イラク戦争前史講座(1)
投稿者: bonno_216 投稿日時: 2005/08/08 17:06 投稿番号: [76890 / 118550]
50年代以後、米国の中東政策を一言で言い表すなら「中東の民主化、近代化の阻止」です。
中東の石油は米国にとって「死活的」重要性を持っていませんし、機械文明で大幅な遅れをとったアラブ諸国は軍事的にも経済的にも、さしづめ米国の強敵には成り得ません。逆説的ですが、米国は中東が低開発かつ不安定であったところで、なんら困る事などないのです。英・仏という旧帝国にかつてのエネルギーがあったなら、米国は中東に進出することすらなかったでしょう。
しかし、英仏が中東地域から撤退することによって、致命的な損害を被るグループがありました。それは、中東の石油で巨万の富を得ていたメジャーと、メジャーに採掘権や開発権を売り渡すことで、その分け前にありついていたアラブの王族や富豪たちです。ハシム家やサバハ家、サウド家などは、メジャーが宗主国の強大な軍事力を後ろ盾にしていたからこそ、石油利権との交換で自らの権力と富を保障されていたのであり、宗主国が軍隊を引き上げれば、その地位は危うくなります。
実際、56年のスエズ戦争でヨーロッパの旧帝国が中東から撤退したあと、米国が本格的軍事介入に乗り出してくる80年までの25年間、王家とメジャー連合はアラブ民族主義との戦いで連戦連敗を喫したのです。イラク、シリアに共和国が誕生し、60年にはOPEC結成、アラブ民族はだんだん、西欧の資本抜きでもやっていける…という自信を持ちはじめます。そうなれば、封建的な王制はやがて全部淘汰され「民主アラブ」への道が見えてきます。
サウド家やビンラディン家など、サウジの王族、富豪たちはこの「中東民主化」の波に恐怖を抱き始めます。一方、70年前後には「サウジ・マネー」が米国経済の「命綱」となっていたという事情から、米国にとってはサウジの王権を守り、周辺国の民主化を妨害することが、基本的な中東政策となったわけです。もちろん、オイルビジネスに携わる米国系多国籍企業、国際金融資本のロビーおよび、アラブの近代化、強大化が自国の存続を危うくすると恐れるイスラエルのロビーが、米国の外交政策に大きな影響力を持っていた…ということも忘れてはなりません。
1958年、イラクのカセム准将がハシム王家を廃し、イラク共和国を打ち立てた時、米国はトルコに働きかけイラク侵攻を計画しました。これはソ連の脅迫にあって未遂に終わりますが、60年、CIAは反カセムの闘士だったサダム・フセイン氏らと結託しカセム首相暗殺を企てます。この暗殺も未遂に終わるのですが、63年には軍部の実力者アーリフ氏らを味方につけてクーデターに成功、カセム首相は殺されます。
米国の傀儡だったアーリフ政権は、イラク全土で粛正の血の雨を降らせた結果、自滅。バクル大統領のバース党政権が誕生します。バクル政権が強引に石油企業を国営化してしまったことを受けて、米国はイラン王国を通じてイラク国内のクルド勢力に軍事援助を行ないました。しかし75年、石油戦略でイランとイラクの和解が成立、クルド族は見殺しにされます。
奇しくも1979年の同時期に誕生した、フセイン・イラク共和国とイラン・イスラム共和国は、サウジに膨大な利権を持つ米国にとって手に余る脅威となっていました。イラクの汎アラブ主義がサウジを飲み込むかも知れないし、イランのイスラム革命がサウジに飛び火する危険性も充分にあったのです。王制を廃し、近代化を進めるアラブと西アジア、二つの大国が互いに噛み付きあった「イ・イ戦争」は、米国にとってまさに「慈雨」でした。
米国はサウジ、クウェートなどGCC諸国を通じて、フセイン・イラクをバックアップし、裏ではイランに武器を密輸して「共倒れ」を期待します。同時に、中東に米軍の軍事プレゼンスを確保すべく緊急展開軍の創設、増強を始めたのです。イ・イ戦争終結後、CIAは何度もフセイン大統領暗殺を企てますが成功せず、湾岸戦争でもフセイン氏の息の根を止めることは叶いませんでした。
まあ、おおざっぱですが、だいたいこの程度の「イラク戦争」前史くらいは知っておいて下さいね。四半世紀に渡って「中東民主化」の波に抵抗し続けた米国外交が、911を機会に180度方針転換し「中東民主化」の方針に切り替えた…などと考えるのはバカげています。それでも「テロの脅威から国を守るために、中東民主化の方針が必要だったのだ」という声もあるでしょうね。次回は、この理論が「ネオコンの寝言」に過ぎないことを論理的に証明したいと思います。おたのしみに(ちょっと間が開くかも知れませんが…)。
中東の石油は米国にとって「死活的」重要性を持っていませんし、機械文明で大幅な遅れをとったアラブ諸国は軍事的にも経済的にも、さしづめ米国の強敵には成り得ません。逆説的ですが、米国は中東が低開発かつ不安定であったところで、なんら困る事などないのです。英・仏という旧帝国にかつてのエネルギーがあったなら、米国は中東に進出することすらなかったでしょう。
しかし、英仏が中東地域から撤退することによって、致命的な損害を被るグループがありました。それは、中東の石油で巨万の富を得ていたメジャーと、メジャーに採掘権や開発権を売り渡すことで、その分け前にありついていたアラブの王族や富豪たちです。ハシム家やサバハ家、サウド家などは、メジャーが宗主国の強大な軍事力を後ろ盾にしていたからこそ、石油利権との交換で自らの権力と富を保障されていたのであり、宗主国が軍隊を引き上げれば、その地位は危うくなります。
実際、56年のスエズ戦争でヨーロッパの旧帝国が中東から撤退したあと、米国が本格的軍事介入に乗り出してくる80年までの25年間、王家とメジャー連合はアラブ民族主義との戦いで連戦連敗を喫したのです。イラク、シリアに共和国が誕生し、60年にはOPEC結成、アラブ民族はだんだん、西欧の資本抜きでもやっていける…という自信を持ちはじめます。そうなれば、封建的な王制はやがて全部淘汰され「民主アラブ」への道が見えてきます。
サウド家やビンラディン家など、サウジの王族、富豪たちはこの「中東民主化」の波に恐怖を抱き始めます。一方、70年前後には「サウジ・マネー」が米国経済の「命綱」となっていたという事情から、米国にとってはサウジの王権を守り、周辺国の民主化を妨害することが、基本的な中東政策となったわけです。もちろん、オイルビジネスに携わる米国系多国籍企業、国際金融資本のロビーおよび、アラブの近代化、強大化が自国の存続を危うくすると恐れるイスラエルのロビーが、米国の外交政策に大きな影響力を持っていた…ということも忘れてはなりません。
1958年、イラクのカセム准将がハシム王家を廃し、イラク共和国を打ち立てた時、米国はトルコに働きかけイラク侵攻を計画しました。これはソ連の脅迫にあって未遂に終わりますが、60年、CIAは反カセムの闘士だったサダム・フセイン氏らと結託しカセム首相暗殺を企てます。この暗殺も未遂に終わるのですが、63年には軍部の実力者アーリフ氏らを味方につけてクーデターに成功、カセム首相は殺されます。
米国の傀儡だったアーリフ政権は、イラク全土で粛正の血の雨を降らせた結果、自滅。バクル大統領のバース党政権が誕生します。バクル政権が強引に石油企業を国営化してしまったことを受けて、米国はイラン王国を通じてイラク国内のクルド勢力に軍事援助を行ないました。しかし75年、石油戦略でイランとイラクの和解が成立、クルド族は見殺しにされます。
奇しくも1979年の同時期に誕生した、フセイン・イラク共和国とイラン・イスラム共和国は、サウジに膨大な利権を持つ米国にとって手に余る脅威となっていました。イラクの汎アラブ主義がサウジを飲み込むかも知れないし、イランのイスラム革命がサウジに飛び火する危険性も充分にあったのです。王制を廃し、近代化を進めるアラブと西アジア、二つの大国が互いに噛み付きあった「イ・イ戦争」は、米国にとってまさに「慈雨」でした。
米国はサウジ、クウェートなどGCC諸国を通じて、フセイン・イラクをバックアップし、裏ではイランに武器を密輸して「共倒れ」を期待します。同時に、中東に米軍の軍事プレゼンスを確保すべく緊急展開軍の創設、増強を始めたのです。イ・イ戦争終結後、CIAは何度もフセイン大統領暗殺を企てますが成功せず、湾岸戦争でもフセイン氏の息の根を止めることは叶いませんでした。
まあ、おおざっぱですが、だいたいこの程度の「イラク戦争」前史くらいは知っておいて下さいね。四半世紀に渡って「中東民主化」の波に抵抗し続けた米国外交が、911を機会に180度方針転換し「中東民主化」の方針に切り替えた…などと考えるのはバカげています。それでも「テロの脅威から国を守るために、中東民主化の方針が必要だったのだ」という声もあるでしょうね。次回は、この理論が「ネオコンの寝言」に過ぎないことを論理的に証明したいと思います。おたのしみに(ちょっと間が開くかも知れませんが…)。
これは メッセージ 76888 (bonno_216 さん)への返信です.
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