革命か分断かイラクのパレスチナ化の真相①
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2006/05/05 02:41 投稿番号: [91178 / 118550]
「「革命」か、「分断」か
イラクの「パレスチナ化」の真相」酒井啓子(現代思想5月号)
「学歴や出身校、習得した技術を尋ねる前に、どの宗派に属するのかを聞く
西欧人の無神経さに、不愉快な思いを隠せないイラク人知識人は少なくない。
物理的な破壊や経済的停滞よりも何よりも、
「イラク戦争で半世紀も一世紀も後退した」とイラク人が嘆くのは、
そうした帰属意識の矮小化である。
一連の「宗派」対立は、あくまでもイラク戦争後の
イラクの政治社会的環境が作り出した、「政治の産物」である。
・地域間利害を先鋭化させた結果
・主要政党が宗教的な動員力に依存した結果
イラク社会のイスラーム化、地域分断化が進行したのである。
第一にはブッシュ米政権の政策的な「間違い」
第二には、その「間違い」を超えて、米軍の武力による「政権交替」が
実質的には「革命」ともいえる社会変化を誘発しながら、
その「革命」の帰結が米政権の望まない方向で進行している、という現実。
<治安悪化の新たな要因>
2005年4月の移行政府成立以降、イラク人化政策が
逆に治安悪化をもたらす原因を作っている。
内相ポストがSCIRI出身者によって占められ、
治安機関がSCIRI系のバドル組織に独占されたことが、その主要因である。
イラン・イラク戦争期にイランの支援を受けて、イランからイラク国内に
潜入させられたバドル部隊に対して、それを「外敵」として戦った
経験と記憶を持つ、あるいは彼らによって命を失ったイラク人は少なくない。
バドル組織の治安機関への独占が進むにつれて、
・イスラーム主義政党対旧バアス党員という対立項に加えて、
・「シーア派イスラーム政党」対「スンナ派」との対立項が浮かび上がってきた
<政治が生み出した宗派対立>
イラク国内の治安情勢は、移行政府成立以前は基本的に外国軍の占領や
外国主導の国家建設に反対する形で武力衝突が発生していたのに対して、
移行政府成立後は、イスラーム主義対世俗・旧バアス党系勢力の対立といった
イデオロギー的路線対立が新たな衝突原因となっている。
そしてそれが、宗派を基軸とした対立として回収され、
宗派対立的様相を促しているのである。
同時に、「選挙」を前にして、最も短絡的に票を獲得できるのが、
宗教と部族的紐帯の利用だということも、
宗派性を過度に強調する政治状況を生み出している。
宗派的統一性をこれまで全く持たなかったスンナ派社会が、
「スンナ派」としての政治行動を求められるようになったのは、
これらの一連の選挙の結果であるといってもよいだろう。
スンナ派政治家の登用が一見、スンナ派住民の民意代弁の目的の為に進められて
いるように見えながら、実際には移行政府及び米政権の目的は別の所にあった
ことに留意する必要がある。それは、スンナ派政治家の登用を通じて、
あい続くスンナ派住民居住地域での反米、反政府武装活動をいかに制御できるか
ということであった。スンナ派政治家には、住民代表としての性格よりも、
スンナ派地域の武装勢力に対する説得、統御が求められたのである。
それ以降多くの野心あふれるスンナ派政治家が、武装勢力との接触、
彼らとの交渉能力や人脈をプレイアップして政界への進出を図るようになった。
国民投票は同時にまた、「スンナ派」地域での他地域との政治志向の違いを
明確にする結果を生んだことで、これまで「スンナ派」としての宗派意識の
希薄であった地域に、「スンナ派」意識を植えつけることともなった。
「スンナ派」という宗派意識と、「一地域」としての利害意識の一致とが、
重なりあうこととなった。
それを「スンナ派」政治家が掬い取るようにして、「スンナ派」社会の代表性を
喧伝しつつ、国政に名乗りをあげていったのである。
<イラクの将来像を巡る対立>
(ジャファリ首相続投を巡る混乱は)
イラクの今後の国家体制をどうするか、という基本的な問題を巡って
発生していると考えるべきである。
ダアワ党は、1950年代末にバーキル・サドルを思想的中核として成立した、
イラク国内のシーア派社会における最初のイスラーム主義政党
その後の殆どのシーア派イスラーム主義政党は、
ダアワ党を母体として分派、新設された。
SCIRIもまたダアワ党出身者を中心に、イランに亡命した
イスラーム主義政治家やウラマーが1982年にイランで設立したものである。
「学歴や出身校、習得した技術を尋ねる前に、どの宗派に属するのかを聞く
西欧人の無神経さに、不愉快な思いを隠せないイラク人知識人は少なくない。
物理的な破壊や経済的停滞よりも何よりも、
「イラク戦争で半世紀も一世紀も後退した」とイラク人が嘆くのは、
そうした帰属意識の矮小化である。
一連の「宗派」対立は、あくまでもイラク戦争後の
イラクの政治社会的環境が作り出した、「政治の産物」である。
・地域間利害を先鋭化させた結果
・主要政党が宗教的な動員力に依存した結果
イラク社会のイスラーム化、地域分断化が進行したのである。
第一にはブッシュ米政権の政策的な「間違い」
第二には、その「間違い」を超えて、米軍の武力による「政権交替」が
実質的には「革命」ともいえる社会変化を誘発しながら、
その「革命」の帰結が米政権の望まない方向で進行している、という現実。
<治安悪化の新たな要因>
2005年4月の移行政府成立以降、イラク人化政策が
逆に治安悪化をもたらす原因を作っている。
内相ポストがSCIRI出身者によって占められ、
治安機関がSCIRI系のバドル組織に独占されたことが、その主要因である。
イラン・イラク戦争期にイランの支援を受けて、イランからイラク国内に
潜入させられたバドル部隊に対して、それを「外敵」として戦った
経験と記憶を持つ、あるいは彼らによって命を失ったイラク人は少なくない。
バドル組織の治安機関への独占が進むにつれて、
・イスラーム主義政党対旧バアス党員という対立項に加えて、
・「シーア派イスラーム政党」対「スンナ派」との対立項が浮かび上がってきた
<政治が生み出した宗派対立>
イラク国内の治安情勢は、移行政府成立以前は基本的に外国軍の占領や
外国主導の国家建設に反対する形で武力衝突が発生していたのに対して、
移行政府成立後は、イスラーム主義対世俗・旧バアス党系勢力の対立といった
イデオロギー的路線対立が新たな衝突原因となっている。
そしてそれが、宗派を基軸とした対立として回収され、
宗派対立的様相を促しているのである。
同時に、「選挙」を前にして、最も短絡的に票を獲得できるのが、
宗教と部族的紐帯の利用だということも、
宗派性を過度に強調する政治状況を生み出している。
宗派的統一性をこれまで全く持たなかったスンナ派社会が、
「スンナ派」としての政治行動を求められるようになったのは、
これらの一連の選挙の結果であるといってもよいだろう。
スンナ派政治家の登用が一見、スンナ派住民の民意代弁の目的の為に進められて
いるように見えながら、実際には移行政府及び米政権の目的は別の所にあった
ことに留意する必要がある。それは、スンナ派政治家の登用を通じて、
あい続くスンナ派住民居住地域での反米、反政府武装活動をいかに制御できるか
ということであった。スンナ派政治家には、住民代表としての性格よりも、
スンナ派地域の武装勢力に対する説得、統御が求められたのである。
それ以降多くの野心あふれるスンナ派政治家が、武装勢力との接触、
彼らとの交渉能力や人脈をプレイアップして政界への進出を図るようになった。
国民投票は同時にまた、「スンナ派」地域での他地域との政治志向の違いを
明確にする結果を生んだことで、これまで「スンナ派」としての宗派意識の
希薄であった地域に、「スンナ派」意識を植えつけることともなった。
「スンナ派」という宗派意識と、「一地域」としての利害意識の一致とが、
重なりあうこととなった。
それを「スンナ派」政治家が掬い取るようにして、「スンナ派」社会の代表性を
喧伝しつつ、国政に名乗りをあげていったのである。
<イラクの将来像を巡る対立>
(ジャファリ首相続投を巡る混乱は)
イラクの今後の国家体制をどうするか、という基本的な問題を巡って
発生していると考えるべきである。
ダアワ党は、1950年代末にバーキル・サドルを思想的中核として成立した、
イラク国内のシーア派社会における最初のイスラーム主義政党
その後の殆どのシーア派イスラーム主義政党は、
ダアワ党を母体として分派、新設された。
SCIRIもまたダアワ党出身者を中心に、イランに亡命した
イスラーム主義政治家やウラマーが1982年にイランで設立したものである。
これは メッセージ 89471 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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