生ハムさん、ご迷惑をおかけしてます
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/06/26 22:35 投稿番号: [73989 / 118550]
すいません。
せっかくの日曜日に。
リアルクン、余程暇らしいです。
リアル>>日本政府が虐殺を指示した証拠は?
>>あ、そ。
>>つまり、証拠はないと。
>>全部妄想です。と。
>>了解しました。
>>オマイらは アホです。
生ハムさん>自己撞着しちゃってもーー。
>証人の証言は妄想ですか?
>おばかさん(^O^)
リアルクン達は、【証言では無く】【虐殺指令書】を出せと言うんですよね。
でもたくさんの元皇軍兵士達が【証言】しています。↓
★虐殺指令
■ 一 般 市 民 虐 殺 命 令 ■
・・・
鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊
南京戦の時、
【当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、】
その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、
「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」ちゅう命令やった。
【天皇陛下の命令やと言ったな。】
当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P271
南泰吉(1913年7月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊
行軍が早くてどんどん進むもんでね。部落は日本軍が火をつけて焼けてますやろ。上陸した始めの頃は焼いてなかったけど、途中でそりゃもう、部落をどんどん焼いてました。放火分隊って、上陸の時はうちの中隊もありましたな。
中隊長があの部落焼いてこいって。家の中には、住民が隠れていてますわな。それを殺さなならんのですわな。
それで兵隊嫌がってましたな。
【その命令が出ると。おると殺さないかんのです。】
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P302
沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班
【この中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が出ました。つまり虐殺でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。】
(略)
【命令が出てなかったらこっちはしませんよ。】
・・
徳田一太郎(1914年6月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第2大隊
南京に向かう途中どこの戦闘だったかは忘れたけれど、部落があってあそこに共産党がいるということで、
上から「負傷者に関わらず全部共産兵なので、全部殺せ」と命令してきたんです。それで部落に火を点けるとな、後ろから煙が上がってきました。
その中から「オギャーオギャー」と赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P135
・・
吉川定国(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1機関銃中隊
私ら行った時は白茆江やったかな。弾飛んで来えへんかったということは敵おらへんかった。
【上陸の時命令受領に行ったら「普通の男も殺せ、皆敵や」と言われていたで。】
家を焼けとの命もあって、うちの中隊でも放火班があったで。十人ぐらいで火をつけたけども常熟の前やったか、一日ぐらいで止めた。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P69
依田修(1916年11月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第3機関銃中隊
大連から南下して上海から揚子江を上にいった白茆口という所に着きました。そこでは敵前上陸で、そこからどんどん追撃して南京まで行ったんです。
【その時、私は上からの命令文を見ました。】
「支那人は全部殺せ、家は全部焼け」と書いてありました。その命令は白茆口を上陸する前日に出たんです。
当時、大連で船に乗った時はもう内地に帰れるかなぁと思っていました。でも、なかなか日本に着かないなぁと思っていると上陸の命令が来たんです。「今から上陸するところは米が穫れる、水牛がおる、支那人は全部殺せ、家は全部焼け」と言う命令でした。
(略)
・・・
【中島師団長という人は剛胆な人で、「支那の家を全部焼いてしまえ」と言いましてな。白茆口へ上陸した時です。】
「ここは抗日の一番ひどいとこやから各部落の家は全部焼け」とも言いました。
私も上陸してから露営して、すぐに家を焼きました。仲間内で伝わって来ましてな。「師団長が言うたんで、やってしまえ」と。
・・
■ 無 差 別 掃 蕩 命 令 ■
・・
【掃蕩をやる時は中隊長の指揮によってです。】
・・・
http://members.at.
せっかくの日曜日に。
リアルクン、余程暇らしいです。
リアル>>日本政府が虐殺を指示した証拠は?
>>あ、そ。
>>つまり、証拠はないと。
>>全部妄想です。と。
>>了解しました。
>>オマイらは アホです。
生ハムさん>自己撞着しちゃってもーー。
>証人の証言は妄想ですか?
>おばかさん(^O^)
リアルクン達は、【証言では無く】【虐殺指令書】を出せと言うんですよね。
でもたくさんの元皇軍兵士達が【証言】しています。↓
★虐殺指令
■ 一 般 市 民 虐 殺 命 令 ■
・・・
鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊
南京戦の時、
【当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、】
その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、
「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」ちゅう命令やった。
【天皇陛下の命令やと言ったな。】
当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P271
南泰吉(1913年7月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊
行軍が早くてどんどん進むもんでね。部落は日本軍が火をつけて焼けてますやろ。上陸した始めの頃は焼いてなかったけど、途中でそりゃもう、部落をどんどん焼いてました。放火分隊って、上陸の時はうちの中隊もありましたな。
中隊長があの部落焼いてこいって。家の中には、住民が隠れていてますわな。それを殺さなならんのですわな。
それで兵隊嫌がってましたな。
【その命令が出ると。おると殺さないかんのです。】
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P302
沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班
【この中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が出ました。つまり虐殺でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。】
(略)
【命令が出てなかったらこっちはしませんよ。】
・・
徳田一太郎(1914年6月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第2大隊
南京に向かう途中どこの戦闘だったかは忘れたけれど、部落があってあそこに共産党がいるということで、
上から「負傷者に関わらず全部共産兵なので、全部殺せ」と命令してきたんです。それで部落に火を点けるとな、後ろから煙が上がってきました。
その中から「オギャーオギャー」と赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P135
・・
吉川定国(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1機関銃中隊
私ら行った時は白茆江やったかな。弾飛んで来えへんかったということは敵おらへんかった。
【上陸の時命令受領に行ったら「普通の男も殺せ、皆敵や」と言われていたで。】
家を焼けとの命もあって、うちの中隊でも放火班があったで。十人ぐらいで火をつけたけども常熟の前やったか、一日ぐらいで止めた。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P69
依田修(1916年11月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第3機関銃中隊
大連から南下して上海から揚子江を上にいった白茆口という所に着きました。そこでは敵前上陸で、そこからどんどん追撃して南京まで行ったんです。
【その時、私は上からの命令文を見ました。】
「支那人は全部殺せ、家は全部焼け」と書いてありました。その命令は白茆口を上陸する前日に出たんです。
当時、大連で船に乗った時はもう内地に帰れるかなぁと思っていました。でも、なかなか日本に着かないなぁと思っていると上陸の命令が来たんです。「今から上陸するところは米が穫れる、水牛がおる、支那人は全部殺せ、家は全部焼け」と言う命令でした。
(略)
・・・
【中島師団長という人は剛胆な人で、「支那の家を全部焼いてしまえ」と言いましてな。白茆口へ上陸した時です。】
「ここは抗日の一番ひどいとこやから各部落の家は全部焼け」とも言いました。
私も上陸してから露営して、すぐに家を焼きました。仲間内で伝わって来ましてな。「師団長が言うたんで、やってしまえ」と。
・・
■ 無 差 別 掃 蕩 命 令 ■
・・
【掃蕩をやる時は中隊長の指揮によってです。】
・・・
http://members.at.
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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