Re: サドル師の声明について(そのニ)
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2006/05/04 11:01 投稿番号: [91167 / 118550]
>妹の山さんはサドルを買いかぶりすぎだし、
サドル師の父親も叔父も大アヤトラであったことは御存知ですよね?
そして二人ともフセインに虐殺されたことも。
更にはサドル師の兄弟もことごとく虐殺され、
ムクタダ・サドル師は、サドル家の最後の星だということも御存知でしょうか。
イラクでは、サドル家とハキム家という二大名家が
歴史的に大アヤトラを輩出してきました。
貴方が何故SCIRIよりもサドル師を憎むのかということの方が私には不思議です
親イランということだけなら、SCIRIの方がゴリゴリの親イランですよ。
イランに亡命し、イランで軍事訓練を受け、イラン製の武器で武装し、
ペルシャ語を話す、これがSCIRIのバドル旅団ですよ。
フセイン政権への怨念はよく理解できますが、
その怨念を現在のイラクで晴らしているのがバドル旅団ですよ。
旧バース党員を見つけ出して、虐殺しているのが彼らですよ。
「宗派対立」の最大の根拠は、内務省をSCIRIが握り、
スンニ派への虐殺を行ってきたバドル旅団です。
サドル師のマハディ軍が「宗派対立」に加担していないとは言いません。
加担したと思います。
しかし、バドル旅団より、マハディ軍が「宗派対立」の主役だとは
私は思っていません。
イラン・イラク戦争時に、イラン軍と共にイラク軍と戦ったのがバドル旅団です
つまり、バドル旅団に殺されたイラク人もまたたくさん存在するのです。
そういうバドル旅団を快く思っていないイラク人もまたたくさんいるのですよ。
海外亡命組よりも、国内派のサドル師への支持の方が、
青年層の不満層を中心に高いと思います。
ムクタダ師の父親や叔父がフセインに虐殺された時、
何もできなかった。だから今度もしムクタダが殺害されそうになったら
この身を捧げても阻止するという根強い信奉者も多いのですよ。
<参考:酒井啓子>
<イラク・ナショナリズムか、「有力者の手打ち」か>
「イラク人であること」よりも、
「ナジャフ・カルバラで学んだウラマーとの関係」が
むしろ重要な要素を占める海外亡命組のSCIRIに対して、
純粋国内培養のサドル潮流は「イラク人としてイラクに生まれ育った」ことを
前面に押し出して、対抗意識を燃やしてきた。
特にサドル家とハキーム家という、
それぞれの組織の創立者のウラマー名家同士の対立も反映されている。
国内での大衆的支持は、イラク戦争直後から
国内組イスラーム主義組織にむしろ集まった。
特にサドル潮流が魅了したのは、イラン・イラク戦争から始まってイラク戦争に
至る戦時にも関わらず、そしてフセイン政権の圧政下にも関わらず国内に留まり
自分達の「時」が来るのを待ちわびていた「持たざる人々」であった。
それは主として都市部貧困地域の青年層であったが、サドル潮流の指導者である
ムクタダ・サドルの歯に衣着せぬ反米的言動、権威に対する反抗は、
彼自身の若さと相まって、特に戦後の不満層を代弁することとなったのである。
サドル潮流のダアワ党に対する親近感には、サドル潮流のムクタダ・サドルの父
サーディク・サドルが元々ダアワ党と密接な関係を持っていたこと、
そもそもダアワ党創設者であるバーキル・サドルがムクタダの叔父にあたること
それ以上に、ダアワ党とサドル潮流の共通点は、
いずれもイラク国内での活動に力点を置き続けたこと、
そしてイラク一国としての統一を重視することにある。
初期ダアワ党の持っていた超宗派性を、より明示的な形で提示しているのが、
現在のサドル潮流だということもできる。
サドル潮流とダアワ党への支持の根源には、
彼らの持つ「イラク・ナショナリズム」があるといえよう。
サドル師の父親も叔父も大アヤトラであったことは御存知ですよね?
そして二人ともフセインに虐殺されたことも。
更にはサドル師の兄弟もことごとく虐殺され、
ムクタダ・サドル師は、サドル家の最後の星だということも御存知でしょうか。
イラクでは、サドル家とハキム家という二大名家が
歴史的に大アヤトラを輩出してきました。
貴方が何故SCIRIよりもサドル師を憎むのかということの方が私には不思議です
親イランということだけなら、SCIRIの方がゴリゴリの親イランですよ。
イランに亡命し、イランで軍事訓練を受け、イラン製の武器で武装し、
ペルシャ語を話す、これがSCIRIのバドル旅団ですよ。
フセイン政権への怨念はよく理解できますが、
その怨念を現在のイラクで晴らしているのがバドル旅団ですよ。
旧バース党員を見つけ出して、虐殺しているのが彼らですよ。
「宗派対立」の最大の根拠は、内務省をSCIRIが握り、
スンニ派への虐殺を行ってきたバドル旅団です。
サドル師のマハディ軍が「宗派対立」に加担していないとは言いません。
加担したと思います。
しかし、バドル旅団より、マハディ軍が「宗派対立」の主役だとは
私は思っていません。
イラン・イラク戦争時に、イラン軍と共にイラク軍と戦ったのがバドル旅団です
つまり、バドル旅団に殺されたイラク人もまたたくさん存在するのです。
そういうバドル旅団を快く思っていないイラク人もまたたくさんいるのですよ。
海外亡命組よりも、国内派のサドル師への支持の方が、
青年層の不満層を中心に高いと思います。
ムクタダ師の父親や叔父がフセインに虐殺された時、
何もできなかった。だから今度もしムクタダが殺害されそうになったら
この身を捧げても阻止するという根強い信奉者も多いのですよ。
<参考:酒井啓子>
<イラク・ナショナリズムか、「有力者の手打ち」か>
「イラク人であること」よりも、
「ナジャフ・カルバラで学んだウラマーとの関係」が
むしろ重要な要素を占める海外亡命組のSCIRIに対して、
純粋国内培養のサドル潮流は「イラク人としてイラクに生まれ育った」ことを
前面に押し出して、対抗意識を燃やしてきた。
特にサドル家とハキーム家という、
それぞれの組織の創立者のウラマー名家同士の対立も反映されている。
国内での大衆的支持は、イラク戦争直後から
国内組イスラーム主義組織にむしろ集まった。
特にサドル潮流が魅了したのは、イラン・イラク戦争から始まってイラク戦争に
至る戦時にも関わらず、そしてフセイン政権の圧政下にも関わらず国内に留まり
自分達の「時」が来るのを待ちわびていた「持たざる人々」であった。
それは主として都市部貧困地域の青年層であったが、サドル潮流の指導者である
ムクタダ・サドルの歯に衣着せぬ反米的言動、権威に対する反抗は、
彼自身の若さと相まって、特に戦後の不満層を代弁することとなったのである。
サドル潮流のダアワ党に対する親近感には、サドル潮流のムクタダ・サドルの父
サーディク・サドルが元々ダアワ党と密接な関係を持っていたこと、
そもそもダアワ党創設者であるバーキル・サドルがムクタダの叔父にあたること
それ以上に、ダアワ党とサドル潮流の共通点は、
いずれもイラク国内での活動に力点を置き続けたこと、
そしてイラク一国としての統一を重視することにある。
初期ダアワ党の持っていた超宗派性を、より明示的な形で提示しているのが、
現在のサドル潮流だということもできる。
サドル潮流とダアワ党への支持の根源には、
彼らの持つ「イラク・ナショナリズム」があるといえよう。
これは メッセージ 91166 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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