>カーター・ドクトリン
投稿者: bonno_216 投稿日時: 2005/08/05 14:06 投稿番号: [76538 / 118550]
>アメリカが民主共和の政党を超えて、アメリカの方針として
>イラク侵略を狙っていたという考えに続くというのは、
いえいえ、私もそこまでは言ってませんよ。msg76454で私が書いた文面をご確認ください。
「米国は80年代後半からずっと、対イラク戦争を策動してきました」だったですよね。正確には88年、イ・イ戦争終結直後からの話です。それに「イラク占領」というオプションが表に登場したのは湾岸戦争直後からですし、カカシさんがおっしゃるように、クリントン政権はこのオプションに、それほど引きつけられていませんでした。
私が言いたかったのは「米国は、カーター・ドクトリン以降、中東の権益を武力で守る…という基本方針を持ち続けてきた」っていう点です。そして、イ・イ戦争も湾岸戦争も、米国の中東に於ける軍事プレゼンスを拡大することに繋がったという事実。この二つの事実を踏まえれば、「湾岸戦争はイラクのクウェート侵略が原因」だとか「イラク戦争はイラクのWMD所持とテロリズムへの連帯(両方とも疑惑)が原因」というような、近視眼的認識から脱却できるのでは…と思ったのです。
カーター・ドクトリン以後23年間「イラク占領」を実行に移さなかったのは何故か?…とのことですが、それは、同じ「武力による権益の防衛」でも「イラク占領」というオプションが、当時、現実的ではなかったからです。80年代当初、中東に米軍は居ませんでした。前衛基地もなく大遠征の武力侵攻したところで、補給も続かないし、周辺国を巻き込んだ頑強な抵抗に逢い「第二のベトナム化」することは目に見えていました。さらに、最大の難関はソ連でした。
イラク(バクル政権)は1972年の「石油国有化」に先立ち、メジャー側の反撃(米英の軍事介入)を予測して、ソ連と友好条約を結んでいます。中東に現在のような強大な軍事プレゼンスを持っていなかった米国は出鼻をくじかれ、煮え湯を飲まされた格好になったのです。ことはそれだけに収まらず、アラブ各国は次々と石油国有化に転じ、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)は第四次中東戦争にあたり「石油武器論」を掲げて、大胆な「石油戦略」(米・蘭への禁輸、非友好国への輸出制限)を打ち出してきました。これが1973年の「オイル・ショック」です。
こうした歴史的な経緯があって、米国は「中東で米軍が戦争できる態勢を作る」という基本姿勢を打ち出したわけですね。ただし、これは「すぐさま中東で戦争を起こす」という姿勢ではありません。第一義的には「中東資源各国が米国の権益を損ねるような政策をとらないよう牽制する」であり、第二義的には「米国の権益に挑戦する国家があれば、限定的空爆などで脅迫する」、そして「いよいよ米国の権益が危機に晒された時は、その主導的国家を破壊する」が第三義です。
1988年以降、イラクはこの「第三義的領域」に突入しました。しかし、米国の中央軍編成は未だ完全ではなく、ソ連も健在であり、イラクにはWMDが存在していたのです。
それから10年、すでにソ連は崩壊し、イラクのWMDは国連査察団によって廃棄されました。サウジ、カタール、オマーン、クウェートには恒久基地が建設され、兵士の訓練も重ねてきました。ただ、米国民は10年の平和を享受しており、開戦への世論作りは困難だろうと思われ、その点のみが「米国の中東政策」を前進させるネックだったのです。ちょうど、その時911事件が起こったのです。
私は、911が米国指導層の「陰謀」であると断言するつもりじゃありませんが(可能性は充分にあると思っていますが…)、「ゲートが開いたから、馬が走りだした」のではなく「まさに馬が走りだそうとしていたところへ、都合よくゲートが開いた」のだ、という感触を持っています。
>イラク侵略を狙っていたという考えに続くというのは、
いえいえ、私もそこまでは言ってませんよ。msg76454で私が書いた文面をご確認ください。
「米国は80年代後半からずっと、対イラク戦争を策動してきました」だったですよね。正確には88年、イ・イ戦争終結直後からの話です。それに「イラク占領」というオプションが表に登場したのは湾岸戦争直後からですし、カカシさんがおっしゃるように、クリントン政権はこのオプションに、それほど引きつけられていませんでした。
私が言いたかったのは「米国は、カーター・ドクトリン以降、中東の権益を武力で守る…という基本方針を持ち続けてきた」っていう点です。そして、イ・イ戦争も湾岸戦争も、米国の中東に於ける軍事プレゼンスを拡大することに繋がったという事実。この二つの事実を踏まえれば、「湾岸戦争はイラクのクウェート侵略が原因」だとか「イラク戦争はイラクのWMD所持とテロリズムへの連帯(両方とも疑惑)が原因」というような、近視眼的認識から脱却できるのでは…と思ったのです。
カーター・ドクトリン以後23年間「イラク占領」を実行に移さなかったのは何故か?…とのことですが、それは、同じ「武力による権益の防衛」でも「イラク占領」というオプションが、当時、現実的ではなかったからです。80年代当初、中東に米軍は居ませんでした。前衛基地もなく大遠征の武力侵攻したところで、補給も続かないし、周辺国を巻き込んだ頑強な抵抗に逢い「第二のベトナム化」することは目に見えていました。さらに、最大の難関はソ連でした。
イラク(バクル政権)は1972年の「石油国有化」に先立ち、メジャー側の反撃(米英の軍事介入)を予測して、ソ連と友好条約を結んでいます。中東に現在のような強大な軍事プレゼンスを持っていなかった米国は出鼻をくじかれ、煮え湯を飲まされた格好になったのです。ことはそれだけに収まらず、アラブ各国は次々と石油国有化に転じ、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)は第四次中東戦争にあたり「石油武器論」を掲げて、大胆な「石油戦略」(米・蘭への禁輸、非友好国への輸出制限)を打ち出してきました。これが1973年の「オイル・ショック」です。
こうした歴史的な経緯があって、米国は「中東で米軍が戦争できる態勢を作る」という基本姿勢を打ち出したわけですね。ただし、これは「すぐさま中東で戦争を起こす」という姿勢ではありません。第一義的には「中東資源各国が米国の権益を損ねるような政策をとらないよう牽制する」であり、第二義的には「米国の権益に挑戦する国家があれば、限定的空爆などで脅迫する」、そして「いよいよ米国の権益が危機に晒された時は、その主導的国家を破壊する」が第三義です。
1988年以降、イラクはこの「第三義的領域」に突入しました。しかし、米国の中央軍編成は未だ完全ではなく、ソ連も健在であり、イラクにはWMDが存在していたのです。
それから10年、すでにソ連は崩壊し、イラクのWMDは国連査察団によって廃棄されました。サウジ、カタール、オマーン、クウェートには恒久基地が建設され、兵士の訓練も重ねてきました。ただ、米国民は10年の平和を享受しており、開戦への世論作りは困難だろうと思われ、その点のみが「米国の中東政策」を前進させるネックだったのです。ちょうど、その時911事件が起こったのです。
私は、911が米国指導層の「陰謀」であると断言するつもりじゃありませんが(可能性は充分にあると思っていますが…)、「ゲートが開いたから、馬が走りだした」のではなく「まさに馬が走りだそうとしていたところへ、都合よくゲートが開いた」のだ、という感触を持っています。
これは メッセージ 76531 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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