Re: 批判対象の措定の欠如
投稿者: bonno_216 投稿日時: 2005/10/20 07:41 投稿番号: [83057 / 118550]
>そんな論法なら、いくらでも白を黒とでも言いくるめますよ。
「白を黒と言いくるめる」つもりはありません。「いかにも〜ように聞こえます」は、単純に私の「感想」であり「批判」どころか「解釈」ですらありませんから、当然、あなたが責任を負う事ではなく、私は訂正も謝罪も求めていません。
>” 地元アラブ・スンナ武装勢力側が襲撃したのではないかとの憶測。
>私の意図は、”に対する反論として書いたのです。
「反論」? ”の憶測に基づいた「意見」ではないのですか? だって、
>私の頭の中では、上記の貴方の文章! と私が書いたもの” とは
>全く何の対立・矛盾も定立されていないんですけどね。
と、いうことは” があなたの論旨だと言うことになりますよ。
私はあなたが案山子さんとは違い、襲撃犯を地元アラブ・スンナ武装勢力側であると決め付けるのではなく「だとしたら…」という但し書き付きにしているところを評価しています。しかし、「だとしたら…」の議論を進めていくうちに、この「だとしたら…」が抜け落ちていく危険性を感じるのです。
米英の目的が民主イラクを平和的に実現すること「だとしたら」、武装闘争をやめて話し合いの座に付くべきだ…この主張は正しいでしょう。しかし「だとしたら」の前提が成り立たないのに、この前提で議論を進めたら、いつの間にか「だとしたら」が「だとしたら」ではなく「であるから」にすり替わってしまうことが良くあるのです。
事実の追求と仮定の議論は、確かに対立するものじゃありませんが、不確定な部分を放置して前に進むと議論の道筋が歪んでしまいます。新聞見出しなどで「〜か?」という表現があるのですが、これは〜「か?」とか「〜という」を付けることで断定を避けながらも、読者を「〜だ」という認識に誘導するテクニックなのです。
私はあなたの論調に、このテクニックと同様の危惧を感じたゆえに、確認の意味で「一方の仮定だけに基づいた糾弾は、その対象が偏ってしまうので、対象を一般論にまで広げるべきだ」と言いました。これは最初にも書いたように「反論」や「批判」ではなく、いうならば「補足」のようなものです。
「意見の違いを暴力的手段で解決する」ことを糾弾するなら、まず第一に米英の対イラク武力行使こそが糾弾されるべきじゃありませんか? 「個別的・具体的事例に対する意見だから、それとこれは分けて考えるべき」と言ったのでは、最初の立派な理念が恣意的に適用されることを許してしまうことになります。
「白を黒と言いくるめる」つもりはありません。「いかにも〜ように聞こえます」は、単純に私の「感想」であり「批判」どころか「解釈」ですらありませんから、当然、あなたが責任を負う事ではなく、私は訂正も謝罪も求めていません。
>” 地元アラブ・スンナ武装勢力側が襲撃したのではないかとの憶測。
>私の意図は、”に対する反論として書いたのです。
「反論」? ”の憶測に基づいた「意見」ではないのですか? だって、
>私の頭の中では、上記の貴方の文章! と私が書いたもの” とは
>全く何の対立・矛盾も定立されていないんですけどね。
と、いうことは” があなたの論旨だと言うことになりますよ。
私はあなたが案山子さんとは違い、襲撃犯を地元アラブ・スンナ武装勢力側であると決め付けるのではなく「だとしたら…」という但し書き付きにしているところを評価しています。しかし、「だとしたら…」の議論を進めていくうちに、この「だとしたら…」が抜け落ちていく危険性を感じるのです。
米英の目的が民主イラクを平和的に実現すること「だとしたら」、武装闘争をやめて話し合いの座に付くべきだ…この主張は正しいでしょう。しかし「だとしたら」の前提が成り立たないのに、この前提で議論を進めたら、いつの間にか「だとしたら」が「だとしたら」ではなく「であるから」にすり替わってしまうことが良くあるのです。
事実の追求と仮定の議論は、確かに対立するものじゃありませんが、不確定な部分を放置して前に進むと議論の道筋が歪んでしまいます。新聞見出しなどで「〜か?」という表現があるのですが、これは〜「か?」とか「〜という」を付けることで断定を避けながらも、読者を「〜だ」という認識に誘導するテクニックなのです。
私はあなたの論調に、このテクニックと同様の危惧を感じたゆえに、確認の意味で「一方の仮定だけに基づいた糾弾は、その対象が偏ってしまうので、対象を一般論にまで広げるべきだ」と言いました。これは最初にも書いたように「反論」や「批判」ではなく、いうならば「補足」のようなものです。
「意見の違いを暴力的手段で解決する」ことを糾弾するなら、まず第一に米英の対イラク武力行使こそが糾弾されるべきじゃありませんか? 「個別的・具体的事例に対する意見だから、それとこれは分けて考えるべき」と言ったのでは、最初の立派な理念が恣意的に適用されることを許してしまうことになります。
これは メッセージ 83052 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/83057.html