「家族持ちたい」と除隊
投稿者: adiaq_la 投稿日時: 2005/05/14 02:41 投稿番号: [71064 / 118550]
「家族持ちたい」と除隊、拘束の斎藤さん
驚く元同僚
2005年05月12日16時20分
そろそろ家族を持ちたいし、子供も欲しいので――。イラクで武装勢力に拘
束された斎藤昭彦さん(44)は昨秋、フランス外国人部隊の上官にそう告げ
て、21年間勤めた部隊を去った。1年もたたずに届いた事件の報に、仏南部
オバーニュの部隊司令部では「帰国したと思っていたのに」という驚きと、「
辛抱強いサムライだから、きっと無事に帰ってくる」との思いが交錯した。
司令部のラスクル少佐(広報担当)は「個人的にも(斎藤さんを)知ってい
るが、私生活や将来やりたいことを進んで周囲に話すタイプではなかった」。
それでも昨年9月に除隊を希望した時は「日本に帰って、家族を持ちたいと思
う」との話をしたという。部隊に3年所属すれば仏国籍を申請できるが、斎藤
さんは申請しなかった。
83年6月に入隊。コルシカ島の第2空挺(くうてい)連隊や、密林での作
戦が専門の南米・仏領ギアナの歩兵連隊などに所属。地雷の敷設・除去訓練や
核基地の解体作業を経験し、チャドや中央アフリカでの作戦任務、ボスニアで
の平和維持活動にも参加した。豊富な経験とフランス語能力をかわれて99年
からは司令部の管理部門に。上級曹長という階級は日本人隊員で最高位だった
という。
精鋭部隊でもある外国人部隊は、主要な作戦には必ず加わる。準備期間もほ
とんどないまま派遣されることも多い。「ずっと兵舎に住み、任務に専念する
間は家族は持たないと心に決めていたようだ」
部隊での人望は厚かったようだ。司令部内の博物館を管理するギュヨ少佐は、
真夏の山岳訓練で先にへたばった同僚2人の荷物を一緒に抱え、にこにこしな
がら山を登ってくる斎藤さんの姿を鮮明に覚えている。それだけに部隊のショ
ックも大きかった。
昨年12月30日付で除隊になったが、休暇消化などで9月には司令部を去
った。就業訓練を勧められたが断ったという。「てっきり日本に帰国したと思
っていた。除隊後の身の振り方には口を出さないのが原則だが、イラク行きを
知っていれば思いとどまるようアドバイスしたのに」と、ラスクル少佐は悔や
む。
冷戦後、各国の正規軍の縮小に伴い、紛争地で警備を請け負う民間企業が増
えた。イラクでは2万人がこうした業務に就いているとされる。
外国人部隊は「民間警備会社とは一切かかわりがない。除隊後の就職先に勧
めることもありえない」と強調するが、高度の戦闘訓練を積んだ人材が多いだ
けに、高給にひかれて紛争地での危険任務に就く人がいることは認めた。昨年
6月、米警備会社で働いていたポーランド人の元部隊員がイラクで待ち伏せ攻
撃にあって死亡したという。
現在、隊員の出身国は160以上。人種や宗教も様々だ。第2次大戦後は家
族や財産を失ったドイツ兵が、冷戦終結後は旧ソ連兵が多く入隊するなど、折
々の世界情勢が反映される。紛争で母国を追われた人、貧困を逃れてきた人も
多いなか、豊かで平和な日本から来た若者の多くは「より冒険的な任務につき
たい」と動機を述べるという。「日本では外国での任務や実戦に参加できない
のでここに来た人もいる」とラスクル少佐はいう。
日本人は「礼儀正しく、忍耐強い」と隊内では評判が良いが、斎藤さんのよ
うに10年以上にわたって激務を続ける人は少ないという。
http://www.asahi.com/international/update/0512/012.html
----------------------------------------------------------------------
「結婚したい」という理由で外人部隊を除隊したというのは本当のことかもし
れない。この世界に飛び込んできた20代のころは、多分頭の中は「ゴルゴ13」
かハリウッド製のアクション映画であったろうと思うが、30の声を聞くころに
は、そんな幻想は抱いてなかったかもしれないな。外人部隊の生活って、殺風
景だろうな。「平凡な家庭が持ちたい」なんて心から思っていたかもしれない。
でも今更方向転換も簡単ではなかっただろう。
「最後にひと働きして、稼いで足を洗おう」とか思っていたのかもしれない。
彼を「傭兵稼業」へと導いていった“幻想”を彼の頭の中にこしらえたものは
なにか?
2005年05月12日16時20分
そろそろ家族を持ちたいし、子供も欲しいので――。イラクで武装勢力に拘
束された斎藤昭彦さん(44)は昨秋、フランス外国人部隊の上官にそう告げ
て、21年間勤めた部隊を去った。1年もたたずに届いた事件の報に、仏南部
オバーニュの部隊司令部では「帰国したと思っていたのに」という驚きと、「
辛抱強いサムライだから、きっと無事に帰ってくる」との思いが交錯した。
司令部のラスクル少佐(広報担当)は「個人的にも(斎藤さんを)知ってい
るが、私生活や将来やりたいことを進んで周囲に話すタイプではなかった」。
それでも昨年9月に除隊を希望した時は「日本に帰って、家族を持ちたいと思
う」との話をしたという。部隊に3年所属すれば仏国籍を申請できるが、斎藤
さんは申請しなかった。
83年6月に入隊。コルシカ島の第2空挺(くうてい)連隊や、密林での作
戦が専門の南米・仏領ギアナの歩兵連隊などに所属。地雷の敷設・除去訓練や
核基地の解体作業を経験し、チャドや中央アフリカでの作戦任務、ボスニアで
の平和維持活動にも参加した。豊富な経験とフランス語能力をかわれて99年
からは司令部の管理部門に。上級曹長という階級は日本人隊員で最高位だった
という。
精鋭部隊でもある外国人部隊は、主要な作戦には必ず加わる。準備期間もほ
とんどないまま派遣されることも多い。「ずっと兵舎に住み、任務に専念する
間は家族は持たないと心に決めていたようだ」
部隊での人望は厚かったようだ。司令部内の博物館を管理するギュヨ少佐は、
真夏の山岳訓練で先にへたばった同僚2人の荷物を一緒に抱え、にこにこしな
がら山を登ってくる斎藤さんの姿を鮮明に覚えている。それだけに部隊のショ
ックも大きかった。
昨年12月30日付で除隊になったが、休暇消化などで9月には司令部を去
った。就業訓練を勧められたが断ったという。「てっきり日本に帰国したと思
っていた。除隊後の身の振り方には口を出さないのが原則だが、イラク行きを
知っていれば思いとどまるようアドバイスしたのに」と、ラスクル少佐は悔や
む。
冷戦後、各国の正規軍の縮小に伴い、紛争地で警備を請け負う民間企業が増
えた。イラクでは2万人がこうした業務に就いているとされる。
外国人部隊は「民間警備会社とは一切かかわりがない。除隊後の就職先に勧
めることもありえない」と強調するが、高度の戦闘訓練を積んだ人材が多いだ
けに、高給にひかれて紛争地での危険任務に就く人がいることは認めた。昨年
6月、米警備会社で働いていたポーランド人の元部隊員がイラクで待ち伏せ攻
撃にあって死亡したという。
現在、隊員の出身国は160以上。人種や宗教も様々だ。第2次大戦後は家
族や財産を失ったドイツ兵が、冷戦終結後は旧ソ連兵が多く入隊するなど、折
々の世界情勢が反映される。紛争で母国を追われた人、貧困を逃れてきた人も
多いなか、豊かで平和な日本から来た若者の多くは「より冒険的な任務につき
たい」と動機を述べるという。「日本では外国での任務や実戦に参加できない
のでここに来た人もいる」とラスクル少佐はいう。
日本人は「礼儀正しく、忍耐強い」と隊内では評判が良いが、斎藤さんのよ
うに10年以上にわたって激務を続ける人は少ないという。
http://www.asahi.com/international/update/0512/012.html
----------------------------------------------------------------------
「結婚したい」という理由で外人部隊を除隊したというのは本当のことかもし
れない。この世界に飛び込んできた20代のころは、多分頭の中は「ゴルゴ13」
かハリウッド製のアクション映画であったろうと思うが、30の声を聞くころに
は、そんな幻想は抱いてなかったかもしれないな。外人部隊の生活って、殺風
景だろうな。「平凡な家庭が持ちたい」なんて心から思っていたかもしれない。
でも今更方向転換も簡単ではなかっただろう。
「最後にひと働きして、稼いで足を洗おう」とか思っていたのかもしれない。
彼を「傭兵稼業」へと導いていった“幻想”を彼の頭の中にこしらえたものは
なにか?
これは メッセージ 71063 (adiaq_la さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/71064.html