>アメリカの正義は普遍ではない
投稿者: etranger3_01 投稿日時: 2005/06/28 12:16 投稿番号: [74042 / 118550]
>ところで私はアメリカの行為が普遍の正義だなどと言った覚えはない。ただブッシュ政権はこの正義の理想のもとに方針を作っているとはおもうがね。
なるほど、やっと貴女もmブッシュ政権の掲げる「正義」が“理想でしかない”ことを認めてくれましたね。これでやっと、共通の土壌に立てたといえます。
そうなんです。いま世界で起きている衝突(clash)は、いわば「理想の衝突」なんです。
それは、国連が作られた基盤である普遍的正義でありアメリカ合衆国憲法および日本国憲法の前文にもある正義(国家が掲げる正義)、すなわち①人民の生存、自由、幸福を追求する権利という不可侵の権利を守る正義、そしてそれに加えて、②人民の平和・平等・自決の権利を守る正義(国際社会が掲げる正義)が織り成す「普遍的正義」という理想と、③時代を経て変容していった「アメリカの正義」が掲げる独自の理想の衝突(主権国家の正義:これが何であるかは?です)です。もっと正確にいえば、「理想を実現するための方法論についての衝突」ということです。
〔まとめ:“理想の衝突”とは〕
①合衆国憲法および日本国憲法に掲げられる正義(国家が掲げる正義):
人民の生存、自由、幸福を追求する権利を守ること
②国連憲章に掲げられる正義(国際社会が掲げる正義):
人民の平和、平等、自決に関する権利を守ること
③変容するアメリカが掲げる正義:
?
“理想の衝突”=①+② vs. ③
普遍的正義とは、ひとつの理想です。
人類が目指すべき、到達すべきゴールに過ぎません。
つまり、理想として掲げることはできても、実在はしません。
なぜなら、現代の法治社会においては、普遍的正義とは普遍的な法の支配のもとでのみ成立するからです。簡単にいえば、すべての国々と人々がその価値観を共有したときに初めて、理想は普遍的なものとなり、正義となります。すなわち、普遍的正義とは全ての人々が望む共通の理想を現したものといえます。しかし国際社会においては、そのような人類共通の理想をそのまま実現するのは、現実的に不可能です。それは、普遍的な法というものが国際社会には存在しないからです。
普遍的正義は、曖昧であってはいけません。普遍的正義は、具体的であり、かつ誰もが認め体内に入れることのできるものでなければいけません。しかしそのような普遍的正義を、人は作り出すことができるのでしょうか?
そこで、人類はある大きな試みに出ました。それは、人類を代表する国家の集まりにより、その国家の総意として、間接民主的に「普遍的正義」というコンセンサスを模す試みです。その体現が国連憲章という全ての加盟国に対して拘束力を持つ国際条約です。つまり国連憲章には、前述の①と②の価値観が内包されており、それが1つの普遍的正義として成立しているのです。
国際社会には国際社会の理想が、アメリカにはアメリカの理想がある。
そしてかつて国際社会の理想(国連憲章)の起草者はアメリカであり、アメリカはその体現者でもあった。だが、アメリカはその理想に見切りをつけてしまった。そこで、いまの「理想の衝突」が起こっているわけです。
これは、国家の中の社会において、個人の理想と社会の理想とが存在するのと同じです。しかしアメリカはその社会の構成員でしかなく、アメリカはその社会に存在し社会の恩恵を享受するのならば社会の掟に従わなければなりません。これはもっとも原始的な社会契約論に基づく考え方です。ただ、アメリカは力を持っている。というより、力を持ちすぎている。だから、社会の構成員として、独自の理想論に基づいてその社会が守る正義について疑問を唱えているわけです。「そんなものは正義ではない」と。
これが、いまのアメリカ vs. 国際社会の図式の縮図ではないでしょうか。
結局は理想論の闘いでしかない。
まずはそれを認識するのが大事だと思うのです。
《了》
なるほど、やっと貴女もmブッシュ政権の掲げる「正義」が“理想でしかない”ことを認めてくれましたね。これでやっと、共通の土壌に立てたといえます。
そうなんです。いま世界で起きている衝突(clash)は、いわば「理想の衝突」なんです。
それは、国連が作られた基盤である普遍的正義でありアメリカ合衆国憲法および日本国憲法の前文にもある正義(国家が掲げる正義)、すなわち①人民の生存、自由、幸福を追求する権利という不可侵の権利を守る正義、そしてそれに加えて、②人民の平和・平等・自決の権利を守る正義(国際社会が掲げる正義)が織り成す「普遍的正義」という理想と、③時代を経て変容していった「アメリカの正義」が掲げる独自の理想の衝突(主権国家の正義:これが何であるかは?です)です。もっと正確にいえば、「理想を実現するための方法論についての衝突」ということです。
〔まとめ:“理想の衝突”とは〕
①合衆国憲法および日本国憲法に掲げられる正義(国家が掲げる正義):
人民の生存、自由、幸福を追求する権利を守ること
②国連憲章に掲げられる正義(国際社会が掲げる正義):
人民の平和、平等、自決に関する権利を守ること
③変容するアメリカが掲げる正義:
?
“理想の衝突”=①+② vs. ③
普遍的正義とは、ひとつの理想です。
人類が目指すべき、到達すべきゴールに過ぎません。
つまり、理想として掲げることはできても、実在はしません。
なぜなら、現代の法治社会においては、普遍的正義とは普遍的な法の支配のもとでのみ成立するからです。簡単にいえば、すべての国々と人々がその価値観を共有したときに初めて、理想は普遍的なものとなり、正義となります。すなわち、普遍的正義とは全ての人々が望む共通の理想を現したものといえます。しかし国際社会においては、そのような人類共通の理想をそのまま実現するのは、現実的に不可能です。それは、普遍的な法というものが国際社会には存在しないからです。
普遍的正義は、曖昧であってはいけません。普遍的正義は、具体的であり、かつ誰もが認め体内に入れることのできるものでなければいけません。しかしそのような普遍的正義を、人は作り出すことができるのでしょうか?
そこで、人類はある大きな試みに出ました。それは、人類を代表する国家の集まりにより、その国家の総意として、間接民主的に「普遍的正義」というコンセンサスを模す試みです。その体現が国連憲章という全ての加盟国に対して拘束力を持つ国際条約です。つまり国連憲章には、前述の①と②の価値観が内包されており、それが1つの普遍的正義として成立しているのです。
国際社会には国際社会の理想が、アメリカにはアメリカの理想がある。
そしてかつて国際社会の理想(国連憲章)の起草者はアメリカであり、アメリカはその体現者でもあった。だが、アメリカはその理想に見切りをつけてしまった。そこで、いまの「理想の衝突」が起こっているわけです。
これは、国家の中の社会において、個人の理想と社会の理想とが存在するのと同じです。しかしアメリカはその社会の構成員でしかなく、アメリカはその社会に存在し社会の恩恵を享受するのならば社会の掟に従わなければなりません。これはもっとも原始的な社会契約論に基づく考え方です。ただ、アメリカは力を持っている。というより、力を持ちすぎている。だから、社会の構成員として、独自の理想論に基づいてその社会が守る正義について疑問を唱えているわけです。「そんなものは正義ではない」と。
これが、いまのアメリカ vs. 国際社会の図式の縮図ではないでしょうか。
結局は理想論の闘いでしかない。
まずはそれを認識するのが大事だと思うのです。
《了》
これは メッセージ 74037 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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