なる意見は流さないから、たった一つの意見―─厳罰厳罰厳罰そして「仇討ちは是」。
>>死刑制度はヤクザ的暴力団的殺し屋的な野蛮な制度ということで、それすなわち野蛮な死刑制度は武士道に合致しているのである。
>平安時代に死刑を復活させた藤原信西は公家であって武士ではない。
この珍しくも鋭い反論はご立派。
まあ殺し屋稼業の武士の野蛮な論理が社会に蔓延しだして、それを察知して死刑復活とはかえって納得するのでは?もっとも、もし信西が復活させなかっとしても、武士の世になれば遅かれ早かれ死刑は復活したであろうし・・・。死刑を復活させた信西が、保元の乱の3年後、平治の乱(1159年)で処刑されるなんて、いとおかし。
***
義家は暴力団組長なのか?
▼ 八幡太郎はおそろしや
http://murashita.que.jp/hei2.htm
▼ http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/band/ban-403.htm
武者の世
・・・・・
□ ただ武者の世の到来を示す象徴的な出来事がある。死刑の復活である。九世紀のはじめ、奈良時代のおわりに薬子の変で藤原仲成が殺されて以来、三百五十年間、死刑は宣告されても遠流に処すのが通例だった。死者は蘇らないという仏教思想の影響もあって、血を忌み嫌い、清浄を善しとする王朝文化の根底を支えてきた。この死刑復活によって、源義朝は父為義はじめ幼い弟たちを斬処させられたのである。しかも、死刑復活を主張したのは義朝などの武家ではなく、公家貴族の藤原信西であったところに、世をあげて猛々しい「武者の世」の始まりをあらわしていた。
そういえばワールドカップの日本代表選手もサムライと呼ばれていたなあ(笑)。レッドカードに激怒して「俺を誰だと思っている!八幡太郎の末裔だ!」と叫び、審判に跳び蹴りでも食らわせば、それこそがサムライと呼ばれたであろうに・・・。
>悪人だから死刑になるのではない。善人であっても死刑相当な罪を犯せば死刑になる。
人間は変わりうるものだから、どんな凶悪犯でも犯罪を悔い改め、善人に更正することもある。死刑とはそうしてから殺すという面があるということ。
>>一体誰が誰に「仇討ち」ができるのだ?
>死刑制度はあだ討ちではないが。
これは二歳の幼児が親に熱湯をかけられて殺された事件について書いたもの。残された遺族は二人の兄弟。Mさんの主張の根本には「仇討ちは是」がある。その主張が普遍的でないのは、その虐待死の事例を見れば明らか。
メディアはMさんと異なる意見は流さないから、たった一つの意見―─厳罰厳罰厳罰そして「仇討ちは是」。
>>死刑制度はヤクザ的暴力団的殺し屋的な野蛮な制度ということで、それすなわち野蛮な死刑制度は武士道に合致しているのである。
>平安時代に死刑を復活させた藤原信西は公家であって武士ではない。
この珍しくも鋭い反論はご立派。
まあ殺し屋稼業の武士の野蛮な論理が社会に蔓延しだして、それを察知して死刑復活とはかえって納得するのでは?もっとも、もし信西が復活させなかっとしても、武士の世になれば遅かれ早かれ死刑は復活したであろうし・・・。死刑を復活させた信西が、保元の乱の3年後、平治の乱(1159年)で処刑されるなんて、いとおかし。
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義家は暴力団組長なのか?
▼ 八幡太郎はおそろしや
http://murashita.que.jp/hei2.htm
▼ http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/band/ban-403.htm
武者の世
・・・・・
□ ただ武者の世の到来を示す象徴的な出来事がある。死刑の復活である。九世紀のはじめ、奈良時代のおわりに薬子の変で藤原仲成が殺されて以来、三百五十年間、死刑は宣告されても遠流に処すのが通例だった。死者は蘇らないという仏教思想の影響もあって、血を忌み嫌い、清浄を善しとする王朝文化の根底を支えてきた。この死刑復活によって、源義朝は父為義はじめ幼い弟たちを斬処させられたのである。しかも、死刑復活を主張したのは義朝などの武家ではなく、公家貴族の藤原信西であったところに、世をあげて猛々しい「武者の世」の始まりをあらわしていた。
これは メッセージ 93375 (evangelical_knight さん)への返信です.
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