対イラク武力行使

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日本無罪論、補足

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/05/03 10:20 投稿番号: [70166 / 118550]
>著者田中氏は清瀬一郎、伊藤清両弁護士に相談し、この刊行を目論んだ。

【清瀬 一郎】
1884‐1967。兵庫県生まれ。京都帝国大学独法科卒業後、弁護士を経て政界に入る。極東国際軍事裁判では日本人弁護団副団長、東条英機の主任弁護人として戦争裁判の不当をつく。政界に復帰後は改進党幹事長、日本民主党政調会長、第三次鳩山内閣文相、衆議院議長等をつとめる。弁護士としても著名で、東京弁護士会会長をつとめた。
著書に『秘録 東京裁判 中公文庫BIBLIO20世紀』がある。
平洋戦争終結後の極東国際軍事裁判(通称東京裁判)において、弁護団の中心人物であり、また東条被告の主任弁護人でもあった著者による裁判秘録。文明の名のもとに行われた空前の戦争裁判の不当性を突く、迫真のドキュメント。(by Amazon)

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以下の内容を読むに付け、つくづく『歴史は繰り返される』ものだと痛感した。

田中正明氏は、昭和12年に松井石根大アジア協会会長が南京攻略戦の中支派遣軍司令官になるまでは、松井会長の秘書兼会報の編集長として働いた。
当時の中国では反日。侮日運動が吹き荒れ、南京の蒋介石政権に対して広東・広西両省は胡漢民を中心に「西南政務委員会」が組織され、南京政権に対して、一大敵国の観を呈していた。
孫文・胡漢民とは同志として交流していた松井石根大将は心を痛め、蒋政権と西南政務委員会の平和統一を促す行動に出た。
昭和11年2月11日、松井石根大将は、田中正明氏を秘書として下関より西南へ出航する。
現地にて、松井大将は双方に向かって、
「孫文先生は『日本無くして、中国無し。中国無くして、日本無し。日中の関係は唇歯補佐、切っても切れない関係だ』と言われた。孫文先生が唱えた『大アジア主義』の精神に立ち還れ」と説得し、その具体的な方法を私案として提示した。
それらの会談で日中和平の道は「望み無きに有らず」との感触を得て、当時の広田首相に報告し、なおかつ日本軍部の突出を牽制することを申し出たのであった。
しかし、この年の12月12日に勃発した、中国共産党の陰謀による西安事件によって、蒋介石は逮捕され、状況は一変した。
その後、共産党の陰謀による廬溝橋事件、通州事件(日本人居留民が、中国人に二百数十名虐殺された)、上海事件(大山大尉惨殺事件)、南京攻略戦へと進行した。
後日談。
岸内閣総辞職後の昭和41年9月、岸信介元総理の計らいにより、田中氏は台湾を訪れた。現地では蒋介石総統の命により、準国賓の待遇を受けたという。
蒋介石との懇談の途中、松井石根にお供した際に蒋介石と一度逢っている旨を告げたら、蒋介石は声を震わせ「松井閣下には、申し訳ないことをしました・・・」と田中氏の手を二度、三度強く握って離さず、涙ぐんだという。(メディア評論家   水間政憲)
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