>needpさん、テロとどう対峙するか
投稿者: moriya99 投稿日時: 2005/07/11 16:08 投稿番号: [74736 / 118550]
テロとの対峙の仕方って、正義とか悪だとか、じゃないと思うのね。
確かに国際政治や武力行使において、正義の旗が振られる。ま、煽動の一種ですね。
正義とか愛国心とかの言葉は、自分の都合の良い方に人をなびかせる道具として使われる。ま、正当化の喚きですね。私は、正義とか愛国心とかが出てきたら、戦争とか、国際政治の場では、無知な人たちを自分の意志のままに動かして利用しようという魂胆の表出だと思っている。
お前たちは、俺たちに奉仕すればいいんだ、犠牲になるべきだ。それたちのために…。ま、正義って、その程度の意味かと。
俺に騙されろ、と喚いていんですよ。
ま、現実論に戻って、テロに対してどのような姿勢を取るのか。それが問題ですよね。
この命題を解く鍵は自由と民主主義をどう受取り、どう対峙するかの問題じゃないですか。
アメリカ型の民主主義を支持するなら、まあ、とりあえず、テロは撲滅するべき対象になりますね。
テロや暴動は、強大な力の者に対抗する手段だともいえますからね。卑劣な犯罪だとも言えないですよ。ま、ケースバイケースになってきますが。
オームのサリン事件などは、どうみても擁護できない。狂った集団が狂った行動に出たとしか思えない。信教の自由は認めるにしても、彼らを社会が追いやったとは思えない。極めて個人的な事情でしょう。ある意味、一時的集団に不満がある人たちが、二次的集団を求めて集まり、そのような集団にありがちな過激化がおきた、としか思えない。
だが、国際舞台では、帝国の横暴に対する抵抗の手段として、残されたもの、という解釈もあるでしょう。
だから、アメリカの帝国化やソ連の強権による押さえつけに対して行なわれている。
テロ側も自分たちの生存をかけて、闘っている訳で…。
そして、自分の立場…。これは、あくまでも、自由と民主主義をどうとるか。今後、自由と民主主義はどうなって行くか、なんですよね。
一様、ソ連や中共のような、個人の尊厳の制約の強い社会体制を望まないとしたら、自由と民主主義をベースにした社会を守るしかないですね。
その意味では、大変な社会的秩序を怖さ得れる事件ですから、困る。テロの犠牲になるのは嫌です。犠牲にならなくても、テロに怯えて暮らすのも嫌です。
だとしたら、ある程度は、武力や強制力によって防ぐのも止むを得ない。だが、本当に秩序が欲しいなら、自由と民主主義も誰かの犠牲に上に成り立っているのでは、危ないんですね。
富んだ社会で豊かな生活をしている者がテロを憎んでも意味がない。テロは無くならない。テロが起きる要因や動機になるものを除去が必要ですね。
豊かに自由を享受したいなら、ある程度、テロは覚悟の生き方、というべきかも知れません。個人でも、富んで居る者がある程度は、何らかの搾取を含み、狙われるというのは、現実としてあることです。
富みは分けるべきか。だが、搾取をやめて、アメリカは持つのか。日本は持つのか。
テロの激化は、アメリカの帝国化に伴って、大きくクローズアップされてきたものですね。アメリカと同調せざるを得ない日本に何ができるか。
テロを覚悟で生きる時代に入ってきたのかも知れない。自由と民主主義を守りたいなら、短期的には、正面から闘うより仕方がないのかも。
だが、戦争は嫌いです。どんな正義を並べられても、戦場で死にたくはない。爆撃で死にたくはない。正義であろうと、不正義であろうと、嫌なものは嫌です。
と同時にテロのような暴力もごめんです。
戦争という暴力を振りかがしている者と、テロをいう犯罪を繰り返している者と。
だが、やはり、アメリカ型の民主主義をある程度、支持せざるを得ない立場の者からすると、やはり、テロの動機になるものを、どうやって取り除いていくか。それに真剣な者を支持したいですね。
まあ、随分、遠回りですけど。
やはり、問題は、世界に厳然とあり、容認されているかのように見える、激しい貧富の差が生み出す悲劇なんですけど…。
貧困国の人たちも、度し難い。長く忍耐のいる闘いですよ。
豊かな世界で安心して暮らしたいと思えば、手を汚す覚悟もいる。自分の手の汚れも覚悟でないとね。正義などという言葉で洗い流して手にいれらるものじゃないでしょう。
ま、これは、個人の生活に当てはめてみれば分かる。金持ちなどになれば、家は強固な塀で囲い、警備会社と契約し、ときには、ガードマンを雇わなければならない。
富みと自由というのは、案外、相いれないですね。
貧富の差が小さくなれば、テロなどはおきなくなるのでしょうけんどね。本当に警察が取り締まる範囲のものになる。
例外的に犯罪の行為で
確かに国際政治や武力行使において、正義の旗が振られる。ま、煽動の一種ですね。
正義とか愛国心とかの言葉は、自分の都合の良い方に人をなびかせる道具として使われる。ま、正当化の喚きですね。私は、正義とか愛国心とかが出てきたら、戦争とか、国際政治の場では、無知な人たちを自分の意志のままに動かして利用しようという魂胆の表出だと思っている。
お前たちは、俺たちに奉仕すればいいんだ、犠牲になるべきだ。それたちのために…。ま、正義って、その程度の意味かと。
俺に騙されろ、と喚いていんですよ。
ま、現実論に戻って、テロに対してどのような姿勢を取るのか。それが問題ですよね。
この命題を解く鍵は自由と民主主義をどう受取り、どう対峙するかの問題じゃないですか。
アメリカ型の民主主義を支持するなら、まあ、とりあえず、テロは撲滅するべき対象になりますね。
テロや暴動は、強大な力の者に対抗する手段だともいえますからね。卑劣な犯罪だとも言えないですよ。ま、ケースバイケースになってきますが。
オームのサリン事件などは、どうみても擁護できない。狂った集団が狂った行動に出たとしか思えない。信教の自由は認めるにしても、彼らを社会が追いやったとは思えない。極めて個人的な事情でしょう。ある意味、一時的集団に不満がある人たちが、二次的集団を求めて集まり、そのような集団にありがちな過激化がおきた、としか思えない。
だが、国際舞台では、帝国の横暴に対する抵抗の手段として、残されたもの、という解釈もあるでしょう。
だから、アメリカの帝国化やソ連の強権による押さえつけに対して行なわれている。
テロ側も自分たちの生存をかけて、闘っている訳で…。
そして、自分の立場…。これは、あくまでも、自由と民主主義をどうとるか。今後、自由と民主主義はどうなって行くか、なんですよね。
一様、ソ連や中共のような、個人の尊厳の制約の強い社会体制を望まないとしたら、自由と民主主義をベースにした社会を守るしかないですね。
その意味では、大変な社会的秩序を怖さ得れる事件ですから、困る。テロの犠牲になるのは嫌です。犠牲にならなくても、テロに怯えて暮らすのも嫌です。
だとしたら、ある程度は、武力や強制力によって防ぐのも止むを得ない。だが、本当に秩序が欲しいなら、自由と民主主義も誰かの犠牲に上に成り立っているのでは、危ないんですね。
富んだ社会で豊かな生活をしている者がテロを憎んでも意味がない。テロは無くならない。テロが起きる要因や動機になるものを除去が必要ですね。
豊かに自由を享受したいなら、ある程度、テロは覚悟の生き方、というべきかも知れません。個人でも、富んで居る者がある程度は、何らかの搾取を含み、狙われるというのは、現実としてあることです。
富みは分けるべきか。だが、搾取をやめて、アメリカは持つのか。日本は持つのか。
テロの激化は、アメリカの帝国化に伴って、大きくクローズアップされてきたものですね。アメリカと同調せざるを得ない日本に何ができるか。
テロを覚悟で生きる時代に入ってきたのかも知れない。自由と民主主義を守りたいなら、短期的には、正面から闘うより仕方がないのかも。
だが、戦争は嫌いです。どんな正義を並べられても、戦場で死にたくはない。爆撃で死にたくはない。正義であろうと、不正義であろうと、嫌なものは嫌です。
と同時にテロのような暴力もごめんです。
戦争という暴力を振りかがしている者と、テロをいう犯罪を繰り返している者と。
だが、やはり、アメリカ型の民主主義をある程度、支持せざるを得ない立場の者からすると、やはり、テロの動機になるものを、どうやって取り除いていくか。それに真剣な者を支持したいですね。
まあ、随分、遠回りですけど。
やはり、問題は、世界に厳然とあり、容認されているかのように見える、激しい貧富の差が生み出す悲劇なんですけど…。
貧困国の人たちも、度し難い。長く忍耐のいる闘いですよ。
豊かな世界で安心して暮らしたいと思えば、手を汚す覚悟もいる。自分の手の汚れも覚悟でないとね。正義などという言葉で洗い流して手にいれらるものじゃないでしょう。
ま、これは、個人の生活に当てはめてみれば分かる。金持ちなどになれば、家は強固な塀で囲い、警備会社と契約し、ときには、ガードマンを雇わなければならない。
富みと自由というのは、案外、相いれないですね。
貧富の差が小さくなれば、テロなどはおきなくなるのでしょうけんどね。本当に警察が取り締まる範囲のものになる。
例外的に犯罪の行為で
これは メッセージ 74646 (need2003jp さん)への返信です.
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