妹之山さんへ
投稿者: bonno_216 投稿日時: 2006/03/10 08:41 投稿番号: [88769 / 118550]
>「向かっている」かどうかと判断する認識主体は誰ですか?
「私」です。私は、あなたの論法に対して自分の感想を述べているにすぎませんよ。だから「かのような記述」と言ったのです。実際にあなたが読者をその方向に誘導しようとしているとは断言していません。
あなたは「そのような主観に基づいて批判するのはどうか?」とおっしゃいますが、私は批判しているんじゃないんですよ。私には、そのように聞こえるというだけで、それが誤解なら「違う」と言えばいいだけです。「奴らも憎い」と書いた憎悪の中身は「奴らがテロリストで、米軍の攻撃を招いて当然な存在ゆえ、奴らの所為で我々が攻撃を受けてしまう」から憎いという意味なのか、「奴らはテロリストではないかも知れないが、とにかく米軍の攻撃の口実に使われてしまうことを考慮せず、我々の街にやってきた」から憎いという意味なのか、はっきり書けば誤解を招きません。私はあなたの主張が「前者」にあると感じたのですが、もしあなたが「後者」を意識していたのなら、そのように補足してください。「奴らも憎い」というラマディ市民の気持ちを代弁したようなフレーズで、あなたが「奴ら=テロリスト」という漠然とした印象を読者に与えようとしたのでないなら、ひとことフォローがあってしかるべきだと思います。
「武装難民」という造語は、「アルカイダ系」というラベリング・トリックの対抗案です。おそらく組織として統率された集団ではないと思われる流れ者たちを、ただ「アルカイダ」と呼ぶことで「テロリストに違いない」という印象を与える意図が全くないなら、あなたもおっしゃったように「名称なんてどうでも良い」んじゃありませんか? レジスタンス側が「アルカイダ系」と言う言葉を使っているなら、彼らも命名のトリックに引っかかっている…と私は書いています。「レジスタンス・レポートにも『アルカイダ』と書いてあるから、奴らは『アルカイダ』なんだ」と言って、わざわざその名称にこだわる理由は何でしょう?
「個別的事象」をピックアップし、それを突き詰めて論じることで、それがあたかも全体に縮図であるかのように思わせる論法(テクニック)があります。私は、あなたの論法がそうだというのではなく、「そう受け取られることもありますから、ご注意ください」と書きました。
たとえば、アブグレイブ収容所での米兵による虐待事件が顕著な例ですが、ああいう個別的事象をピックアップし、あたかも「すべての米兵」が似たようなことをしているはずだ…という印象を与える論法を、反米陣営も使っています。それもわざわざ「これは一部の不届きな兵士たちによる特殊な事例だろうが…」などという、さも客観的論調を強調するような一文を挿入して。
いかに客観的な考察をしようと、個別的事象をピックアップするとき、どれをピックアップするかという選択の時点で、すでに「偏向」は生じています。これは「考察」でなくとも「紹介」だけでも同じことです。読者は、あなたが、ある個別的事象をピックアップした時、「これを取り上げた意図は何だろう?」と邪推するのです。
個別的事象を並べ、これで全体の構図を理解してほしい…っていう無言のメッセージが含まれていると察するのです。あなたが意識するしないに関わらず(いや意識しない方がやっかいなのですが)、それが読者の深層心理に働きかけます。映像メディアが「映し出された事象」そのものは客観的(個別的)事実であるのに、フレーム・アップや、ごく自然なキャプションによって、視聴者をある方向に誘導するのと同じことですね。
たいていの場合、個別的事象の紹介は、自説に於ける総合的判断の補強や証明に使われます。でなければ、作為的に一部をフレームアップする必要性がありません。「実存世界」は、それ単体で意味を持たないのです。まさに「自分の観念世界」との融合によらなければ、ただの「風景」だということです。あなたは「自分の観念世界」を排除し、客観的に個別的事象を羅列するすることで「風景」を映し出そうとしているのですか? 違うでしょう。意識されているかどうかは分かりませんが、あなたはそうすることによって、あなた自身が持つ「自分の観念世界」を読者に示しているのです。
「私」です。私は、あなたの論法に対して自分の感想を述べているにすぎませんよ。だから「かのような記述」と言ったのです。実際にあなたが読者をその方向に誘導しようとしているとは断言していません。
あなたは「そのような主観に基づいて批判するのはどうか?」とおっしゃいますが、私は批判しているんじゃないんですよ。私には、そのように聞こえるというだけで、それが誤解なら「違う」と言えばいいだけです。「奴らも憎い」と書いた憎悪の中身は「奴らがテロリストで、米軍の攻撃を招いて当然な存在ゆえ、奴らの所為で我々が攻撃を受けてしまう」から憎いという意味なのか、「奴らはテロリストではないかも知れないが、とにかく米軍の攻撃の口実に使われてしまうことを考慮せず、我々の街にやってきた」から憎いという意味なのか、はっきり書けば誤解を招きません。私はあなたの主張が「前者」にあると感じたのですが、もしあなたが「後者」を意識していたのなら、そのように補足してください。「奴らも憎い」というラマディ市民の気持ちを代弁したようなフレーズで、あなたが「奴ら=テロリスト」という漠然とした印象を読者に与えようとしたのでないなら、ひとことフォローがあってしかるべきだと思います。
「武装難民」という造語は、「アルカイダ系」というラベリング・トリックの対抗案です。おそらく組織として統率された集団ではないと思われる流れ者たちを、ただ「アルカイダ」と呼ぶことで「テロリストに違いない」という印象を与える意図が全くないなら、あなたもおっしゃったように「名称なんてどうでも良い」んじゃありませんか? レジスタンス側が「アルカイダ系」と言う言葉を使っているなら、彼らも命名のトリックに引っかかっている…と私は書いています。「レジスタンス・レポートにも『アルカイダ』と書いてあるから、奴らは『アルカイダ』なんだ」と言って、わざわざその名称にこだわる理由は何でしょう?
「個別的事象」をピックアップし、それを突き詰めて論じることで、それがあたかも全体に縮図であるかのように思わせる論法(テクニック)があります。私は、あなたの論法がそうだというのではなく、「そう受け取られることもありますから、ご注意ください」と書きました。
たとえば、アブグレイブ収容所での米兵による虐待事件が顕著な例ですが、ああいう個別的事象をピックアップし、あたかも「すべての米兵」が似たようなことをしているはずだ…という印象を与える論法を、反米陣営も使っています。それもわざわざ「これは一部の不届きな兵士たちによる特殊な事例だろうが…」などという、さも客観的論調を強調するような一文を挿入して。
いかに客観的な考察をしようと、個別的事象をピックアップするとき、どれをピックアップするかという選択の時点で、すでに「偏向」は生じています。これは「考察」でなくとも「紹介」だけでも同じことです。読者は、あなたが、ある個別的事象をピックアップした時、「これを取り上げた意図は何だろう?」と邪推するのです。
個別的事象を並べ、これで全体の構図を理解してほしい…っていう無言のメッセージが含まれていると察するのです。あなたが意識するしないに関わらず(いや意識しない方がやっかいなのですが)、それが読者の深層心理に働きかけます。映像メディアが「映し出された事象」そのものは客観的(個別的)事実であるのに、フレーム・アップや、ごく自然なキャプションによって、視聴者をある方向に誘導するのと同じことですね。
たいていの場合、個別的事象の紹介は、自説に於ける総合的判断の補強や証明に使われます。でなければ、作為的に一部をフレームアップする必要性がありません。「実存世界」は、それ単体で意味を持たないのです。まさに「自分の観念世界」との融合によらなければ、ただの「風景」だということです。あなたは「自分の観念世界」を排除し、客観的に個別的事象を羅列するすることで「風景」を映し出そうとしているのですか? 違うでしょう。意識されているかどうかは分かりませんが、あなたはそうすることによって、あなた自身が持つ「自分の観念世界」を読者に示しているのです。
これは メッセージ 88763 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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