「百人斬り」冤罪だった場合でも・・・。
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2005/05/23 00:50 投稿番号: [71838 / 118550]
たとえば、向井、野田の両氏の主張が正しくて、この事件が冤罪だったとしよう。
しかし、変らないのは、南京において、5〜30万人に及ぶ人間が死んだという事実である。そして、このことは、私たち日本人は、加害者として、それを原罪として背負い、これからのアジアの中で生活しなくてはならないということを表している。
下の両氏の文章が、後世の捏造であるのかどうか、そんなことは今の私にはわからない。そして彼らも中国国内での裁判において戦おうなどという(おそらく)無駄なことは試みようともしていない。
しかしよくよくこの文章を見ると、国家間の都合によって、政治の道具になっている、翻弄された我が身の儚さが書かれているのである。
昭和21年当時、日本国内にいた彼らは、誰の手によって、どういう目的によって中国に差し出されたのであろうか?
日本政府が彼らをまったく守ろうともせずに、やすやすと他国に手渡してしまったこのことに対する「諦念」の感が、この彼らの文章にはにじみ出ていると私は感じる。
彼らは、日本政府の政治的「捨て駒」にされ、彼らはそのことを悟り、そして潔くそれに殉じたのであろう。
※ 私たちに出来る彼らの遺言に沿うことがあるとするならば、それは過去の中国への侵略によって多くの中国人を主にした人間達が死んだということを認めることであり、その各論において、たとえ証明されえない事実があったとしても、そのことでかの戦争の日本の責任が消滅するものではないのであるから、かの戦争を美化したり、肯定したり、居直った態度をとるのは、非常に、彼ら甘んじて亡くなった方々の深遠なる意図、決意に対して失礼な態度であると思う。
※ 数々の事実とは違う押し付けられた冤罪は、国家の威信を懸けて晴らさなければならないと思う。ただしかし、そのこととは別に、冤罪であろうと亡かろうと、靖国に祭られたA級戦犯は日本の侵略戦争という事実の側面の、その象徴として国際世論の監視の元、日本国が受け入れたものであるわけだから、これを合祀しているということによって、それを参拝することによって、かつての侵略戦争が正当化されると「感じる」被害者達の感情は丁重にくみ取るべきで、決して損なうべきではないのは、人間の感情として当然のものであると思う。
来るべき将来において、もしかして、日中合意の元で客観的な冤罪の証明がなされたときに初めて、そのA級戦犯個々人の所在を取り決めるという作業がおこなわれるべきであるのであって、決してA級戦犯として一律にまず始めに侵略側からの日本政府の都合による(戦争という仕方のないもので個人の非を問えないなどという)正当化があってはならない。
※ この文章は、彼らが無実であると言う前提の元で書いたが、まだ、私の思うことは他にもある。
* ***************************
向井敏明少尉 辞世
我は天地神明に誓い捕虜住民を殺害せる事全然なし。
南京虐殺事件等の罪は絶対に受けません。
死は天命と思い日本男児として立派に中国の土になります。
然れ共魂は大八州島に帰ります。
わが死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り、日華親善、東洋平和の因となれば捨石となり幸いです。
中国のご奮闘を祈る。
日本敢闘を祈る。
中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳、死して護国の鬼となります。
******************************
此の度中国法廷各位、弁護士、国防部の各位、蒋主席の方々を煩はしました事は厚く御礼申し上げます。
只俘虜非戦闘員の虐殺、南京虐殺事件の罪名は絶対にお受け出来ません。お断り致します。
死を賜りました事に就ては天なりと観じ命なり諦め、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せ致します。
今後は我々を最後として我々の生命を以て残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代えられん事をお願ひ致します。
宣伝や政策的意味を以て死刑を判決したり、而目を以て感惰的に判決したり、或は抗戦八年の恨みを晴さんが為、一方的裁判をしたりされない様祈願致します。
我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても、貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来することを喜ぶものであります。
何卒我々の死を犬死、徒死たらしめない様、これだけを祈願致します。
中 国 万 歳
日 本 万 歳
天皇陛下万歳
陸軍少尉野田毅
しかし、変らないのは、南京において、5〜30万人に及ぶ人間が死んだという事実である。そして、このことは、私たち日本人は、加害者として、それを原罪として背負い、これからのアジアの中で生活しなくてはならないということを表している。
下の両氏の文章が、後世の捏造であるのかどうか、そんなことは今の私にはわからない。そして彼らも中国国内での裁判において戦おうなどという(おそらく)無駄なことは試みようともしていない。
しかしよくよくこの文章を見ると、国家間の都合によって、政治の道具になっている、翻弄された我が身の儚さが書かれているのである。
昭和21年当時、日本国内にいた彼らは、誰の手によって、どういう目的によって中国に差し出されたのであろうか?
日本政府が彼らをまったく守ろうともせずに、やすやすと他国に手渡してしまったこのことに対する「諦念」の感が、この彼らの文章にはにじみ出ていると私は感じる。
彼らは、日本政府の政治的「捨て駒」にされ、彼らはそのことを悟り、そして潔くそれに殉じたのであろう。
※ 私たちに出来る彼らの遺言に沿うことがあるとするならば、それは過去の中国への侵略によって多くの中国人を主にした人間達が死んだということを認めることであり、その各論において、たとえ証明されえない事実があったとしても、そのことでかの戦争の日本の責任が消滅するものではないのであるから、かの戦争を美化したり、肯定したり、居直った態度をとるのは、非常に、彼ら甘んじて亡くなった方々の深遠なる意図、決意に対して失礼な態度であると思う。
※ 数々の事実とは違う押し付けられた冤罪は、国家の威信を懸けて晴らさなければならないと思う。ただしかし、そのこととは別に、冤罪であろうと亡かろうと、靖国に祭られたA級戦犯は日本の侵略戦争という事実の側面の、その象徴として国際世論の監視の元、日本国が受け入れたものであるわけだから、これを合祀しているということによって、それを参拝することによって、かつての侵略戦争が正当化されると「感じる」被害者達の感情は丁重にくみ取るべきで、決して損なうべきではないのは、人間の感情として当然のものであると思う。
来るべき将来において、もしかして、日中合意の元で客観的な冤罪の証明がなされたときに初めて、そのA級戦犯個々人の所在を取り決めるという作業がおこなわれるべきであるのであって、決してA級戦犯として一律にまず始めに侵略側からの日本政府の都合による(戦争という仕方のないもので個人の非を問えないなどという)正当化があってはならない。
※ この文章は、彼らが無実であると言う前提の元で書いたが、まだ、私の思うことは他にもある。
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向井敏明少尉 辞世
我は天地神明に誓い捕虜住民を殺害せる事全然なし。
南京虐殺事件等の罪は絶対に受けません。
死は天命と思い日本男児として立派に中国の土になります。
然れ共魂は大八州島に帰ります。
わが死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り、日華親善、東洋平和の因となれば捨石となり幸いです。
中国のご奮闘を祈る。
日本敢闘を祈る。
中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳、死して護国の鬼となります。
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此の度中国法廷各位、弁護士、国防部の各位、蒋主席の方々を煩はしました事は厚く御礼申し上げます。
只俘虜非戦闘員の虐殺、南京虐殺事件の罪名は絶対にお受け出来ません。お断り致します。
死を賜りました事に就ては天なりと観じ命なり諦め、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せ致します。
今後は我々を最後として我々の生命を以て残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代えられん事をお願ひ致します。
宣伝や政策的意味を以て死刑を判決したり、而目を以て感惰的に判決したり、或は抗戦八年の恨みを晴さんが為、一方的裁判をしたりされない様祈願致します。
我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても、貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来することを喜ぶものであります。
何卒我々の死を犬死、徒死たらしめない様、これだけを祈願致します。
中 国 万 歳
日 本 万 歳
天皇陛下万歳
陸軍少尉野田毅
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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