イラク戦 勝者はイラン 火遊びした米に誤算
投稿者: messaiah2101 投稿日時: 2005/12/25 09:48 投稿番号: [85948 / 118550]
今年6月の少々古いウォーラーステインの評論だがその後のイラク移行政府首脳の相次ぐイラン詣でや最近のイラン大統領の対イスラエル強硬発言を見ると現実はますます「イラク戦の勝者はイラン」と見えてくる。
イラク戦の勝者はイラン 火遊びした米に誤算
強大国になると、火遊びの誘惑には抗しがたくなるものだが、ブッシュ米政権の場合はとりわけ無謀だった。米国とイラン、イラクの三角関係を例にとろう。その歴史はよく知られている通りだ。
米中央情報局(CIA)の初の介入は1953年、イランで行われた。イラン首相モサデクの石油国有化でシャー(国王)は亡命。憤る米英両国がモサデク逮捕とシャー復権の軍事クーデターを支援した。実のところ、たき付けたのだ。以来、シャーのイランは米国の緊密な同盟国となる。パーレビ体制は極めて抑圧的だったが、中東における親米勢力の支柱だったから、問題にもされなかった。
パーレビ体制は79年のイラン革命で崩壊し、シャーは再び亡命。支配勢力はホメイニ師率いるイスラム強硬派に変わり、その後強硬派が米大使館を占拠、館員らを人質に444日間立てこもる。米国が再び傷ついたのは言うまでもない。
イランに対処する最善策として米国は、イラク大統領フセインにイラン侵攻をそそのかし、フセインは80年に実行に移した。レーガン大統領は83年、ラムズフェルド特使(現国防長官)を送り込み、戦争を鼓舞し、支援策を提示。米国のテロ支援国リストからもイラクを外すなど、フセインを甘やかした。
裏切りの連続
イラン・イラク戦争は8年続き、双方疲弊しきって終わる。イラクは戦争遂行のため借り入れた債務、中でもクウェートやサウジアラビアに対する巨額債務の返済が困難になる。フセインはクウェート侵攻で債務を帳消しにし、うっせきする民族主義的主張を一気に満たそうとした。米国はクウェート撤退を迫り、国連のお墨付きを得て多国籍軍を率い、湾岸戦争を起こした。
湾岸戦争は終わるが、さまざまな裏切りを伴った。フセインは米国の爆撃回避のため空軍機をイランに避難させたが、イランは機体返還を断る。イラクのシーア派が反フセイン蜂起を起こすが、米側は支援を拒否した。
91年から2001年の事実上の停戦状態には、どの当事者も多少なりとも不満を抱いていた。米国のネオコン(新保守主義者)は、フセインが政権の座にとどまったことに屈辱を感じた。
9・11米中枢同時テロが起きて、ネオコンは好機到来とばかりブッシュ大統領をイラクとの戦争に仕向けた。03年に侵攻を始めフセイン政権を打倒した。イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と決め付けたブッシュ大統領は、まずイラクを軍事的に押さえるつもりだった。米側がイラン制圧も時間の問題と考えていたのは明らかだ。
奇妙な転換
ブッシュ大統領が思い描いていたと思われるのは、イラクに親米政権を早急に樹立し、しかる後にイランと対決することだった。予想外だったのはイラクでの強力な抵抗運動だ。本格的な掃討は今もできそうにない。
シーア派がイラク移行政府で多数派となったのも想定とは違った。米軍の戦線が延び切り、イランの政権交代を狙った軍事行動に踏み切れないのも想定外だが、なによりも予期していなかった事態とは、イランがイラク戦争で最大の外交的勝者の立場に立ったことだ。
5月半ばイラクを電撃訪問したライス米国務長官の移行政府への態度は、お説教と懇願とが相半ばしていた。スンニ派をもっと入閣させ、旧フセイン体制派の一部も政権に加えよというのだ。これによって米軍占領への抵抗を弱め、駐留軍削減が可能になると考えているのかもしれない。長官がフセイン時代の旧バース党員に代わって要請するとは、なんと奇妙な方向転換ではないか。
その直後イラン外相がイラクを訪問し、敵対関係に終止符を打つ共同声明を発表。イラン・イラク戦争はフセインが引き起こしたとの認識で一致した。両国はイスラエルをあらためて批判した。米国の反イラン十字軍にイラクが加わるとブッシュ政権が考えているとすれば明らかに勘違いだ。
イラクとイランの関係は正常化し、友好的になりつつある。これは、ネオコンが中東「民主化」構想に着手した際に思い描いていたことではない。米軍のイラク撤退はずれ込むよりむしろ早まるだろうが、イランは(米国のおかげで)この地域でこれまでになく強力な存在になるだろう。
2005年06月10日 共同通信
イマニュエル・ウォーラーステイン
http://fbc.binghamton.edu/162jp.html
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イラク戦の勝者はイラン 火遊びした米に誤算
強大国になると、火遊びの誘惑には抗しがたくなるものだが、ブッシュ米政権の場合はとりわけ無謀だった。米国とイラン、イラクの三角関係を例にとろう。その歴史はよく知られている通りだ。
米中央情報局(CIA)の初の介入は1953年、イランで行われた。イラン首相モサデクの石油国有化でシャー(国王)は亡命。憤る米英両国がモサデク逮捕とシャー復権の軍事クーデターを支援した。実のところ、たき付けたのだ。以来、シャーのイランは米国の緊密な同盟国となる。パーレビ体制は極めて抑圧的だったが、中東における親米勢力の支柱だったから、問題にもされなかった。
パーレビ体制は79年のイラン革命で崩壊し、シャーは再び亡命。支配勢力はホメイニ師率いるイスラム強硬派に変わり、その後強硬派が米大使館を占拠、館員らを人質に444日間立てこもる。米国が再び傷ついたのは言うまでもない。
イランに対処する最善策として米国は、イラク大統領フセインにイラン侵攻をそそのかし、フセインは80年に実行に移した。レーガン大統領は83年、ラムズフェルド特使(現国防長官)を送り込み、戦争を鼓舞し、支援策を提示。米国のテロ支援国リストからもイラクを外すなど、フセインを甘やかした。
裏切りの連続
イラン・イラク戦争は8年続き、双方疲弊しきって終わる。イラクは戦争遂行のため借り入れた債務、中でもクウェートやサウジアラビアに対する巨額債務の返済が困難になる。フセインはクウェート侵攻で債務を帳消しにし、うっせきする民族主義的主張を一気に満たそうとした。米国はクウェート撤退を迫り、国連のお墨付きを得て多国籍軍を率い、湾岸戦争を起こした。
湾岸戦争は終わるが、さまざまな裏切りを伴った。フセインは米国の爆撃回避のため空軍機をイランに避難させたが、イランは機体返還を断る。イラクのシーア派が反フセイン蜂起を起こすが、米側は支援を拒否した。
91年から2001年の事実上の停戦状態には、どの当事者も多少なりとも不満を抱いていた。米国のネオコン(新保守主義者)は、フセインが政権の座にとどまったことに屈辱を感じた。
9・11米中枢同時テロが起きて、ネオコンは好機到来とばかりブッシュ大統領をイラクとの戦争に仕向けた。03年に侵攻を始めフセイン政権を打倒した。イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と決め付けたブッシュ大統領は、まずイラクを軍事的に押さえるつもりだった。米側がイラン制圧も時間の問題と考えていたのは明らかだ。
奇妙な転換
ブッシュ大統領が思い描いていたと思われるのは、イラクに親米政権を早急に樹立し、しかる後にイランと対決することだった。予想外だったのはイラクでの強力な抵抗運動だ。本格的な掃討は今もできそうにない。
シーア派がイラク移行政府で多数派となったのも想定とは違った。米軍の戦線が延び切り、イランの政権交代を狙った軍事行動に踏み切れないのも想定外だが、なによりも予期していなかった事態とは、イランがイラク戦争で最大の外交的勝者の立場に立ったことだ。
5月半ばイラクを電撃訪問したライス米国務長官の移行政府への態度は、お説教と懇願とが相半ばしていた。スンニ派をもっと入閣させ、旧フセイン体制派の一部も政権に加えよというのだ。これによって米軍占領への抵抗を弱め、駐留軍削減が可能になると考えているのかもしれない。長官がフセイン時代の旧バース党員に代わって要請するとは、なんと奇妙な方向転換ではないか。
その直後イラン外相がイラクを訪問し、敵対関係に終止符を打つ共同声明を発表。イラン・イラク戦争はフセインが引き起こしたとの認識で一致した。両国はイスラエルをあらためて批判した。米国の反イラン十字軍にイラクが加わるとブッシュ政権が考えているとすれば明らかに勘違いだ。
イラクとイランの関係は正常化し、友好的になりつつある。これは、ネオコンが中東「民主化」構想に着手した際に思い描いていたことではない。米軍のイラク撤退はずれ込むよりむしろ早まるだろうが、イランは(米国のおかげで)この地域でこれまでになく強力な存在になるだろう。
2005年06月10日 共同通信
イマニュエル・ウォーラーステイン
http://fbc.binghamton.edu/162jp.html
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