「なぜ、民主主義を世界に広げるのか」③
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2005/10/09 04:04 投稿番号: [82140 / 118550]
氏の本来の主張は、
・従来の支援は独裁国家の延命に手を貸していただけという認識に立ち、
・支援に国内改革をリンケージさせる、
というものだった筈です。
この本来の方針には全面的に賛成です。
そして、その全過程に<民主主義><自由主義><人権主義>が貫徹されねば
なりません。そうでなければ意味がありません。
テロリズムにテロリズムで答えてはなりません。
毒をもって毒を制してはなりません。
自爆テロは無差別に市民をターゲットにしているが、イスラエルの軍事攻撃は
テロリストをターッゲットにしているという明確な違いがあると筆者は述べて
います。
街中で自爆すれば、テロ行為で、
街中にミサイルをぶち込んでも、テロ行為ではないということでしょうか。
確かに、自爆テロは無差別テロです。断じて許せません。
しかし、イスラエルは、テロリストを攻撃するということで、
街中に、喫茶店に、繁華街に止めてある乗用車に、ミサイルをぶち込みました。
当然、その周囲にいる無実の一般市民にも被害が及ぶことは予め分かり切って
います。
確かに特定の対象を狙っているという意味に於いては<区別性>が存在します。
しかし、無実の市民に死傷者を出しているという意味に於いては<同一性>を
有しています。
しかもより厳密に言うとテロリストではなく、「テロの容疑者」です。
「テロの容疑者」を逮捕・拘束するのではなく、いきなりミサイルをぶち込む
ということ自体が、民主主義の原則に反しています。
更には、無実の一般市民にまで、死傷者を生み出したのなら、
民主国家を自称するなら、
①謝罪、補償、賠償
②実行行為者や関与者を罰する
これらのことを行わなければならない筈ではないのですか?
私は、無知にして、イスラエルやアメリカが、そのようなことを行っている
ことをまだ知りません。行っているのですか?
行っていないのなら、どういう根拠で、行わなくてもよいということなの
でしょうか?
「誤爆」「付随的被害」という名称を付ければ、まるで何かが免罪されるとでも
言うのでしょうか。
しかも、数人という規模ではなく、数千人、数万人という規模で行われて
います。
被害者の親族等の多くが、等価報復の論理で、復讐に燃えて、テロリストに
なる、あるいは、テロリストのシンパになっても、私は理解はできます。
「付随的被害」が小さいと賞賛までしていることに対して、
私は著者に怒りを覚えずにはおれません。
民主国家の非民主的な行いを、民主的に議論できることは、
民主主義の素晴らしさの一つだと思います。
独裁国家なら全ては闇から闇へと葬り去られていきます。
一般市民には、そんな権力側に都合の悪い情報は、ほとんど知り得ませんでした。
現在の高度情報化社会では、もはや完全には隠蔽することは無理でしょう。
それは、独裁国家死滅の技術的基礎であり、客体的条件の一つを為すと思います。
しかし、問題は、
<民主国家の非民主的は行いを、民主的に処遇する>ということです。
それができないのなら、大げさに言えば、民主主義の死です。
少なくとも、相手側の反攻を否定する論理も倫理も失ってしまいます。
「対テロ戦争」の名の下に、空爆や掃討作戦等で、一般市民への甚大な被害を
生み出してしまっていることは、客観的事実です。
この「民主国家の非民主的な行い」とそれを「民主的に処遇していないこと」
このことこそが、テロリズムを延命を助長し、テロリズムの蔓延を助け、
テロリズムの撲滅を阻害している<民主社会の側の主体的根拠>であると
思います。
・従来の支援は独裁国家の延命に手を貸していただけという認識に立ち、
・支援に国内改革をリンケージさせる、
というものだった筈です。
この本来の方針には全面的に賛成です。
そして、その全過程に<民主主義><自由主義><人権主義>が貫徹されねば
なりません。そうでなければ意味がありません。
テロリズムにテロリズムで答えてはなりません。
毒をもって毒を制してはなりません。
自爆テロは無差別に市民をターゲットにしているが、イスラエルの軍事攻撃は
テロリストをターッゲットにしているという明確な違いがあると筆者は述べて
います。
街中で自爆すれば、テロ行為で、
街中にミサイルをぶち込んでも、テロ行為ではないということでしょうか。
確かに、自爆テロは無差別テロです。断じて許せません。
しかし、イスラエルは、テロリストを攻撃するということで、
街中に、喫茶店に、繁華街に止めてある乗用車に、ミサイルをぶち込みました。
当然、その周囲にいる無実の一般市民にも被害が及ぶことは予め分かり切って
います。
確かに特定の対象を狙っているという意味に於いては<区別性>が存在します。
しかし、無実の市民に死傷者を出しているという意味に於いては<同一性>を
有しています。
しかもより厳密に言うとテロリストではなく、「テロの容疑者」です。
「テロの容疑者」を逮捕・拘束するのではなく、いきなりミサイルをぶち込む
ということ自体が、民主主義の原則に反しています。
更には、無実の一般市民にまで、死傷者を生み出したのなら、
民主国家を自称するなら、
①謝罪、補償、賠償
②実行行為者や関与者を罰する
これらのことを行わなければならない筈ではないのですか?
私は、無知にして、イスラエルやアメリカが、そのようなことを行っている
ことをまだ知りません。行っているのですか?
行っていないのなら、どういう根拠で、行わなくてもよいということなの
でしょうか?
「誤爆」「付随的被害」という名称を付ければ、まるで何かが免罪されるとでも
言うのでしょうか。
しかも、数人という規模ではなく、数千人、数万人という規模で行われて
います。
被害者の親族等の多くが、等価報復の論理で、復讐に燃えて、テロリストに
なる、あるいは、テロリストのシンパになっても、私は理解はできます。
「付随的被害」が小さいと賞賛までしていることに対して、
私は著者に怒りを覚えずにはおれません。
民主国家の非民主的な行いを、民主的に議論できることは、
民主主義の素晴らしさの一つだと思います。
独裁国家なら全ては闇から闇へと葬り去られていきます。
一般市民には、そんな権力側に都合の悪い情報は、ほとんど知り得ませんでした。
現在の高度情報化社会では、もはや完全には隠蔽することは無理でしょう。
それは、独裁国家死滅の技術的基礎であり、客体的条件の一つを為すと思います。
しかし、問題は、
<民主国家の非民主的は行いを、民主的に処遇する>ということです。
それができないのなら、大げさに言えば、民主主義の死です。
少なくとも、相手側の反攻を否定する論理も倫理も失ってしまいます。
「対テロ戦争」の名の下に、空爆や掃討作戦等で、一般市民への甚大な被害を
生み出してしまっていることは、客観的事実です。
この「民主国家の非民主的な行い」とそれを「民主的に処遇していないこと」
このことこそが、テロリズムを延命を助長し、テロリズムの蔓延を助け、
テロリズムの撲滅を阻害している<民主社会の側の主体的根拠>であると
思います。
これは メッセージ 82139 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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