いい加減にしなさいよ。
投稿者: ahuramazda1945 投稿日時: 2005/06/17 22:21 投稿番号: [73622 / 118550]
======
違います。日本政府の意思ですよ。
【在日外国人・・田中宏著】を参照すると・・・
======
最初にGHQが発した?日本の占領施策における指令の第8項に日本国内における中国人、韓国人の扱いについて「日本国民」とはみなさない。という指令がありました。
GHQは日本政府の全ての施策について指導する立場にあったのですから、GHQが反対する施策は実行できませんでした。特に選挙などという重要な行政行為についてGHQが確認を怠るわけもありませんので、「参政権の停止」が行われたということはGHQの施策であると考えられます。
どこの世界に、他国籍の人間に「参政権」をあたえている国が存在するのでしょう。
○、【天皇最後の勅令】で【外国人登録令】が出された。
については、間違いであることがわかりましたよね。
======
占領期における地域社会と在日朝鮮人
GHQは、在日朝鮮人を「法の枠外」に「治外法権」を確保しようとする「不穏な、法も権限も無視する少数民族」として捉えた。そして「占領軍政策の成功にとって重大な障害」になりかねないという危惧をもったことから、一九四六年二月から七月、緊急措置として在日朝鮮人に対しての指令を次々と発した。それは日本の司法権の適用、登録名簿の作成、出入国の自由の禁止、不法入国者の強制送還などである。とりわけ出入国禁止は、植民地政策や強制連行などによって離散民族となっていた朝鮮人にとって、不法入国や密航を余儀なくさせることになった[13]。その頃から、第八軍や軍政部は、在日朝鮮人を闇市、不法入国、密輸の面においても、厄介者扱いするようになった。
さらに一九四六年六月、日本政府はGHQ指令に従って、「ポツダム勅令三一一号」を発した。これは「占領目的を侵害する行為」という新犯罪を取り締まるもので、重い罰則規定(一〇年以内の懲役、重労働)が設けられた。勅令三一一号は当初、軍国主義者を対象にしていたが、最初に罰せられたのは、一九四六年一二月に首相官邸前の抗議行動で逮捕された朝連系の活動家たちであった。
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai_b01/tz_b0101.html
貴女の大好きな半月城さんもこういっておられますよ。
終戦直後、日本には約200万人の朝鮮人がいました。祖国が解放され喜びに満ちて帰国をしたものの、祖国も混乱状態であり、また帰国時に持ち帰り財産を制限されたこともあって、祖国で生活基盤を立てられなかった人の出戻りが相当数いました。尚、当時は朝鮮も日本も共に事実上アメリカの軍政下にあって、両国間の往来は自由でした。しかし、こうした出戻りを防ぐためにGHQはこの往来を禁止してしまいます(1946.3.16)。すると当然密入国者が増えます。
こうした情勢に対処することも柱の一つにGHQは外国人登録令制定の指令をだしたと思われます。
http://www.han.org/a/half-moon/hm015.html
======
○朝鮮政府自体が、在日朝鮮人の日本国籍からの離脱を要求していたことは理解できましたか?
違います。日本政府の意思ですよ。
【在日外国人・・田中宏著】を参照すると・・・
======
最初にGHQが発した?日本の占領施策における指令の第8項に日本国内における中国人、韓国人の扱いについて「日本国民」とはみなさない。という指令がありました。
GHQは日本政府の全ての施策について指導する立場にあったのですから、GHQが反対する施策は実行できませんでした。特に選挙などという重要な行政行為についてGHQが確認を怠るわけもありませんので、「参政権の停止」が行われたということはGHQの施策であると考えられます。
どこの世界に、他国籍の人間に「参政権」をあたえている国が存在するのでしょう。
○、【天皇最後の勅令】で【外国人登録令】が出された。
については、間違いであることがわかりましたよね。
======
占領期における地域社会と在日朝鮮人
GHQは、在日朝鮮人を「法の枠外」に「治外法権」を確保しようとする「不穏な、法も権限も無視する少数民族」として捉えた。そして「占領軍政策の成功にとって重大な障害」になりかねないという危惧をもったことから、一九四六年二月から七月、緊急措置として在日朝鮮人に対しての指令を次々と発した。それは日本の司法権の適用、登録名簿の作成、出入国の自由の禁止、不法入国者の強制送還などである。とりわけ出入国禁止は、植民地政策や強制連行などによって離散民族となっていた朝鮮人にとって、不法入国や密航を余儀なくさせることになった[13]。その頃から、第八軍や軍政部は、在日朝鮮人を闇市、不法入国、密輸の面においても、厄介者扱いするようになった。
さらに一九四六年六月、日本政府はGHQ指令に従って、「ポツダム勅令三一一号」を発した。これは「占領目的を侵害する行為」という新犯罪を取り締まるもので、重い罰則規定(一〇年以内の懲役、重労働)が設けられた。勅令三一一号は当初、軍国主義者を対象にしていたが、最初に罰せられたのは、一九四六年一二月に首相官邸前の抗議行動で逮捕された朝連系の活動家たちであった。
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai_b01/tz_b0101.html
貴女の大好きな半月城さんもこういっておられますよ。
終戦直後、日本には約200万人の朝鮮人がいました。祖国が解放され喜びに満ちて帰国をしたものの、祖国も混乱状態であり、また帰国時に持ち帰り財産を制限されたこともあって、祖国で生活基盤を立てられなかった人の出戻りが相当数いました。尚、当時は朝鮮も日本も共に事実上アメリカの軍政下にあって、両国間の往来は自由でした。しかし、こうした出戻りを防ぐためにGHQはこの往来を禁止してしまいます(1946.3.16)。すると当然密入国者が増えます。
こうした情勢に対処することも柱の一つにGHQは外国人登録令制定の指令をだしたと思われます。
http://www.han.org/a/half-moon/hm015.html
======
○朝鮮政府自体が、在日朝鮮人の日本国籍からの離脱を要求していたことは理解できましたか?
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/73622.html