地球の上に生きる2005
投稿者: battamama 投稿日時: 2005/10/16 13:19 投稿番号: [82809 / 118550]
来る11月、DAYS JAPANフォトジャーナリスズム写真展が、京都の立命館国際平和ミュージアムと、立命館大学びわこ・くさつキャンパスにて開催される。
11月10日 14:30〜16:10では、DAYS JAPANの編集長である広河隆一氏による記念講演会も予定されている。
演題は「メディアは人間を救えるか」。
場所は、立命館大学衣笠キャンパス 創思館 カンファレンスルーム。
「開催にあたって」立命館大学国際平和ミュージアム 館長 安斎育郎氏
『DAYS JAPAN』誌の表紙の右下に、「一枚の写真が国家を動かすこともある」というメッセージが掲げられています。百万の言葉よりも1枚の写真の方が雄弁に本質を伝えることがあるのです。この報道写真誌は、時に命がけで戦争や暴力の現場にカメラを向けた写真家達が切り取った、紛れもない世界の現実です。彼らのカメラは私達自身の「拡張された目」であり、それがなければ私達は、現実を広い視野でとらえることができないでしょう。
編集責任者の広河隆一さんは、紙面で一つの例え話を紹介しました。「カエルを熱湯に放てば飛び出して逃げるが、見ずに入れてじわじわ熱すると湯だって死ぬ」という示唆に富んだ話です。日本の私達は今まさに「拡張された目」で異変を敏感に感じ取り、必要な行動をとらなければならないでしょう。
※この例え話は、「茶色い朝」と符合しますね。(by バッタ)
以下は、今回の写真展によせての広河隆一氏の言葉。
世界中で人々が傷つき、倒れています。しかし、それらのニュースが私達のもとにきちんと届けられていると信じている人は、少なくなってきています。知らなければならない情報が、必ずしも届いていないと信じる人が増えているのです。メディアに対する不信も広がっています。
今ほどフォトジャーナリズムの役割が問われている時代はないと言えるのではないでしょうか。罪のない人々が無惨に殺されていき、その殺戮の理由は「正義のため」とか「テロに対する戦争のため」だと言われたりします。
しかし人を殺すことを正当化する論理は、絶対に間違っているはずではないでしょうか。
この時代に、人間の命に対する敬意が失われていることも事実です。ゲームで一瞬のうちに命が消える遊びに、子供達は夢中になっています。これは爆弾を落とし、ミサイルを撃つボタンを押す感覚に通じています。子供達には被害者の姿を想像することができなくなっているのです。
人間の命に対する軽視は、自然に対する敬意の喪失や、弱者を差別し、抑圧する動きにつながっています。せいぜい自分の家族や国民の命を尊重しても、相手の国の人々の命の重さには、配慮しません。こうして平気で戦争支持の決定をしてしまうのです。
今私達は、厳しい時代にいます。都合の良い情報だけ流すメディアがあって、悲鳴を上げる人々や、苦痛にうめく人々の姿は、注意深く遠ざけられています。それだけではありません。私達はいつのまにか快いニュースだけ選択して見るようになってしまっているのです。
厳然としたメディアの必要性を感じた私達は、月刊のフォトジャーナリズム誌DAYS JAPANを発刊しました。発刊のスローガンには「1枚の写真が国家を動かすこともある」「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」という言葉を書きました。
「地球の上に生きる2005 DAYS JAPANフォトジャーナリズム写真展」は、私達人間が生きる世界を、目をそらさないでみよう、世界の人々のメッセージを受け取ろうという写真展です。見るのに勇気のいる写真もあります。しかし、現実を直視することから始めたいのです。そして私達がどこにいるのか、知ろうではありませんか。
http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/4/renewal/05kikaku.html#DAYS
11月10日 14:30〜16:10では、DAYS JAPANの編集長である広河隆一氏による記念講演会も予定されている。
演題は「メディアは人間を救えるか」。
場所は、立命館大学衣笠キャンパス 創思館 カンファレンスルーム。
「開催にあたって」立命館大学国際平和ミュージアム 館長 安斎育郎氏
『DAYS JAPAN』誌の表紙の右下に、「一枚の写真が国家を動かすこともある」というメッセージが掲げられています。百万の言葉よりも1枚の写真の方が雄弁に本質を伝えることがあるのです。この報道写真誌は、時に命がけで戦争や暴力の現場にカメラを向けた写真家達が切り取った、紛れもない世界の現実です。彼らのカメラは私達自身の「拡張された目」であり、それがなければ私達は、現実を広い視野でとらえることができないでしょう。
編集責任者の広河隆一さんは、紙面で一つの例え話を紹介しました。「カエルを熱湯に放てば飛び出して逃げるが、見ずに入れてじわじわ熱すると湯だって死ぬ」という示唆に富んだ話です。日本の私達は今まさに「拡張された目」で異変を敏感に感じ取り、必要な行動をとらなければならないでしょう。
※この例え話は、「茶色い朝」と符合しますね。(by バッタ)
以下は、今回の写真展によせての広河隆一氏の言葉。
世界中で人々が傷つき、倒れています。しかし、それらのニュースが私達のもとにきちんと届けられていると信じている人は、少なくなってきています。知らなければならない情報が、必ずしも届いていないと信じる人が増えているのです。メディアに対する不信も広がっています。
今ほどフォトジャーナリズムの役割が問われている時代はないと言えるのではないでしょうか。罪のない人々が無惨に殺されていき、その殺戮の理由は「正義のため」とか「テロに対する戦争のため」だと言われたりします。
しかし人を殺すことを正当化する論理は、絶対に間違っているはずではないでしょうか。
この時代に、人間の命に対する敬意が失われていることも事実です。ゲームで一瞬のうちに命が消える遊びに、子供達は夢中になっています。これは爆弾を落とし、ミサイルを撃つボタンを押す感覚に通じています。子供達には被害者の姿を想像することができなくなっているのです。
人間の命に対する軽視は、自然に対する敬意の喪失や、弱者を差別し、抑圧する動きにつながっています。せいぜい自分の家族や国民の命を尊重しても、相手の国の人々の命の重さには、配慮しません。こうして平気で戦争支持の決定をしてしまうのです。
今私達は、厳しい時代にいます。都合の良い情報だけ流すメディアがあって、悲鳴を上げる人々や、苦痛にうめく人々の姿は、注意深く遠ざけられています。それだけではありません。私達はいつのまにか快いニュースだけ選択して見るようになってしまっているのです。
厳然としたメディアの必要性を感じた私達は、月刊のフォトジャーナリズム誌DAYS JAPANを発刊しました。発刊のスローガンには「1枚の写真が国家を動かすこともある」「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」という言葉を書きました。
「地球の上に生きる2005 DAYS JAPANフォトジャーナリズム写真展」は、私達人間が生きる世界を、目をそらさないでみよう、世界の人々のメッセージを受け取ろうという写真展です。見るのに勇気のいる写真もあります。しかし、現実を直視することから始めたいのです。そして私達がどこにいるのか、知ろうではありませんか。
http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/4/renewal/05kikaku.html#DAYS
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