民主主義が破綻するとき――歴史の警告
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/01/05 03:17 投稿番号: [86369 / 118550]
トム・ハートマン
http://www.ribbon-project.jp/SR-shiryou/shiryou-14.htm
(前略)
発端は、世界的な経済危機のさなか、政府が差し迫ったテロ攻撃についての報告を受け取ったことだった。ある外国の過激思想信奉者が、それまでにいくつか有名な建物への攻撃を試みてはいたが、メディアは泡沫事件と見てほとんど取り上げなかった。だが諜報機関は、その男がいつか大事件を引き起こすかもしれないと警戒していた。(歴史学者のあいだにはいまなお、諜報機関内部の謀反分子がテロリストに手を貸したのではないかという議論があるが、最近の研究はそれを否定している。)
ところが、捜査官たちの警告は最上層部によって無視された。ひとつの理由は、政府が別なことに気をとられていたからだ。国のリーダーを自認する男が、選挙で過半数を獲得できず、国民の大半は彼が権力の座につくことを認めようとしなかった。一部の人にいわせると、その男は間が抜けていて、ものごとをシロかクロかで考えるマンガ的な人物であり、複雑かつ国際主義的な世界で一国を取り仕切る機微が理解できる頭の持ち主ではなかった。南部出身地の政治風土からくる粗野な物言いと、短絡的でおうおうにして挑発的な国家主義的言辞は、上流階級の人びとや外国の指導者たち、そして政府およびメディア内の教養あるエリートたちのひんしゅくを買った。しかも彼は若いころ、オカルト的な名称をもつ秘密結社に加わり、人間の頭骸骨と肢骨を使う怪しげな入門儀式を受けていた[1]。
しかし、男はテロリストの攻撃があることを知っており(正確な時間と場所は知らなかったが)、その場合にどう行動するかをあらかじめ決めていた。国を代表する建物が炎上していることを側近から知らされたとき、彼は攻撃がテロリストによるものであると断言し、現場へ急行して記者会見を開いた。
「諸君はいま、偉大な歴史的瞬間をまのあたりにしている」男は焼け焦げた建物の前で、国中のメディアに囲まれて宣言した。その声は高まる感情に打ち震えていた。「この炎ははじまりにすぎない。まさしく神の合図である」彼は好機に乗じ、テロリズムとその思想的支援者たちとの全面戦争を布告したのだ。彼によれば、そうした支援者たちは中東系で、宗教的信条から邪悪な行為におよぶのだという。
2週間後、悪名高いテロリストとの共謀容疑をかけられた人びとの第一陣を収容するため、オラニエンベルクに最初のテロリスト監禁施設が建設された[2]。愛国主義がたちまち国中に燃え広がって、かの指導者の旗がいたるところに翻り、窓に張り出せるよう新聞にまで大刷りされた。
テロ攻撃から4週間もたたないうちに、一躍人気上昇した指導者は、憲法で保障された言論の自由、プライバシー、人身保護義務を一時停止する立法措置を強行した。テロと戦い、テロの温床となる哲学を打ち破るというのが立法の名目であった。それにより、警察が郵便物を検閲し、電話を盗聴すること、テロ容疑者を訴状も弁護士の接見もなしに投獄することが可能になった。テロの疑いがあれば、警察は捜査令状なしに人びとの家に忍び込むことが許された。
愛国主義的な響きの「民族と国家の防衛のための大統領令」に対し、法律家や市民的自由を重んずる人びとから上がった異議申し立ての声を封ずるため、彼は4年間の時限条項を書き込むことに同意した。つまり、テロリストによって引き起こされた国家危機が4年以内に解消した場合、国民の自由と権利は回復し、警察組織の権限もふたたび制約されるという条件である。のちに国会議員たちは、議決の投票前に法案を熟読する暇がなかったと述べた[3]。
(中略)
彼の広報官は、テロ攻撃以来「ラジオと新聞・雑誌は政府の意のまま」と述べた。中央安全保障局が不審な隣人の密告を大々的に奨励しはじめたため、指導者の正当性に非を唱えたり、その数奇な経歴に疑問を差しはさんだりする声は、国民の記憶から抹殺されることになった。この計画は大成功をおさめ、やがて一部の“裏切者”の名前がラジオで読み上げられるほどになった。糾弾された“裏切者”の多くは、指導者に公然と異を唱えた政敵や著名人で、いまや彼の脅迫と財界同調者の経営支配に縛られて大政翼賛化したメディアは、それらの人びとを格好の餌食にした。
(中略)
合州国憲法がまだ健在である限りにおいて、今回の選択も私たちしだいだろう。
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歴史は繰り返されているようだけど踊らされてる連中は何か新しいことやっているつもりなんだろうな。
過去から学ばず現実や先が見えないから、そんなつもりにもなるんだろうけど。
http://www.ribbon-project.jp/SR-shiryou/shiryou-14.htm
(前略)
発端は、世界的な経済危機のさなか、政府が差し迫ったテロ攻撃についての報告を受け取ったことだった。ある外国の過激思想信奉者が、それまでにいくつか有名な建物への攻撃を試みてはいたが、メディアは泡沫事件と見てほとんど取り上げなかった。だが諜報機関は、その男がいつか大事件を引き起こすかもしれないと警戒していた。(歴史学者のあいだにはいまなお、諜報機関内部の謀反分子がテロリストに手を貸したのではないかという議論があるが、最近の研究はそれを否定している。)
ところが、捜査官たちの警告は最上層部によって無視された。ひとつの理由は、政府が別なことに気をとられていたからだ。国のリーダーを自認する男が、選挙で過半数を獲得できず、国民の大半は彼が権力の座につくことを認めようとしなかった。一部の人にいわせると、その男は間が抜けていて、ものごとをシロかクロかで考えるマンガ的な人物であり、複雑かつ国際主義的な世界で一国を取り仕切る機微が理解できる頭の持ち主ではなかった。南部出身地の政治風土からくる粗野な物言いと、短絡的でおうおうにして挑発的な国家主義的言辞は、上流階級の人びとや外国の指導者たち、そして政府およびメディア内の教養あるエリートたちのひんしゅくを買った。しかも彼は若いころ、オカルト的な名称をもつ秘密結社に加わり、人間の頭骸骨と肢骨を使う怪しげな入門儀式を受けていた[1]。
しかし、男はテロリストの攻撃があることを知っており(正確な時間と場所は知らなかったが)、その場合にどう行動するかをあらかじめ決めていた。国を代表する建物が炎上していることを側近から知らされたとき、彼は攻撃がテロリストによるものであると断言し、現場へ急行して記者会見を開いた。
「諸君はいま、偉大な歴史的瞬間をまのあたりにしている」男は焼け焦げた建物の前で、国中のメディアに囲まれて宣言した。その声は高まる感情に打ち震えていた。「この炎ははじまりにすぎない。まさしく神の合図である」彼は好機に乗じ、テロリズムとその思想的支援者たちとの全面戦争を布告したのだ。彼によれば、そうした支援者たちは中東系で、宗教的信条から邪悪な行為におよぶのだという。
2週間後、悪名高いテロリストとの共謀容疑をかけられた人びとの第一陣を収容するため、オラニエンベルクに最初のテロリスト監禁施設が建設された[2]。愛国主義がたちまち国中に燃え広がって、かの指導者の旗がいたるところに翻り、窓に張り出せるよう新聞にまで大刷りされた。
テロ攻撃から4週間もたたないうちに、一躍人気上昇した指導者は、憲法で保障された言論の自由、プライバシー、人身保護義務を一時停止する立法措置を強行した。テロと戦い、テロの温床となる哲学を打ち破るというのが立法の名目であった。それにより、警察が郵便物を検閲し、電話を盗聴すること、テロ容疑者を訴状も弁護士の接見もなしに投獄することが可能になった。テロの疑いがあれば、警察は捜査令状なしに人びとの家に忍び込むことが許された。
愛国主義的な響きの「民族と国家の防衛のための大統領令」に対し、法律家や市民的自由を重んずる人びとから上がった異議申し立ての声を封ずるため、彼は4年間の時限条項を書き込むことに同意した。つまり、テロリストによって引き起こされた国家危機が4年以内に解消した場合、国民の自由と権利は回復し、警察組織の権限もふたたび制約されるという条件である。のちに国会議員たちは、議決の投票前に法案を熟読する暇がなかったと述べた[3]。
(中略)
彼の広報官は、テロ攻撃以来「ラジオと新聞・雑誌は政府の意のまま」と述べた。中央安全保障局が不審な隣人の密告を大々的に奨励しはじめたため、指導者の正当性に非を唱えたり、その数奇な経歴に疑問を差しはさんだりする声は、国民の記憶から抹殺されることになった。この計画は大成功をおさめ、やがて一部の“裏切者”の名前がラジオで読み上げられるほどになった。糾弾された“裏切者”の多くは、指導者に公然と異を唱えた政敵や著名人で、いまや彼の脅迫と財界同調者の経営支配に縛られて大政翼賛化したメディアは、それらの人びとを格好の餌食にした。
(中略)
合州国憲法がまだ健在である限りにおいて、今回の選択も私たちしだいだろう。
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歴史は繰り返されているようだけど踊らされてる連中は何か新しいことやっているつもりなんだろうな。
過去から学ばず現実や先が見えないから、そんなつもりにもなるんだろうけど。
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