3>イスラム諸国を見捨てるのか?
投稿者: bonno_216 投稿日時: 2005/08/14 10:27 投稿番号: [77231 / 118550]
>テロリストをイスラム教徒の代表のように扱って、我々の外交を
>テロリストの脅迫に影響されて決めるべきだというボンノさんの
>負け犬思想
多数のイスラム教徒とテロリストの間で共通する思いは「外来文化に対する警戒心」です。長年独自の社会制度を維持してきた国では、外来文化や外国勢力に対する警戒心が強くてあたりまえ…という認識が必要ではないでしょうか?
日本でも、幕末に「攘夷思想」が広く浸透しました。多くの日本人は長州藩などの過激志士(テロリスト)に対して否定的でしたが、国の独立を維持したいという気持ちは、彼らと共通していたのです。
ですから、「テロリストがイスラム教徒の代表」なのではなくて、「イスラム教徒の思いを過激に反映したものが、テロリストの要求」であると言う事です。私は、我々の外交を「テロリストの言いなり」にせよなどとは言った覚えがありません。たとえテロリストの要求であっても、理のある部分は聞き入れる度量が必要だと言っているだけです。
ビンラディン氏やザワヒリ氏が、なぜアラブ諸国で一定の支持を得ているのか、考えてみる必要があります。私はおそらく、それが彼らの「テロリズム」に対する支持ではなく、「攘夷思想」に対する支持なのではないかと思うのです。「アラブ人民は、武力で脅しをかけて自身に有利な外交関係を押し付ける、外国の『軍艦外交』に屈してはならない」という呼びかけに、多くのアラブ人が共感を抱くだろうことは充分に想像がつきます。
>イスラム圏から完全に手をひくということは、イスラム圏にある我々の
>武力だけを撤退するという意味ではなく、イスラム圏における交易から
>も手を引くという意味です。
テロリストたちの要求が「イスラム圏の完全鎖国」だという説には同意しませんが、もしそうだとしても、その結果が「イスラム圏をテロリストの手に渡す」ことになるとは言えません。自分たちの価値観や生活慣習、道徳観を外来文化や外国勢力によって、必要以上に乱されたくないと思っている人々は、外国勢力が完全に手を引けばテロリズムを否定する勢力にまわるでしょう。そこで、多数のモスレムが「許容できる範囲」の交易や外交関係を残したとしても、それに反対する原理主義的な過激派は孤立しますので、その国の警察力で対応が可能になり、テロリズムは必然的に衰退します。
要するに、米英がモスリムの多数の意思を尊重し、彼らの心情やプライドを傷つけることなく、もちろん軍事力による脅迫や内政干渉もなく、健全な交流を申し入れるなら、イスラム圏をテロリストの手に渡すなんて事態は起こり得ないということです。
もし多数のモスレムが「完全鎖国」を望むのであれば、外国は武力で「開国」を迫るべきじゃありません。イスラム諸国はテロリストの手にも、外国勢力の手にも渡さず、モスレムの総意に渡すのが本来の姿でしょう。カカシさんが「テロリストの手に『渡し』てはならない」と主張される時、それ(イスラム諸国)は我々(米英)の手にあるという意識になっていませんか? 自分の手にないものを、どうやって「渡す」の「渡さない」のと言えるんでしょう?
>テロリストの脅迫に影響されて決めるべきだというボンノさんの
>負け犬思想
多数のイスラム教徒とテロリストの間で共通する思いは「外来文化に対する警戒心」です。長年独自の社会制度を維持してきた国では、外来文化や外国勢力に対する警戒心が強くてあたりまえ…という認識が必要ではないでしょうか?
日本でも、幕末に「攘夷思想」が広く浸透しました。多くの日本人は長州藩などの過激志士(テロリスト)に対して否定的でしたが、国の独立を維持したいという気持ちは、彼らと共通していたのです。
ですから、「テロリストがイスラム教徒の代表」なのではなくて、「イスラム教徒の思いを過激に反映したものが、テロリストの要求」であると言う事です。私は、我々の外交を「テロリストの言いなり」にせよなどとは言った覚えがありません。たとえテロリストの要求であっても、理のある部分は聞き入れる度量が必要だと言っているだけです。
ビンラディン氏やザワヒリ氏が、なぜアラブ諸国で一定の支持を得ているのか、考えてみる必要があります。私はおそらく、それが彼らの「テロリズム」に対する支持ではなく、「攘夷思想」に対する支持なのではないかと思うのです。「アラブ人民は、武力で脅しをかけて自身に有利な外交関係を押し付ける、外国の『軍艦外交』に屈してはならない」という呼びかけに、多くのアラブ人が共感を抱くだろうことは充分に想像がつきます。
>イスラム圏から完全に手をひくということは、イスラム圏にある我々の
>武力だけを撤退するという意味ではなく、イスラム圏における交易から
>も手を引くという意味です。
テロリストたちの要求が「イスラム圏の完全鎖国」だという説には同意しませんが、もしそうだとしても、その結果が「イスラム圏をテロリストの手に渡す」ことになるとは言えません。自分たちの価値観や生活慣習、道徳観を外来文化や外国勢力によって、必要以上に乱されたくないと思っている人々は、外国勢力が完全に手を引けばテロリズムを否定する勢力にまわるでしょう。そこで、多数のモスレムが「許容できる範囲」の交易や外交関係を残したとしても、それに反対する原理主義的な過激派は孤立しますので、その国の警察力で対応が可能になり、テロリズムは必然的に衰退します。
要するに、米英がモスリムの多数の意思を尊重し、彼らの心情やプライドを傷つけることなく、もちろん軍事力による脅迫や内政干渉もなく、健全な交流を申し入れるなら、イスラム圏をテロリストの手に渡すなんて事態は起こり得ないということです。
もし多数のモスレムが「完全鎖国」を望むのであれば、外国は武力で「開国」を迫るべきじゃありません。イスラム諸国はテロリストの手にも、外国勢力の手にも渡さず、モスレムの総意に渡すのが本来の姿でしょう。カカシさんが「テロリストの手に『渡し』てはならない」と主張される時、それ(イスラム諸国)は我々(米英)の手にあるという意識になっていませんか? 自分の手にないものを、どうやって「渡す」の「渡さない」のと言えるんでしょう?
これは メッセージ 77208 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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