アッサラームさん、
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/04/08 23:31 投稿番号: [68535 / 118550]
資料ありがとう。
このココロ裁判は、もうじき地裁判決が出るらしいですね。
>一つの立派な人格を持った人間である公務員を考えた場合、「全体の奉仕者」であるということは、必ずしも、完全に既存の法解釈によって規定された、まるでロボットのようにその時々に選挙によって移り変わる権力者に対する「奉仕者」ではなく、その選挙に参加できる全ての人たちに対する主権者である国民全体の「奉仕者」であることの自覚を持たなければならないと考えます。
>この意味で、公務員自らが、その時々の権力者の主張する違法性に対して常に監視の目を持ち、自浄性を保持ながら、絶えずその正否を正していくことがいかに難しくかつ大切なことであるのか。
>その意味で、この、北九州の裁判の主張は、非常にユニークな新しい考え方だと感じました。
>http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019567&tid=a5a4a5ia5aff ql1ldbj&sid=552019567&mid=709
そうですね。
当たり前といえば、当たり前の正論だと思いますよね。
ただの権力者のロボットとなり、国民全体・社会全体の向上というものを視野に入れていない【ヒラメ役人】が、国をだめにしていますよね。
志のある骨のある人間が、不利益を蒙る社会を何とかしないとね。
このリンクは長いのでまだ途中までしか読んでいません。
明日読むようにお気に入りに入れました☆
でも下記の文章が目に留まりましたので・・
★東京都では、既に「君が代」斉唱に異議を唱えれば
【保護者でさえ名前をチェックされ、PTA会長であれば辞任を迫られ、「日の丸・君が代」への問題提起としてのコピー文書を配れば刑事告訴された。】
【教員に至っては、3度「着席」が重なれば懲戒免職といったことまでまことしやかに言われ、さらに「着席」し処分された教員に対して「再発防止研修」という名の「踏み絵」までなされ、この「研修」を拒否すれば懲戒免職か「教員不適格」者として、教員という社会的地位を失うであろう事態が進行している。】
これは現実である。今、公的に、公教育という場でまかり通っているのだ。
本件も同様、既に20年前にして、君が代の「起立斉唱」が命令され、違反したら処分という事実があり続けてきた
。「戦後」と言われるこの時代に、果たしてこれらの事実に対して、どれだけの人たちが怒りを持ってこの国の民主主義に危機感を感じることができるのだろうか。
過去の歴史やよその国のことならば、「ファシズムはおかしい、危険だ」と多くの人は答えるのかもしれない。
しかし、今起こっている現実に危機感を持ってノーを言える人はどれほどいるだろうか。
【本件のような「君が代」という天皇を讃える歌を「教員」支配の道具としてきた事件が、現実に起こっていることを知れば、
「戦後」は今始まったばかりではないし、果たして「戦後」という時代が存在していたのかという疑問を抱かざるを得ないだろう。】
端的に言おう。戦前から変わることなくある天皇を讃える歌「君が代」が、戦後の公教育の場で歌われ続けていること、そして、
【これを徹底して歌うよう「指導」され続け、これを歌えないとして「黙って座る」という自由すらなく、】
多大なリスクを請け負わなければならないという現実だ。
【これを国家権力の暴走でありファシズムと言わずして何というのか。】
・・・
しかし今改めて、冷静に原告らの訴えたい命題は、「戦後民主主義」「戦後民主教育」といった幻想を疑うことから始め、日本の近代国民国家における公教育とは何であったのかという視点で捉え返すことにあると言っても過言ではない。
言い換えれば、なぜ、戦後の民主憲法や教育基本法は活かされ根付くことができなかったのかというところまで立ち戻るしかないということである。
このココロ裁判は、もうじき地裁判決が出るらしいですね。
>一つの立派な人格を持った人間である公務員を考えた場合、「全体の奉仕者」であるということは、必ずしも、完全に既存の法解釈によって規定された、まるでロボットのようにその時々に選挙によって移り変わる権力者に対する「奉仕者」ではなく、その選挙に参加できる全ての人たちに対する主権者である国民全体の「奉仕者」であることの自覚を持たなければならないと考えます。
>この意味で、公務員自らが、その時々の権力者の主張する違法性に対して常に監視の目を持ち、自浄性を保持ながら、絶えずその正否を正していくことがいかに難しくかつ大切なことであるのか。
>その意味で、この、北九州の裁判の主張は、非常にユニークな新しい考え方だと感じました。
>http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019567&tid=a5a4a5ia5aff ql1ldbj&sid=552019567&mid=709
そうですね。
当たり前といえば、当たり前の正論だと思いますよね。
ただの権力者のロボットとなり、国民全体・社会全体の向上というものを視野に入れていない【ヒラメ役人】が、国をだめにしていますよね。
志のある骨のある人間が、不利益を蒙る社会を何とかしないとね。
このリンクは長いのでまだ途中までしか読んでいません。
明日読むようにお気に入りに入れました☆
でも下記の文章が目に留まりましたので・・
★東京都では、既に「君が代」斉唱に異議を唱えれば
【保護者でさえ名前をチェックされ、PTA会長であれば辞任を迫られ、「日の丸・君が代」への問題提起としてのコピー文書を配れば刑事告訴された。】
【教員に至っては、3度「着席」が重なれば懲戒免職といったことまでまことしやかに言われ、さらに「着席」し処分された教員に対して「再発防止研修」という名の「踏み絵」までなされ、この「研修」を拒否すれば懲戒免職か「教員不適格」者として、教員という社会的地位を失うであろう事態が進行している。】
これは現実である。今、公的に、公教育という場でまかり通っているのだ。
本件も同様、既に20年前にして、君が代の「起立斉唱」が命令され、違反したら処分という事実があり続けてきた
。「戦後」と言われるこの時代に、果たしてこれらの事実に対して、どれだけの人たちが怒りを持ってこの国の民主主義に危機感を感じることができるのだろうか。
過去の歴史やよその国のことならば、「ファシズムはおかしい、危険だ」と多くの人は答えるのかもしれない。
しかし、今起こっている現実に危機感を持ってノーを言える人はどれほどいるだろうか。
【本件のような「君が代」という天皇を讃える歌を「教員」支配の道具としてきた事件が、現実に起こっていることを知れば、
「戦後」は今始まったばかりではないし、果たして「戦後」という時代が存在していたのかという疑問を抱かざるを得ないだろう。】
端的に言おう。戦前から変わることなくある天皇を讃える歌「君が代」が、戦後の公教育の場で歌われ続けていること、そして、
【これを徹底して歌うよう「指導」され続け、これを歌えないとして「黙って座る」という自由すらなく、】
多大なリスクを請け負わなければならないという現実だ。
【これを国家権力の暴走でありファシズムと言わずして何というのか。】
・・・
しかし今改めて、冷静に原告らの訴えたい命題は、「戦後民主主義」「戦後民主教育」といった幻想を疑うことから始め、日本の近代国民国家における公教育とは何であったのかという視点で捉え返すことにあると言っても過言ではない。
言い換えれば、なぜ、戦後の民主憲法や教育基本法は活かされ根付くことができなかったのかというところまで立ち戻るしかないということである。
これは メッセージ 68489 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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