(横): 「暗黙の秩序」というもの
投稿者: nanntyattesamurai 投稿日時: 2005/11/18 21:14 投稿番号: [84611 / 118550]
namahamu3maiさん、始めまして
横レスさせていただきます。
>確かに最終的には「力」がものを言うでしょう。しかしそういう世にしてはいけないんですね。
場末の宗教屋風情がこんな電波を流すのもなんですが。
民主主義の力 = 資金力(資本主義) + 数の力(民主主義) ですが
力の支点を、「金と数にのみ」に固定する限りにおいて、思想・イデオロギーの介入はありません
従って、個人の思想的自由は保障されます。
>歴史の中では何度も「力社会」になりその反省から「秩序社会」になりと、振り子のように振れてきました。
人類は爆発的な拡大を続けておりますが
活動範囲の拡大と、異文化同士の摩擦は比例します。
そして、摩擦の大きさと、不自由を感じる度合いも比例します。
人は、快感によって導かれると言う生物的構造を持っておりますが
(A10神経やドーパーミンなどの、脳内麻薬物質と快感の関係)
不自由の大きさ・方向性と、快感の大きさ・方向性は比例します。
従って人は、快感に導かれて不自由な状況を打開すべく「物質文明を発展」させて来ましたが
(不自由を感じなければ、進歩の速度は遅くなると言う事です)
この物質文明の発展が、人類の活動範囲の拡大と比例している、
これが歴史のもう一つの視点だと考えます。
この視点からみると
物質文明の発達 = 一神教の発展
共存共栄の文明の発達 = 多神教の発展
この様な、大きな歴史の流れもあるのかもしれません。
また、
地球上の人口×一人に掛かるエネルギー=必要エネルギーの総和=人口の許容範囲
上記式を考慮に入れた場合
次の文明へのステップ移行を、できるだけ被害を少なくする為には
E=MC2(エネルギーの発生は、必ず質量の増減を伴う)
このエネルギーの本質に基づいた技術革新は不可欠ですね。
ただし
一人が扱えるエネルギーの増加 = 個々人のモラルの向上
上記の関係式を作って行かなければ
「とんでもない悲劇を生み出す可能性」が、増大する事は事実だと考えます。
>国家は一部の人間達の利益を囲い込むための利己的システムでしかありませんが、共同
>幻想として実体化し意思を持って国民を統治、管理します。
>グローバリズムが進むと利益の囲い込みは余り意味を成さなくなりますが、共同幻想と
>しての人格が肥大化し全体主義として主体たる国民に圧力をかけてくる危険が予測されます。
さて、この思想ですが・・・・・・
国と個人は同じだと考えます。
その国のアイデンティティーは、その国に住む国民の総和であると考えております。
国の成り立ちの順番が
個人・家庭・地域・国・世界 と拡散して行く方向にあるとすれば
個人の自我の形成は
世界・国・地域・家庭・個人 この様な方向で位置付けられ、確定されて行くのではないでしょうか。
どの様な組織も国も、人の存在しないものはありません
国民全てのモラルが低ければ、モラルの高い政治家や指導者が生まれては来ないと思います。
ひるがえって、政治家や指導者に腐敗が蔓延している国の、
国民全員が、聖人君子でモラルも非常に高い、そんな国もありえないと考えます。
国や組織のシステムを幾ら完備しても、運用する人間が腐敗すれば同じ事です。
又、いくら人のモラルが高くても、システムや環境が不備であればそれによる不自由は多発します。
個と全体、どちらも同じ事ではないでしょうか。
「不確定理論」
粒子の位置を確定しようとすると、その速度は無限大の可能性が生じる
粒子の速度を確定しようとすると、その位置は無限大の可能性が生じる
物質の根源でさえ、粒子と波の性格を持つという矛盾を抱えているのです。
我々の社会も「個と全体の間の矛盾」を、自覚しながら思考すべきだと考えます。
横レスさせていただきます。
>確かに最終的には「力」がものを言うでしょう。しかしそういう世にしてはいけないんですね。
場末の宗教屋風情がこんな電波を流すのもなんですが。
民主主義の力 = 資金力(資本主義) + 数の力(民主主義) ですが
力の支点を、「金と数にのみ」に固定する限りにおいて、思想・イデオロギーの介入はありません
従って、個人の思想的自由は保障されます。
>歴史の中では何度も「力社会」になりその反省から「秩序社会」になりと、振り子のように振れてきました。
人類は爆発的な拡大を続けておりますが
活動範囲の拡大と、異文化同士の摩擦は比例します。
そして、摩擦の大きさと、不自由を感じる度合いも比例します。
人は、快感によって導かれると言う生物的構造を持っておりますが
(A10神経やドーパーミンなどの、脳内麻薬物質と快感の関係)
不自由の大きさ・方向性と、快感の大きさ・方向性は比例します。
従って人は、快感に導かれて不自由な状況を打開すべく「物質文明を発展」させて来ましたが
(不自由を感じなければ、進歩の速度は遅くなると言う事です)
この物質文明の発展が、人類の活動範囲の拡大と比例している、
これが歴史のもう一つの視点だと考えます。
この視点からみると
物質文明の発達 = 一神教の発展
共存共栄の文明の発達 = 多神教の発展
この様な、大きな歴史の流れもあるのかもしれません。
また、
地球上の人口×一人に掛かるエネルギー=必要エネルギーの総和=人口の許容範囲
上記式を考慮に入れた場合
次の文明へのステップ移行を、できるだけ被害を少なくする為には
E=MC2(エネルギーの発生は、必ず質量の増減を伴う)
このエネルギーの本質に基づいた技術革新は不可欠ですね。
ただし
一人が扱えるエネルギーの増加 = 個々人のモラルの向上
上記の関係式を作って行かなければ
「とんでもない悲劇を生み出す可能性」が、増大する事は事実だと考えます。
>国家は一部の人間達の利益を囲い込むための利己的システムでしかありませんが、共同
>幻想として実体化し意思を持って国民を統治、管理します。
>グローバリズムが進むと利益の囲い込みは余り意味を成さなくなりますが、共同幻想と
>しての人格が肥大化し全体主義として主体たる国民に圧力をかけてくる危険が予測されます。
さて、この思想ですが・・・・・・
国と個人は同じだと考えます。
その国のアイデンティティーは、その国に住む国民の総和であると考えております。
国の成り立ちの順番が
個人・家庭・地域・国・世界 と拡散して行く方向にあるとすれば
個人の自我の形成は
世界・国・地域・家庭・個人 この様な方向で位置付けられ、確定されて行くのではないでしょうか。
どの様な組織も国も、人の存在しないものはありません
国民全てのモラルが低ければ、モラルの高い政治家や指導者が生まれては来ないと思います。
ひるがえって、政治家や指導者に腐敗が蔓延している国の、
国民全員が、聖人君子でモラルも非常に高い、そんな国もありえないと考えます。
国や組織のシステムを幾ら完備しても、運用する人間が腐敗すれば同じ事です。
又、いくら人のモラルが高くても、システムや環境が不備であればそれによる不自由は多発します。
個と全体、どちらも同じ事ではないでしょうか。
「不確定理論」
粒子の位置を確定しようとすると、その速度は無限大の可能性が生じる
粒子の速度を確定しようとすると、その位置は無限大の可能性が生じる
物質の根源でさえ、粒子と波の性格を持つという矛盾を抱えているのです。
我々の社会も「個と全体の間の矛盾」を、自覚しながら思考すべきだと考えます。
これは メッセージ 84608 (namahamu3mai さん)への返信です.
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