「テロの時代」への重大な疑問
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/05/25 01:06 投稿番号: [91848 / 118550]
ノーム・チョムスキー 2002年9月
http://www.gifu-u.ac.jp/~terasima/essay0209terrorage.html
(前略)
ムジャヒディンが支配権を握ってからはアフガニスタンの人々にとって残忍な結果となりました。米国の諜報機関はこれらネットワークの他の偉業を確かに綿密に追いかけてきました。20年前にエジプトのアンウワー・サダト大統領を彼らが暗殺して以来ずっとです。さらには、1993年の非常に野心的なテロリスト作戦で、世界貿易センターや他の多くの目標物を爆破しようという試みがあって以来は集中的に追いかけてきました。
それにもかかわらず、史上最大の集中的国際諜報機関の調査にもかかわらず、9・11犯の証拠は発見するのが困難でした。爆撃から8ヶ月後、FBI局長ロバート・ミューラーは議会で証言して、次のように言っただけでした。「他の場所で計画・実行されたが、陰謀はアフガニスタンで企てられたと、米国の諜報機関は今のところ“信じています”」と。
(中略)
同じような疑問が、潜在的脅威への「先制攻撃」という「ブッシュドクトリン」に関しても沸きあがります。そのドクトリンが新しいものでないことは注目すべきことです。政策決定の高官たちはみなレーガン政権の残留者で、レーガン政権といえば、リビアへの爆撃が「将来の攻撃に対する自己防衛」として国連憲章下で正当化されていると主張したのです。クリントンの政策立案者たちも、「先制対応」(核先制攻撃を含む)を進言していました。そのドクトリンはもっと前に先例があったというわけです。
それにもかかわらず、そうした先制攻撃権を「あからさまに」「堂々と」主張するのは全く新しいことであり、脅威を誰だと言っているのかも秘密ではないのです。政府と時事解説者は、そのドクトリンをイラクに適用するつもりだと、大声で明確に強調しています。したがって、普遍性の初歩的基準は、イラクを米国に対する「先制的恐怖」だと位置づけているように見えますが、もちろん誰もこの結論は受け入れません。
またもし私たちが初歩的道徳原理を採用するならば、明白な疑問が沸きあがります。そして、世界がどう考えようが気にも留めず強国が勝手に実行する権利を認めるという、この「先制対応」原則の選択を主張し黙認する人々は、その「明白な疑問」に答えなければならなくなるのです。その立証責任は軽いものではありません。暴力による脅しや暴力の使用が支持され黙認される時、それに対する立証責任が必要だということは常に真実なのです。
以上の単純な議論への対案はもちろんあります。つまり、「我々」は善で「奴ら」は悪だ、という原則です。その実利的原則はどのような議論に対しても実際的切り札になるのです。論評の分析や研究で明らかになっているのは、そのルーツが上記の決定的原則に則っていて、しかもそれは議論の対象でなく断定あるのみだということです。
滅多にあることではありませんが、しかし時々、いらだった人たちが、近現代史の記録をもって上記の核心的原理に対決しようとします。こうして私達はテロにたいする対応を観察することによって、支配的な文化基準について多くを学べますし、この「異説への転落」を思いとどまらせるために打ち建てられた興味深い一連の障壁も学べます。
もちろん、この支配的な文化基準と一連の障壁のどちらも、現代の権力中枢部と支配的な知的文化による発明ではありません。それは以前から存在していました。それでもなお、少なくとも私たちが今どこに立ち、この先何が起こるのかを理解したいという関心のある人々にとっては、それは注意を払う価値があるものです。
長期的に見ると、9・11の犯罪がすでに進行中の傾向を加速するだろうと私は思っています。ブッシュ・ドクトリンがその実例です。すぐに予測されたように世界中の政府は9・11を、国内の厳しい抑圧的プログラムを拡大する機会の窓と捉らえました。ロシアは熱心に「対テロ同盟」に加わりました。これはチェチェンでの恐ろしい残虐行為の許可を期待してのことです。そしてロシアは失望しませんでした。中国も同じ理由のために嬉しそうに「対テロ同盟」に加わりました。
(中略)
米国を含め多くの民主主義社会は、恐怖感を煽り「愛国心」を強要しながら、国内の人々に規律を押し付ける施策を行いました。「テロと戦う」という口実で評判のよくない施策を行なったのです。実際そのことが意味するのは「お前は黙っていろ。俺は容赦なく俺自身の予定を追及するからな。」ということなのです。
この機会を利用して、ブッシュ政権は、国民や若い世代への攻撃を進め、度はずれに政権支配する独占企業の利益に奉仕してい
http://www.gifu-u.ac.jp/~terasima/essay0209terrorage.html
(前略)
ムジャヒディンが支配権を握ってからはアフガニスタンの人々にとって残忍な結果となりました。米国の諜報機関はこれらネットワークの他の偉業を確かに綿密に追いかけてきました。20年前にエジプトのアンウワー・サダト大統領を彼らが暗殺して以来ずっとです。さらには、1993年の非常に野心的なテロリスト作戦で、世界貿易センターや他の多くの目標物を爆破しようという試みがあって以来は集中的に追いかけてきました。
それにもかかわらず、史上最大の集中的国際諜報機関の調査にもかかわらず、9・11犯の証拠は発見するのが困難でした。爆撃から8ヶ月後、FBI局長ロバート・ミューラーは議会で証言して、次のように言っただけでした。「他の場所で計画・実行されたが、陰謀はアフガニスタンで企てられたと、米国の諜報機関は今のところ“信じています”」と。
(中略)
同じような疑問が、潜在的脅威への「先制攻撃」という「ブッシュドクトリン」に関しても沸きあがります。そのドクトリンが新しいものでないことは注目すべきことです。政策決定の高官たちはみなレーガン政権の残留者で、レーガン政権といえば、リビアへの爆撃が「将来の攻撃に対する自己防衛」として国連憲章下で正当化されていると主張したのです。クリントンの政策立案者たちも、「先制対応」(核先制攻撃を含む)を進言していました。そのドクトリンはもっと前に先例があったというわけです。
それにもかかわらず、そうした先制攻撃権を「あからさまに」「堂々と」主張するのは全く新しいことであり、脅威を誰だと言っているのかも秘密ではないのです。政府と時事解説者は、そのドクトリンをイラクに適用するつもりだと、大声で明確に強調しています。したがって、普遍性の初歩的基準は、イラクを米国に対する「先制的恐怖」だと位置づけているように見えますが、もちろん誰もこの結論は受け入れません。
またもし私たちが初歩的道徳原理を採用するならば、明白な疑問が沸きあがります。そして、世界がどう考えようが気にも留めず強国が勝手に実行する権利を認めるという、この「先制対応」原則の選択を主張し黙認する人々は、その「明白な疑問」に答えなければならなくなるのです。その立証責任は軽いものではありません。暴力による脅しや暴力の使用が支持され黙認される時、それに対する立証責任が必要だということは常に真実なのです。
以上の単純な議論への対案はもちろんあります。つまり、「我々」は善で「奴ら」は悪だ、という原則です。その実利的原則はどのような議論に対しても実際的切り札になるのです。論評の分析や研究で明らかになっているのは、そのルーツが上記の決定的原則に則っていて、しかもそれは議論の対象でなく断定あるのみだということです。
滅多にあることではありませんが、しかし時々、いらだった人たちが、近現代史の記録をもって上記の核心的原理に対決しようとします。こうして私達はテロにたいする対応を観察することによって、支配的な文化基準について多くを学べますし、この「異説への転落」を思いとどまらせるために打ち建てられた興味深い一連の障壁も学べます。
もちろん、この支配的な文化基準と一連の障壁のどちらも、現代の権力中枢部と支配的な知的文化による発明ではありません。それは以前から存在していました。それでもなお、少なくとも私たちが今どこに立ち、この先何が起こるのかを理解したいという関心のある人々にとっては、それは注意を払う価値があるものです。
長期的に見ると、9・11の犯罪がすでに進行中の傾向を加速するだろうと私は思っています。ブッシュ・ドクトリンがその実例です。すぐに予測されたように世界中の政府は9・11を、国内の厳しい抑圧的プログラムを拡大する機会の窓と捉らえました。ロシアは熱心に「対テロ同盟」に加わりました。これはチェチェンでの恐ろしい残虐行為の許可を期待してのことです。そしてロシアは失望しませんでした。中国も同じ理由のために嬉しそうに「対テロ同盟」に加わりました。
(中略)
米国を含め多くの民主主義社会は、恐怖感を煽り「愛国心」を強要しながら、国内の人々に規律を押し付ける施策を行いました。「テロと戦う」という口実で評判のよくない施策を行なったのです。実際そのことが意味するのは「お前は黙っていろ。俺は容赦なく俺自身の予定を追及するからな。」ということなのです。
この機会を利用して、ブッシュ政権は、国民や若い世代への攻撃を進め、度はずれに政権支配する独占企業の利益に奉仕してい
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